高い所に咲いていましたので、
インチキな写真しか、撮れませんでした。
雌雄同株の両性花ですが、
まだ、花が開き切っていませんので、
雌しべが見えません。
札幌に行った時に、撮れば良いのですが、
それでは遅くなりますので、すみません。
雄しべ4本に、
先が二股に分かれた雌しべ1本で、
1セットの花です。
10数個の花が、束になり、
1ヶ所に咲いています。
葉は、まだですから、
花だけの、奇麗なもんです。
だれも、気づきませんから、
わたしは、あほや気違いや犯罪者のように、
闇から闇に、葬り去られるかも。
*** ***
東京の人には、当たり前ですが、
幕末の諸藩の、江戸屋敷跡の多くが、
現代の公共施設に、継承されています。
ほとんどが、民間に払い下げられた後に、
政府や自治体に、買い上げられたもので、
ほぼ全部の経緯が、汚職です。
国鉄も、民間に払い下げられましたが、
民営化と、言われました。
国民の財産が、
民間企業の所有に化ける裏取引を、
わたしは専門でなく、知りませんが、
経済活動は、闇が主流です。
契約書や帳簿に出るのは、
国会の議論のように、
建前(たてまえ)ばかり。
国鉄の借金を、一般会計に組み入れて、
特別会計から補填するのは、
官僚が、利権を山分けした、
という意味です。
赤字が、ひどかったけれど、
資産が莫大であり、
多くの人員を抱えていましたから、
桁違いに豊富な財産なのに、
物凄い負債のように、宣伝されました。
そんな、あほな。
借金は、財産なのに。
資力がなければ、
お金を貸してくれません。
すっからかんでも、人が多ければ、
無尽蔵の財産です。
政府が、そう。
脳味噌は、樹状突起の枝分かれが、
あるだけですから、
上級甲種国家公務員の、頭が悪いのは、
文化文明のせいに、決まっています。
枝分かれの意味を、規定するのは、
語源の探索のように、原理的に、
文化の屁理屈しか、ありません。
単語の定義や、文法の規則性などに、
コンピュータは関知しないように、
自然から、法則を汲み取ったり、
樹状突起の枝分かれを、
記憶や思考であると、
解釈したりするのは、文化の専権です。
脳の樹状突起が、
単に枝分かれをして、繁茂するのは、
自然の樹木と同じですから、
その枝振りが、
特定の判断の道筋や組合わせなどの、
意味や規則性を表わしていると、
確信するのは、
みんなの言い掛かりでなければ、
精神病の症状と同じです。
コンピュータの数列を、固定しても、
文化は固定できませんから、
意味は、語源のように、不確実です。
健康な知性は、
もちろん、精神病の症状と、同じです。
精神病の中でも、器質や薬物などの原因が、
原理的に特定されない種類の、精神病は、
個々の心理を、病気としますので、
文化や習俗であれば、病気から除外されます。
統合失調症と、その近辺の、
狭い意味での精神病は、
みんなと一緒でなければ、
いかなる人間の心理をも、
個々の症状であると、診断できます。
インチキ病の典型ですが、
性転換の実行を、性同一性障害と
診断するように、精神科は、
19世紀以来のインチキの陳列ケースであり、
そのことを自覚できる精神科医は、
情けない人生になります。
みんなと一緒の権力に、同意しない精神を、
手術や薬物により、
不可逆的に破壊しなければ、
医者の生計が、立ち行きませんから、
因果です。
精神病の事情を知れば、小学2年生でも、
瞬時に、インチキとわかりますが、
わからない人は、精神科医のように、
一生かかっても、わかりません。
IQ155くらいが、境界線かも。
徳川一族の軍事政権を、
薩長の勢力が、
力尽くで倒したのですから、
戦功のあった有力者が、日本を、
山分けできる立場にあったのは、
当然です。
殺し合いですから、
汚職もへったくれも、ありません。
文句を言う奴は、殺せば良い。
