スギの雄花 0061 精神病の廃止と、論理法則という知覚の遺伝形質

アレルギーの人は、困るでしょうが、私は平気です。
綺麗なもんだと、思いながら、眺めています。
 
スギは長生きする木ですが、
セコイアやメタセコイアと同様に、
化石の時代から、しぶとく生き残っています。
 
セコイアにしても、杉にしても、
放って置いても育ちやすく、病気に強く、
なかなかのものですが、庭木にするには、大きすぎる。
 
 
   ***    ***
 
 
精神病院の精神疾患の典型は、統合失調症ですので、
医師の言う精神病は、精神疾患の中でも、
治療と称して抗精神病薬を強制的に投与する種類の、
統合失調症や妄想性障害や躁うつ病などの、
狭い意味での精神病を指します。
 
広い意味での精神病は、精神疾患と同じです。
紛らわしいので、医師は、狭い意味でしか、
精神病という言葉を、使いません。
要するに、精神病は、統合失調症とその近辺の病気です。
 
 
統合失調症の症状は、診断基準に書かれている通りですが、
抗精神病薬の精神的な作用を、精神症状としています。
 
脳の機能全体が、強制的に低下させられることによる症状と、
その依存症や禁断症状などです。
 
精神病は、抗精神病薬の投与による病気であり、
それ以外の原因は、ありません。
 
 
   西欧では、すでに精神病院が廃止された国もあり、
   廃止の傾向は、はっきりしていますが、
   ロシアやアメリカ合衆国では、今なお盛んであり、
   今後20年以内に、廃止される可能性は、ありません。
 
   抗精神病薬を投与することにより、
   健常者を精神病にするのは、懲罰のためですが、
   裁判に依らずに、
   犯罪の証拠や証明が、皆無であるだけでなく、
   精神症状があったという証拠や証明も、皆無であり、
   精神科医の恣意により、
   ほとんど瞬時に、不可逆的な身体刑が、
   治療の名のもとに、執行されます。 
 
   精神医療は、
   憲法の、残虐な刑罰や私刑に相当しますが、
   基本的には、人格についての、殺人ですので、
   加害者の精神科医を、
   こまめに処罰しなければいけません。
 
   人口の1%が、精神病とされて、
   強制的に抗精神病薬を投与されますので、
   それだけの件数の、
   権力による殺人未遂罪が、看過されています。
   
 
抗精神病薬は、1日の所定量を、
2週間を超えて投与し続けると、
その作用が、精神病とされる基準に達します。
 
それ以後は、
毎日、所定量の抗精神病薬を補充しなければ、
陽性症状と言われる禁断症状が現れます。
補充し続けると、
陰性症状と言われる依存症が現れ、死に至ります。
 
本人の意思により、
個人的に抗精神病薬の服用を中止することは、
医師の協力がなければ、できません。
麻薬の依存症と同じ理由です。
 
強制的にやめさせるために、
医療施設が必要ですが、
精神病院は、抗精神病薬を強制的に投与して、
健康な人間を、精神病にする施設ですから、
精神病を治療しません。
 
 
   当然、精神病は治りません。
   作るときは、10秒で済みます。
 
   デポ剤と言われるロングライフの注射液を打つと、
   アンプル1本で2週間、2本で1か月間、
   効き続けますので、
   健康な人間に、注射1本を打つだけで、
   生涯の不可逆的な精神病が、完成します。
 
   精神病は、
   抗精神病薬の強制的な投与が、唯一の原因です。
 
   イタリアは、1980年代に、精神病院の廃止により、
   精神科と精神病と抗精神病薬の廃止を試みましたが、
   精神科医を懲罰しない方法は、笊(ざる)であり、
   さしたる効果はないと、思われます。
 
   ロシアやアメリカ合衆国が、
   精神病院による権力維持を放棄しないことから、
   わかるように、基本的に、
   精神病の診断と治療の禁止および懲罰を、
   医療制度に盛り込まなければ、
   医者の非行を根絶できません。
   抗精神病薬の廃止が、端的です。
 
