シマトネリコ 1985 酒鬼薔薇君や性同一性障害者など

シマトネリコは、街路樹向けの苗木が、
たくさん生産されていますので、
新築家屋の庭に植えれば、安上がりです。
 
樹木でなく、歩いた町並みを、撮りましたので、
木の種類を、同定しませんでしたが、
帰宅して、写真を見れば、
右がシマトネリコ、左はクスノキあたりが、
相場でしょう。
 
ずいぶんと、いい加減ですが、
生物は、植物と動物を、問わずに、
近縁の種(しゅ)と種が、簡単に交雑しても、
不思議でありません。
 
子孫が、元気に生き残る可能性は、少なく、
繁殖能力が無いかも知れませんが、
野生の人間は、近縁の種と、まったく交雑不能です。
 
植物は、動物よりも、遥かに簡単に交雑しますが、
やはり、子孫の生き残る可能性が、少なく、
長期間の後には、交雑種の子孫が、絶えてしまいます。
 
ところが、長期間というのが、厄介で、
植物の種子は、
発芽せずに、何千年も、生き残る奴がいますし、
樹木は、何百年も、生きる個体がいます。
 
簡単に出来る交雑種の子孫が、自然に絶えてしまい、
種(しゅ)の境目(さかいめ)が、
安定しているかって、そう簡単には、わかりません。
 
それでも、種類ごとに、名前が付いていますから、
わたしは、
こいつらが、互いに生殖できるのか、できないのか、
あるいは、
長期間の後に、子孫が絶えるのか、絶えないのかを、
知りたくて、仕方ありません。
 
それを識別するための、
花や葉っぱなどの、形の違いなら、
確かに、種(しゅ)の識別点ですが、
そうでない形の違いは、
もしかしたら、種を識別していないかも知れないと、
疑いたくなります。
 
マルバアオダモの葉に、鋸歯(きょし)がないと、
書いてあっても、
鋸歯があるから、マルバアオダモでないと、
判断するのは、間違いかも知れません。
 
同じように、毛や翼が、有るとか無いとか、
花びらや雌しべや雄しべが、何枚何本、
子房が、上位とか下位とかって、言い出すと、
切りがありません。
 
顔が猿でも、人間かも知れないでしょう?
子宮が2つあれば、人間でないのかしら。
 
遺伝子が、人間であるとか、ないとかも、
表現形を識別して、
DNAの蛋白質の、組み合わせの意味を、
暗号解読のように、解釈します。
顔が猿なら、人間でないのかと、
議論しなければ、いけないのと、同じです。
 
両親が人間でも、組み合わせの結果は、
原生動物かも知れません。
生殖の時に、余計な遺伝情報が、脱落した… 
 
雄のライオンと、雌のトラの、
ライガーと呼ばれる子のように、
寿命が短く、繁殖能力がないので、
心配しなくても良いのかしら。
GID(性同一性障害)も、杞憂(きゆう)なのかしら。
 
ライガーは、ライオンやトラでなく、
GIDは、人間でないから、
ライガーや精神障害と、言われるのかも知れません。
 
どうせ繁殖能力が無いので、名誉人間とか。
日本人は、南アフリカやナチスドイツで、
名誉白人や名誉アーリア人と、言われていました。
 
精神障害者は、名誉人間かも知れません。
 
表現形を見ても、遺伝子を見ても、
種類はいつも、便宜的にしか、分類できません。
絶対的な生物の種(しゅ)が、あると、
思っている人は、あほです。
 
区切りや名前の、付け方は、便宜的でも、
進化系統分類は、
生殖と世代交代の、道筋や枝分かれを、再現して、
自然の歴史の通りに、分類すると、
思っている人もいます。
 
何に着目するかにより、
再現されるものが、違って来ますので、
DNAを構成する蛋白質の、
組み合わせや並び方を、再現するだけでなく、
ありとあらゆる粒々(つぶつぶ)を分類するって、
できるのかしら。
 