だれも、咎めません。
薩摩藩邸や加賀藩邸などの、
地方政権が、中央に設置した屋敷は、
徴税事務や軍務などの、
公務のための、公共施設ですから、
けっして、地方の支配者一族の、
私的な生活の場で、ありません。
妾(めかけ)を孕(はら)ませるのも、
大切な公務でしたが。
江戸時代は、中央の徳川氏だけでなく、
地方の権力者も、
軍事政権を敷いていましたので、
徳川氏の提示した条件を飲み、
停戦を維持する戦場の規律が、
軍人や兵員だけでなく、
民間の組織や物を、
支配する要(かなめ)の政策でした。
百姓や商売人や職人などの、
命を惜しむ人たちの、理不尽な社会は、
軍隊に奉仕するための、
奴隷の兵站(へいたん)に、
すぎません。
儒教の考え方に、反していました。
軍紀が、民間を支配するなどと、
孔子は、言いませんでした。
彼の考えは、臆病でしたので、
戦争を経験した者には、
通じなかったでしょう。
人は皆、死ぬのに、
命を惜しんで、何になる。
戦争を経験すれば、
だれでも、そう思います。
毛沢東は、持久戦論に、
平和は鉄砲を使わない戦争であると、
書いていました。
殺し合いの流儀により、徴税したり、
土木工事を実施したりするのは、
不合理ですが、
軍事政権は、世界中どこでも、
そうです。
それどころか、学校教育において、
軍事教練のない国は、日本だけです。
戦争の嫌いな、徳川家康は、
文民統治に、踏み切るべきでしたが、
戦争の大好きな、豊臣秀吉が、
太閤でしたので、
仕方なく、征夷大将軍を
所望したのでしょうか。
殺し合いに、肩書などは、
どうでも良さそうですが、
名前や顔だけで、
相手の戦意を、阻喪させられるのは、
哺乳類の威嚇のポーズと、同じです。
ウィリアム・アダムス
(William Adams・三浦按針)を、
士分に取り立てた徳川家康のお目当ては、
知的な興味や実用でしたが、
二代将軍秀忠の家臣団の時代になると、
取り扱い方が、邪険になりました。
本願寺のように、
宗教教団が、軍事力を行使するのは、
ローマカトリックも、同じでしたから、
一朝一夕に解き解(ほぐ)せませんが、
委細構わずに、日本列島に籠城して、
鎖国を実現したのは、
ヨーロッパが、遠かったからでしょう。
日本に、攻めて来い。
ざまあ見ろ。
貿易を求めるポルトガルの使者61名を、
処刑しています。
現代日本も、勝手に出入国ができませんので、
国境の管理と鎖国の識別は、微妙ですが、
大量の麻薬の受け渡しは、
現在でも、主に海と船により、
勝手に行なわれています。
港を管理できなかったインドは、
インドヨーロッパ人の
故郷(ふるさと)でしたから、
仕方ありませんが、
二代三代将軍の時代の日本には、
インドの成り行きが、深刻でした。
三浦按針の所領は、
三浦半島の横須賀にあり、
わたしも、
つい最近まで、暮らしていましたが、
娘夫婦に、住居を乗っ取られました。
徳川氏は、三浦半島の浦賀港を、直轄して、
商館を作り、貿易を行ない、
按針を、アドバイサーの地位に、
就(つ)けましたが、
90戸ばかりの領地は、
かえって負担になったかも知れません。
三浦按針は、
浦賀と横須賀と日本橋の間を、
往き来して、
後に、平賀に住み着きました。
わたしは、横須賀と品川の間を、
往復していましたが、
今は、港区のマンションに、
暮らしています。
普段は、
幼年期の火山灰地の、高台を避けて、
自転車に乗り、赤坂と品川駅前の間の、
麻布十番のような、
起伏の少ない低湿地を、
通勤のために移動しています。
わたしは、国道1号線に、
縁があるのかも知れません。
大阪も東京も、車の時は、
1号線を、よく使います。
同じ道筋に、指定されると、
単純な因果関係の物語のように、
理解されます。
まるで人生や人格や人権のように、
荒唐無稽ですが、