 
世間一般の知能が、IQ150未満だから、仕方ない、
という意見もあります。
   
精神病には、合理的な診断の根拠がなく、
未治療の精神病があるとする論拠もないことから、
精神病は抗精神病薬の中毒であると、勘づくために、
IQ150以上の知能が必要であると、言うのです。
 
私は、医原病に気づく人と、気づかない人を、
知能検査により比較したことがないので、知りませんが、
東京大学医学部学生の平均知能が、IQ145程度ですので、
少し厳しい気がします。
 
その知能では、一般的に、事実を知る能力が、足りない。
 
精神医療の事情を説明して、
精神病が、偽りの病気であり、
本当は、抗精神病薬による医原病であると、講義すれば、
IQ145の学生は、十分に理解できますが、
その反対のことを、講義したにもかかわらず、
講義の内容が医療の実態に則しておらず、
証拠や証明がなく、
本当は、抗精神病薬の依存症が精神病であると、
気づくには、心もとない。
 
五十歩百歩ですが・・・
 
 
   刑事事件の判決を読めば、わかりますが、
   捜査当局の提出した証拠が、捏造でない、
   という証拠や証明がありません。
 
   これでは、裁判は底抜けですが、
   学術論文も、そう。
   実験データに嘘偽りがないと、
   読者には、わかりません。
 
   実験データが捏造でないと、証明しない論文は、
   眉唾と思うべきですが、
   疑わずに信じることの危険性に、
   学者は、少しも悩みませんので、
   疑う能力がないかも知れません。
 
   裁判のほぼ全部は、
   証拠が本物である、という証明がありませんから、
   子供のままごとと、大差ないことに、
   民衆のほとんどは、一生かかっても、気づきません。
 
   この差を、知能と言っても、仕方ないような。
 
 
抗精神病薬の作用は、ドーパミンやセロトニンなどの、
いくつかの神経伝達物質と関係がありますので、
精神病との関係を書いた論文が、5万とあります。
 
ドーパミンやセロトニンなどの、
神経伝達物質の過不足により、精神病と診断された患者を、
わたしは、1人も見たことがないだけでなく、
神経伝達物質の量を測ってから、
精神病と診断した精神科医を、1人も知りません。
 
未治療の初発の患者に、
精神病の症状があったという事実が、
証拠や証明により、確認された例は、
世界中を探しても、1例もありません。
 
精神症状が出ていた、とする記述は、
腐るほどありますが、
精神症状が出ていたのが、事実であると、
証明された例は、皆無です。
 
医原病でない精神病は、
世界中を探しても、1例も見つかりません。
幻の病気です。
 
言葉は、嘘かも知れないので、
証拠や証明がなければ、事実と確定できないことを、
理解できる人なら、精神医療の実態を知らなくても、
精神病に関する記述を読めば、すぐにわかりますが、
わからない人は、精神医療の現場で働いても、
死ぬまで、わかりません。
 
どのような証拠や証明があれば、事実とされるかが、
わかる人と、わからない人がいて、
刑事裁判が茶番であると、わからない法律家は、
一生かかってもわからないほうの、代表かも知れません。
 
 
    それなら、IQ145うんぬんの話のように、
    知能の問題かと言うと、
    それは、違うと、私は言っています。
 
    これこれの証拠や証明があれば、
    間違いなく事実であると、わかる仕組は、
    論理法則によりますが、
    ただの文法と違う理由は、
    世界共通であるからと言うよりも、
    知覚の仕組と同一であるからです。
 
    言語や文法や民族などを、
    超えているかどうかは、怪しいもので、
    むしろ、人により、
    論理法則の教条は、違いますから、
    大変です。
 
    言葉は、
    使用されるたびに、新しく定義されると、
    言い放った学者もいるくらいに、
    何が言葉の意味かを、だれが定義しても、
    権力を動員しなければ、
    個人的な拘束力しか、ありません。
 
