沈丁花 ジンチョウゲ 0093 解離性同一性障害(多重人格)や精神病

 
香りの良い庭木の、スタンダードですが、
日陰で行けますので、重宝します。
 
これは、確か移植を嫌いますので、
挿し木で増やしますが、
その場所で育てるのでなければ、
ポットに挿して、
土ごと、ごっそりと植えるのが、正解かも。
 
 
   ***    ***
 
 
昨日、書こうと思い、
腰が痛くて、忘れましたが、
孫正義の白金台の別荘が、
天皇の社交場に、なるそうです。
 
そんな、根も葉もない噂(うわさ)を、
高輪の人から、聞きました。
迎賓館では、ダメなんでしょうか。
 
孫正義が、誰と付き合おうが、
彼の勝手ですが、
迎賓館は、舞踏会を催す体育館ですから、
確かに使い難(にく)い。
 
白金台の別荘は、
三島由紀夫の「宴のあと」の、
般若苑の跡地ですが、
いわゆる蘭癖(らんぺき)大名の
島津重豪の別荘でした。
 
重豪(しげひで)は、
借金し放題の、踏み倒しで有名な、
頭の良い殿様でしたが、
孫正義は、般若苑のような上流の社交界を
復活させたいのでしょうか。
 
とにかく、
皇室類縁の人脈を、箒で掻き集めなければ、
話になりません。
 
天皇陛下は、もう齢(とし)ですから、
目立つ所へ乗り込む元気も、ないでしょう。
 
白金台の近隣の人たちは、
孫正義の別荘と聞き、
幟(のぼり)を立てて、
反対運動を行なっていましたが、
天皇が来ると知り、
いっぺんに静かになりました。
 
嘘かも知れないのに。
 
高輪の人に、本当かと、聞くと、
皇室の噂話に、本当があるわけないだろうと、
笑われました。
 
そだね。
三島由紀夫や、知覚の中身や、
事実や、判決や、精神医学などと、同じだね。
 
 
   ある人は、朝、起きると、
   別人になっていました。
 
   顔や履歴や家族や住所まで、違うのに、
   ちっとも混乱しません。
 
   今朝の自分の、
   昨日の記憶や、一昨日の記憶と、
   昨日までの自分の、記憶や立場とが、
   2本立ての別人でありながら、
   矛盾せずに、
   それぞれに独立しています。
 
   オカシイじゃないか。
   今、こうしている時に、
   昨日までの自分は、何をしているんだ。
   スケジュールは、どうなるんだ。
 
   昨日の記憶が、ちゃんと2人分だけ、
   別々にあるのに、
   身体が、今の自分の、1つであるのは、
   オカシイじゃないか。
 
   昨日までは、正常だったのに、
   今日になり、
   急に、オカシクなったのだ。
 
   昨日までの自分が、
   今、何をしているのかを、
   見に行ってやろうじゃないか。
   
   住所も名前も職業も、
   ちゃんと、わかっている。
   顔も、知っている。
 
 
こういう気持ちは、
安モノの物語に、よくありますが、
精神医学の分類では、
解離性同一性障害と言います。
 
昔の多重人格というやつです。
 
このあとの、展開がどうなるのかは、
安モノの物語と、同じで、
作者や、精神疾患と診断された人の、
発想力により、それぞれに違います。
 
そんな創作が、
なぜ、精神の病気であるのかは、
本人が、創作であることを、
自覚できないからでしょうか。
 
それなら、すぐに、
健常な精神も、創作を、
自覚していないでないかと、
異論が出ます。
 
仕方ないので、
健常な精神や身体は、1人に1つだけと、
まるでスーパーマーケットの特売品のように、
個数を制限することになります。
 
1つなら、創作と自覚できなくても、
精神の病気でありません。
2つ以上なら、創作と自覚できない時に、
精神の病気と診断されます。
 
創作と自覚していれば、問題ありません。
それは、どういう意味なのかと、
疑問になります。
 
 
   ある人は、毎日毎日、
   自分が、どこの誰であるか、
   というアイデンティティが、
   変化します。
 
   創作であると、自覚していますが、
   意図しないのに、
   自分が、勝手に創作します。
 
   創作する自分と、
   それを眺めている自分とが、います。
 
   しかし、もっと重要なのは、
   どこの誰かと、住所氏名職業年齢や、
   顔貌(かおかたち)などの、
   個人を特定する情報が、
   わかっていますから、間違いの有無を、
   客観的に検証できます。
 
