逗子の、裕次郎の灯台ですが、
彼が活躍したのは、1960年代後半ですから、
去る者は日々に疎し、です。
若い子は、テレビの西部警察を、
思い出すかも知れませんが、
私は、見たことがありません。
映画俳優として名を上げた彼は、
金持ちの、やんちゃ息子が、
不良グループと関わりを持ち、
正義感を振り回す、というキャラクターでしたから、
不良でなければ、人気を得ません。
アメリカのウエストサイド物語も、不良でしたが、
貧乏ながらも、
中産階級の正義感に、染まっているのが、絶妙でした。
石原裕次郎は、
初めて、脚の長さを売りに出した俳優ですから、
華奢ですが、
黒部の太陽で、イメージチェンジに成功して、
大人っぽくなりました。
生まれつきに、病気がちの体質でしたから、
大人っぽいイメージは、夢だったのかも知れません。
私の兄の1人も、
やんちゃな裕次郎に、首っ丈でしたが、
若くして死にました。
自分でわかるようです。
若死にする人は、性急な判断を好みますから、
常識人には、魅力的かも知れません。
私は、横須賀に暮らしていましたので、
休みの日に、逗子や鎌倉や葉山まで、
よくウォーキングしました。
慎太郎の建てた裕次郎の灯台の見える記念碑は、
いつも観光客で人だかりでした。
兄貴のほうも、もう年ですから、
元気なことは言えません。
兄弟揃って、忘れられる日も、
遠くないでしょう。
年を取ると、皆、身体だけでなく、
知能も、足りなくなります。
60才を超えると、知的障害ですから、
車の運転だけでなく、
医業の従事を禁止すべきと、思います。
*** ***
6年間も、日記のように書き続けたブログを、
livedoorに移入したのは、
予期しなかったバクーへの出張が、
1年半に及んだからです。
海外滞在中の、日本国内の事務が滞り、
近親者の死や、銀行取引の停止を、
帰国後に知りました。
戸建住宅の自宅が、子供や孫に占拠されて、
東京で暮らすために、
私自身のマンションが、必要になりました。
私の人生を、独断で運営して来ましたので、
私がいなくなれば、誰も代行できません。
IDやパスワードがなければ、
コンピュータの決済を、家族は知りませんが、
私も、覚えていませんから、
コンピュータやインターネットが、頼りです。
これでは、
宗教を信じていないのに、死ねば往生します。
職業が石油でないのに、
石油のためにバクーに行き、
宗教家でないのに、
教団を相続したようなものです。
大阪にマンションがあるのに、
東京にマンションを買いました。
父がフロリダで死んだのを、誰も知りません。
母が、上海で暮らしているのに、
母の家も、大阪にあります。
処分したくても、
事実婚や養子の事情は、複雑です。
何よりも、身体がしんどい。
頭を使うのが、嫌(いや)。
少年時代は、
頭の悪いのが、大嫌いでしたが、
結婚した夜から、
別れることが、人生の課題になりました。
頭が悪くなりたいと、星に願いました。
自分にわからないことよりも、
他人にわからないことのほうが、悩ましく、
瞬時にわからなければ、
一生かかってもわからないことを、
私や他人は、どうしようもできません。
家族が他人であるのは、
言うまでもありませんが、
家族は他人でないと、信じる理由が、
悩ましい。
日本国憲法を読み、
これを書いた作者の知能指数が、わかっても、
憲法を守らなければいけない、
とする進駐軍の野蛮を、どうしようもできません。
道徳や文化や社会を、守らなければいけない、
とする理由がない。
人を殺して、報復されても、
人を殺してはいけない、という理由にならない。
道徳が世界共通なら、
戦争や喧嘩は起こらないはずですが、
道徳は、イスラム国がアラーアクバルと唱えて、
人を殺すのと、さして変わらない気がします。
大切なことは、
勝手気ままに人を殺したり、
盗んだり、騙したり、
法律で禁じられていることを、
行なう自由であり、
個人の、基本的人権と言われる能力の、
社会による保障です。
人を殺す自由や、嘘をつく自由や、
仕返しをする自由などを、
憲法や道徳が、禁じては、いけません。
この自由があるから、
個人は尊重されますが、
この能力がなければ、
虫けらや、寝たきりのように、
粗末に扱われます。
嘘をつく能力や、人を殺す能力を、
社会は、
介護してあげなければ、なりません。
殺したり、報復したりするために、
やくざのような介護者が、必要であると、
気づかなければいけません。
社会は、個人の自由を、保障すべきです。
殺したことや、騙したことや、
嘘をついたことなどは、犯罪や病気でなく、
それを理由に、逮捕したり入院させたりして、
個人を懲罰したり、
脳を破壊したりしてはいけません。
コンピュータや虫けらが、嘘をついたからとして、
懲罰したり破壊したりするのは、
噴飯物であるように、
日本国憲法の作者は、個人を責めてはいけないと、
瞬時にわからなければ、
一生かかっても、わかりません。
個人の人格や、勧善懲悪の価値などの、文学は、
法律の規定すべきことでありません。
憲法だけでなく、刑事法や民法が、
社会の問題外の規定であることは、
コンピュータのプログラムを見れば、明らかです。
刑法や民法により作動するコンピュータは、
流行しません。
電気モータや内燃機関が、
筋肉の肩代わりをしたように、
脳を代行するコンピュータに
必要なプログラムが、
憲法や刑法や民法であるとは、思えません。
人間の身体と脳のために、何が必要かを、
日本国憲法が知らないのは、
19世紀のロマン主義を、
標榜しているからです。
マルクス主義を含めて、
彼らは、コンピュータを知りませんでしたが、
ロマン主義に疑問を投げかけた考え方が、
現代のコンピュータを作りました。
脳の肩代わりをするコンピュータを、
誰が操作するのかと、問いません。
法律は必要ありませんから、
憲法や刑法や民法も、なくなります。
法治主義でなく、
プログラム主義と言うべきかも知れませんが、
脳の機能とコンピュータの関係が、
わからなければ、
法律家が失業するのは、当然です。
機械が普及しても、
医者は失業しませんでしたが、
筋肉と脳の場合が、同じとは、思えません。
古いブログは、著作権に抵触するために、
公開禁止になりましたが、
歌詞を掲載しただけの理由です。
livedoorでは、歌詞掲載が許されていますので、
歌詞のページにリンクして置きます。
今まで、手が回りませでしたが、
ようやく、livedoorのアドレスに、
リンクを置換する気になりました。
Microsoftの
インターネットエクスプローラで開くと、
空白行が詰まって表示されるので、
手直しが億劫でした。
ブログの移行に伴い、
デザインに不備が出て来ますので、年寄には辛い。
目が疲れやすく、
デザインのような若い女の子の特技や、
CSSやHTMLのような、青少年の趣味から、
できるだけ遠ざかりたいのが、本音です。
右フレームに、貼付けて置きました。
リンク切れが多く、
暇があれば、youtubeの音楽を聴き、
ビデオファイルを差し替えるつもりです。
オペラのアリアと二重唱、ジャズが、中心です。
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