どうしても、何かを主張するように、
特定の何かを、表現することしか、できませんから、
自然科学は、文学と似たような修辞学を、
超えられないので、ないのかしら。
 
ありとあらゆるもののうちの、何かに着目するって、
何かを捏(でっ)ち上げることと、
同じでないのかしら。
 
自然に見える知覚の仕方は、
品種改良されたブルドックやダックスフンドのように、
特定の流行文化が、純化されただけであるのは、
火を見るよりも、明らかです。
 
     ***          *** 
 
ホームページを作った酒鬼薔薇(さかきばら)君が、
有料のメルマガを、配信しようとしたら、
邪魔が入りました。
 
今回は、嫌(いや)がらせでないかも、知れませんが、
これでもか、これでもかと、
死ぬまで、嫌(いや)がらせを受けても、当然です。
 
一戸建てに住めば、放火されるでしょう。
 
犯罪や、犯罪の履歴を、売り物にすれば、
憎まれますが、
精神の病気のせいとなれば、笑われて馬鹿にされて、
社会の底辺のあほが、津波のように、押し寄せて、
日本のどこにも、住めなくなるかも、知れません。
 
酒鬼薔薇君の個人情報を、
プロバイダーが漏らしますから、
彼は、不特定多数のアクセスの中に、
紛れ込んでいるはずですが、
出版社や銀行や役所が、バラす可能性も、高い。
 
     佐川一政君が、自分のように生きろと、
     アドバイスをしたそうですが、
     酒鬼薔薇君や宅間守君が、殺したのも、
     小学生や、女の子や、
     軽い知的障害の男の子などでした。
 
     弱そうな、罪のない人間を、餌食にします。
 
     従順であるけれど、愚鈍であるように、
     知的障害者を、
     上手(うま)く療育するのは、困難です。
     
     従順で居られるのなら、
     知的障害でありませんから、
     統合失調症に似た症状が、出て来るのは、
     覚悟して置かなければ、いけません。
     軽ければ軽いほど、そうなります。
 
     もっと軽ければ、健常と言われるように、
     もっと危険な人間に、育ちます。
     
酒鬼薔薇君が、弱い女の子や、軽い知的障害者を
殺したのは、似た者同士の共食いのように、
自分で、自分の一部を、殺したも同然に、見えます。
 
佐川一政君も、自分の何かを殺して、
切り捨てたり、食べたりして、
処分せざるを、得なかったのでしょう。
 
性転換をする人は、
自分の心の、いくばくかを殺せば、
心地良い自分になれる、という思惑(おもわく)を、
捨てられません。
 
     彼らが殺そうとした自分の一部は、
     癌のように、悪性でなかった可能性が、
     高い。
 
     ただの鏡のように、みんなの心や文化が、
     映っていただけです。
 
     男なら、これこれの心とか、
     女なら、これこれって、
     みんなの文化でしょう?
 
     自分の体の部分を、捨てる必要は、
     何もなかった。
 
     脳を含めて、体と言われる鏡に、
     みんなの文化が映るので、
     自分の心と言われるものが、
     脳や体にあるように、自覚されます。
 
     心の一部を、自分の本当であると、
     確信して、
     他の不快な一部が、自分の心でないと、
     感じられます。
 
自分の、脳や体と言われる鏡の一部を、
壊してしまうのは、
みんなの文化の、部分と部分の、争いでないのかしら。
     
みんなの心と心の、文化的な争いの代わりに、
自分の体の、部分と部分が、
共食いの殺し合いを、演じるのは、
たぶん、精神の病気です。
 
代理戦争ってやつで、
ベトナム戦争が、そう言われました。
 
みんなの文化が映る鏡を、割る必要は、何もなかった。
この鏡は、自分の体であり、
映っているのは、みんなの文化であったのに…
 
     何が心で、何が自分で、何が体で、
     何が文化であるかを、間違えると、
     酒鬼薔薇君や、佐川一政君や、
     性転換をする人たちのように、
     精神の病気と、言われます。
 
     整理整頓が、上手(うま)く行かないのは、
     軽い知的障害や、
     統合失調症になりやすい素質と、同じです。
     
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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