コンピュータも、そうであると、
理解できない人は、
精神科医や法律家に、近い。
ロマン主義は、
語源をこじつけるのと、同じような、
ニモニックにすぎませんが、
コンピュータプログラムと、
日常語の関係は、もっぱら、
文化的な定義により、成り立ちます。
けっして、プログラムの中に、
自然の規則性があり、
日常言語との関係が、
自然の法則を反映しているので
ありません。
脳の樹状突起と、
記憶や思考の関係も、そう。
人為的に定義されなければ、
いくら解読しようとしても、無駄です。
目黒や五反田方面からにしても、
霞ヶ関からにしても、1号線の
清正公前(せいしょうこうまえ)まで来ると、
加藤清正を信仰する理由が、難解なので、
よそ見をして、事故を起こさないように、
いつも、車の運転に、性根を入れ直します。
それにしても、同じ国道1号線なのに、
東京と大阪では、雲泥の差です。
東京は、往復8車線なのに、
大阪は、飛鳥時代の荷車の道が、
今も幹線道路です。
東京都港区の、東海道の街道は、
海岸線でしたから、現在の15号線に近く、
清正公前あたりの1号線は、
高輪台と白金台の間の、谷間に、
新しく作った道かも。
わたしは、六本木ヒルズの
スーパーマーケットでなければ、
清正公前あたりで、脇道に入り、
高松宮邸近くのスーパーマーケットで、
買い物をしてから、帰宅します。
高松宮邸は、
天皇の仮住まいになるそうですが、
うちのマンションの前の公園と、
同じ面積ですので、
近所のマンションから、丸見えです。
建物の中だけの、生活になるのかしら。
ただの人間個人を、
天皇として崇め奉る制度は、
時代錯誤のような。
そもそも、伝統文化を信仰するのが、変です。
人間個人の仕事は、
文化をぶち壊すことでないかと、疑われます。
変更不能になると、
生物の個体は、死にますから。
天皇制よりも、
日本国憲法の最大の問題は、
自衛隊かも知れませんが、
わたしは、人生や人格や法律などの、
ロマンティックな物語を、
少しも信じていませんので、
何が変更不能になり、
何を規則的と感じるかが、
最大の関心事です。
生物は、
変更不能になれば、死ぬからです。
わたしは、もうじき死にますが、
とりあえずは、
同じことが続くと、痛く苦しくなり、
意識が遠のき、眠ります。
それだけでなく、
繰り返しのパターンが同じですと、
眠たくなりますので、
言葉を使うことが、苦痛です。
文法が、イヤ。
それに、身体がイヤ。
心臓の鼓動のような、
身体の規則的な動きも。
東京は、藩邸の跡ばかり。
うちの前の公園も、
長州藩毛利家の下屋敷跡。
高松宮邸の高輪皇族邸は、
肥後細川家の下屋敷でした。
人生や人格だけでなく、
歴史や法則や法律は、大嫌い。
機械やコンピュータみたいな奴も。
法治主義や科学主義やロマン主義の、
機械のような規則性や、
神話のような物語は、
もう厭(あ)き厭き。
家庭や社会や自然や生殖も、要らん。
もうすぐ死ぬのに、
余計なものは、何も要らん。
女とカネと餓鬼。
持って行ってくれ。
癌で死ぬという奴の、
ブログを読んでも、おもしろくない。
世の中は、絶対に間違っている。
善悪の価値は、一番不要かも。
勧善懲悪は、うんざり。
要らんものばかりで、
世の中や人生を、作らないで欲しい。
変更不能になったものは、要らん。
わたしたちは、変更不能になった事を、
沈殿した物のように、
知覚しているだけなのに。
要らん物のリストを、見ています。
薩摩藩邸や長州藩邸や
天皇制や自衛隊などを。
大切なものは目に見えないと、
サン・テグジュペリの星の王子様は、
言いました。
言いました。
本当は、目に見えないだけでなく、
知覚されない。
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