   少しも、間違いが、ありません。
   創作でありながら、
   どのようにして、現実の、
   無数のアイデンティティの情報を、
   仕入れたのでしょうか。
 
   どのようにして、現実と、
   創作されたアイデンティティが、
   一致するのでしょうか。
 
   
知覚の内容は、そもそも創作でないかと、
疑われています。
それが証拠に、知覚の中身は、
他人と共有できませんので、
他人の知覚の中身を、検証することが、
できません。
 
わたしたちは、
個人的な知覚の中身を、表現するための、
言葉や絵や写真やビデオなどの、
他人とのコミュニケーションのための
メディアの表現を、
他人と共有できるだけです。
 
ビデオの具体的な映像と、
個人の知覚の内容が、
同じであるか、そうでないかの、判断を、
他人と共有できないだけでなく、
他人は検証することも、できません。
 
知覚の問題は、インドヨーロッパ人が、
古代インドに暮らしていた時代から、
ウパニシャドや形而上学などの思考の、
主要な議題でした。
 
知覚とコミュニケーションと論理法則の、
根拠がありません。
 
 
   19世紀になり、
   写真が実用化されたことから、
   近代的な精神医学が、
   精神医療を掌握しましたが、
   精神科医のほとんどは、
   精神があるのか、ないのかの、
   昔ながらの議論を、理解できません。
   
   それが、わからなければ、
   精神医療は、今なお、
   野蛮な魔術であり、明確に、
   憲法が禁止している残虐行為で、
   あり続けるはずです。
 
   世界中で行なわれている医療ですから、
   天皇制や自衛隊よりも、
   重大な人権問題ですが、
   人類のほとんどは、
   精神科医よりも、さらに頭が悪く、
   合理的な説得は、不可能です。
 
   本当に、頭が悪いのかなあ・・・
   わたしは、疑っています。
 
   知ったかぶりをする人よりも、
   知らん振りをする人のほうが、
   遥かに多い。
 
   宅間守氏や植松聖氏は、
   冤罪の可能性が高く、
   精神科医が、
   真犯人の1人であることは、
   間違いありません。
 
   薬物を強制投与された当人が、
   抗精神病薬や抗不安薬などの、
   向精神薬の作用を理解できないのは、
   当然ですが、
   世間一般の人や、マスコミだけでなく、
   精神科医になる前の医学生も、
   瞬時に理解できませんので、
   是非もない、という気持ちになります。
 
   IQ155未満の全部が、
   そこまで頭が悪いとは、
   思えませんから、
   理解できないのは、
   理解したくないからでないかと、
   疑われます。
 
   説得可能でも、
   論理能力が低ければ、
   合理的に説得できませんから、
   正しい知能を測りたくなります。
 
   わたしは、知能指数の虚妄を、
   微塵も信じていませんから、無理です。
 
   精神医療を糾弾するために、
   知能を測定するなんて、
   面倒臭くて、やってられませんが、
   事実や論理法則の、運用能力でなく、
   何が賢いかと、疑問を持つ能力は、
   インドヨーロッパ文化の、
   根底にある知能です。
 
 
精神は、あるのか、ないのかを、
そのへんの精神科医を捕まえて、
聞いて御覧なさい。
 
昔からの、インドヨーロッパ人の疑問は、
日本にも、仏教が伝わっていますから、
誰にでも、わかります。
 
身体や脳の、器質に原因がなく、
薬物のせいでもないのに、
抗精神病薬や向精神薬を、強制的に投与して、
脳を破壊する理由が、あるのかと。 
 
精神症状があったとする証拠や証明が
皆無です。
精神症状があったと、カルテに記述するのは、
事実の捏造でないか。
 
捏造した事実を、捏造していないと、
言い抜けるために、
強制的に向精神薬を投与して、
精神症状を、わざと作っているのでないか。
 
精神科の診断と治療は、
殺人や傷害や監禁などの、
精神科医のよる凶悪犯罪でないか。
 
精神症状があったとする証拠や証明が
あるのか。
そのように、精神科医に尋ねて下さい。
 
 
   植松聖氏は、
   知的障害の医療現場を見ていながら、
   向精神薬の作用を、
   理解できませんでした。
 
   精神病院の看護師や、
   措置入院のための、
   市町村の職員などだけでなく、
   東京大学の医学部学生も、
   似たようなものです。
 
   IQ145も85も、
   精神医療の理解力に、差がありません。
   
   それが、IQ160以上くらいになると、
   精神医療に関わったことがなくても、
   瞬時にわかります。
   小学低学年で、察しがつきますから、
   この差は、小さくありません。
 