    通じれば、問題ありませんし、
    通じなければ、力づくにならざらを得ません。
 
    事実と言われる知覚の内容は、
    一層完全に、個人的ですから、
    権力なくして、みんなの事実は確定しません。
    
    論理法則の教条は、
    遺伝形質の組合わせを、表わしていますから、
    個体により異なります。
 
    みんなに共通の事実を確定する裁判が、
    権力による遺伝形質の選別であることは、
    言うまでもありません。
 
    邪魔な奴や、嫌な奴を、精神病として、
    人格を殺しますが、
    刑事訴訟に乗せずに、闇から闇に葬り去るのが、
    中世欧州の手口でした。
 
    現在も踏襲しているのは、
    ロシアとアメリカ合衆国であり、
    アメリカの忠実な僕の日本は、
    精神病を使った権力維持の、
    世界最右翼と言われています。
 
    要するに、
    アメリカやソ連や日本などの新興国は、
    後進国であると言われるのですが、
    これらの国の民衆は、
    事実の証明を直感的に知覚する形質を、
    遺伝的に継承していない可能性が高い。
 
    
論理法則の個々の教条は、遺伝形質の組合わせですから、
個体により、知覚の内容や仕組みが違うように、
論理法則の中身も違います。
 
通常は1才までに、運用する能力が形成されて、
以後は、いくら勉強しても、向上しません。
瞬間的にわかりますが、
わからない人は、一生かかっても、わかりません。
色盲のようなものです。
 
他人の知覚を、検証することが出来ないように、
論理法則は個人的であり、
みんなに共通の論理法則を設けることは、
色盲の人を、間引くようなものです。
 
論理法則の個々の教条は、
200カ条ほど、提案されていますが、
人により、生まれつきに違う遺伝形質に、
共通のものを設けることは、
精神的な遺伝病の診断基準と、
ほぼ同じ意味になります。
 
いったい、どのような顔なら、
病気と言われるくらいに、
生まれつきに遺伝的に不細工であり、
健康なら、どのような要件を、
備えていなければ、いけないのでしょうか。
 
みんなに共通の論理法則を決めることは、
エステティックに似ています。
大きなお世話です。
 
論理法則が、刑事訴訟や精神医療で使われる理由を、
はっきりと、させなければ、いけません。
なぜ、それが、みんなに共通の論理法則であるか、
という根拠を、はっきりと。
 
嫌(いや)な奴を、間引く根拠を。
 
論理法則がなければ、本当に困るのでしょうか。
遺伝形質の組合わせを、選択することが、
何を意味するかを、忘れてはいけません。
 
昔は、白黒テレビや白黒写真しか、
ありませんでしたが、
白黒だからと言って、別段、不自由しませんでした。
 
ただの遺伝形質の組合わせを、
色盲だからと言って、間引くように、
論理能力が低いからと言って、
頭の悪い法律家や精神科医を、
刑務所や精神病院に、放り込むべきでしょうか。
 
事実を知らなければいけない仕事に、
就くべきでないかのようですが、
論理法則が事実を決めますので、
頭が悪くても、法律家や医師になるべきかも知れません。
 
論理法則は、事実や精神の、知覚の遺伝形質です。
 
個人的な知覚の内容と、
言葉やビデオなどの、コミュニケーションのために、
他人に伝えられるメディアの表現とは、
全然違うものであることから、
ロマンティックな思想のように、
個人と社会の一致を、理想とするのは、
論理的であるのか、ないのか、よくわかりません。
 
個人的な知覚の特定の内容と、
多数に共通のメディアによる特定の表現は、
同じであると、
そのメディアの使用により、自動的に定義されます。
 
これは、論理法則であるのか、ないのか、
よくわかりません。
 
何と何と何が、論理法則なのか、
論理法則の教条が、定まりませんので、
論理を使った訴訟や医療だけでなく、
事実や精神の知覚は、
権力の恣意でなければ、不確実です。
 
論理法則は、数学や科学技術のように、
流行文化の泡にすぎません。 
 
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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