   しかし、IQ100前後の、
   平均的な知能指数でも、
   精神医療や医療行政などに、
   携わったことがないのに、
   瞬時に理解できる人が、
   いくらでもいます。
 
   理解できないのは、
   理解したくないからでないかと、
   疑われます。
 
   自分の仕事に、
   ケチを付けられたくない。
   今までの不正を、暴かれたくない。
   不正がバレれば、終身刑は固いと、
   精神医療関係者自身が、知っています。
 
   理解するのを、拒否する者に、
   理解させる方法が、ありますか。
 
   精神病と診断された人間に、
   抗精神病薬などを、
   強制投与するのでなく、
   診断した側の人間に、
   強制投与すべきかも知れません。
 
   向精神薬だけでなく、
   精神病という病気の診断が、
   何のためであるかが、よくわかります。
  
  
旧ソ連では、敵対者を粛清するために、
法律違反を断罪して、
シベリア送りにしましたが、
被告人が否認すれば、精神病と診断して、
抗精神病薬の強制投与により、
人格を、不可逆的に破壊しました。
 
一般人が、いかに、
精神医療の現実を、理解したくないかは、
日本赤軍の
テルアビブ空港乱射事件を見れば、
よくわかります。
 
新左翼による無差別テロですから、
新左翼のシンパ(sympathizer)が、
日本赤軍を支援しました。
   
犯人の岡本公三には、
拷問の後遺症の精神疾患があると、
新左翼は言いますが、
ビデオを見た感じでは、
抗精神病薬による症状ですから、
拷問とは、要するに、
抗精神病薬の強制投与の可能性が、大きい。
   
なぜ、新左翼は、
抗精神病薬の中毒症状が、精神病であると、
言わないのか。
   
政治的な理由か、
それとも、理解できないのか。
   
おそらく、世界の一般人と同じように、
理解を拒否しているので、理解できません。
   
善悪の価値観に、縋(すが)りたいのです、
新左翼のような、ロマンティックな人たちは。
   
罪もない人を、理由もなく殺すのは、悪いが、
歴史や社会の成り行きなら、
個人には、どうしようもないと、信じたい。   
 
李香蘭が、中国人として、
祖国を売る映画に出演したので、
日本の敗戦直後に、漢奸として、
危うく処刑されかけた、などという話に、
胸を踊らせたい。
 
そんな気持ちですよ、精神科医も。
幼稚と言えば、怒られるから、
知能指数が155未満であると、
言って置きますが、わたしは、
知能や法律や善悪や論理法則などを、
少しも信じていません。
 
戦場の兵士と、同じです。
   
 
   なぜ、毎日毎日、ころころと、
   自分のアイデンティティが変わるのに、
   実務上の、客観的な不都合を、
   きたさないのでしょうか。
 
   たぶん、その人は、
   自覚していることと、言動とが、
   違うことを、
   人格やアイデンティティの交替と、
   表現しています。
  
   人間は、皆、
   自覚と言われる個人的な知覚の内容と、
   言動と言われるメディアの表現が、
   違うのに、決まっていますから、
   違うものを同じであると、
   定義します。
 
   例えば、音声としての言葉と、
   それが指し示す意味とは、
   違うのに決まっていますから、
   同じであると、定義します。
  
   当たり前です。
 
   本人の自覚の内容と、言動とが、
   同じであるか、違うかは、
   本人しか、判断できません。
 
   人は、自覚の内容と、言動とが、
   一致しているかのように、
   他人に対して、嘘をつくのが、
   普通です。
 
   個人的に、違うものを同じであると、
   定義しなければ、
   他人との意思疎通が、できません。
   
   本人しか、定義できる人は、いません。
 
   嘘をつき続けると、やがて、
   嘘の内容が、自覚の内容になります。
   わたしたちが知覚しているのは、
   自作自演の一人芝居のようなものです。
 
   わたしたちが、毎日違う自分を、
   いつも同じ1人の自分であると、
   知覚するのは、
   そのように定義したからですが、
   みんなの文化が、そうであるから、
   個人的な知覚も、
   そのように定義しなければ、
   孤立します。
   
   ころころと、自分のアイデンティティが
   変更されていると、自覚しているのに、
   実務上の客観的な不都合が出ないのは、
   本人が、そのようにしているからです。
   
   腹の立つやつに、
   熱いコーヒーの入ったコップを
   投げつけますが、
   顔面に当たらないように、
   ちゃんと、コントロールしています。
   
   それと同じですから、
   解離性同一性障害は、
   ヒステリーの一種とも、言えます。
 
   他国と戦争をして、敵兵を殺すのも、
   ヒステリーでしょうか。
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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