泰山木(たいさんぼく)の品種のようですが、
実生(みしょう)で育てた苗に、
細葉泰山木(ほそばたさんぼく)の名札を付けて、
売り込んでいるだけかも。
大きな図体の樹木は、日本の庭木になりません。
プチサイズですから、大丈夫ですよと、
嘘をつくための名前が、ホソバタイサンボクだったり…
*** ***
人のことを、頭が悪い悪いと、言うので、
わたしは、何度も怒られています。
何が賢く、何を、あほとするかって、
そんなもん、人それぞれの、自由な思想ですから、
いくら考えても、正しい答えは、出ません。
人が、何を賢いと考え、何をあほと考えているかは、
その人に聞けば、わかりますから、
たくさんの人が、どう考えているかは、
たくさんの人に聞けば、わかります。
みんなが、賢いと考えていることを、
したり言ったりする人は、
みんなに、賢いと言われますし、
あほと考えられていることを、すれば、
みんなから、あほと言われます。
当たり前です。
何を賢いとして、何をあほとするかが、
人それぞれの、自由な思想であっても、
世間では、何が賢く、何があほかは、
歴然としています。
みんなが、どう考えているかって、
調べなければ、わかりませんが、
数字やマルペケと同じで、
統計は、コンピュータが得意です。
憲法は、みんなの判断であるか、
否(いな)かって、
コンピュータに、
どうやって、プログラムを入れるのかしら。
精神の病気の中の、
知的障害やアスペルガーや
統合失調症や認知障害やGID(性同一性障害)
などだけでなく、
世間一般の、ほとんどの人たちは、
みんなの判断の中身が、わかりません。
コンピュータが役に立ち、流行したように、
マスコミの報道や憲法に、
牛耳られなければ、わからないのは、
コンピュータと同じ判断の手順を、
人間が実行できないからです。
あいつらは、
ものすごい量の、単純なマルペケの判断を、
ものすごい速さで、実行しますから、
バックホウ(backhoe)やブルドーザーが
筋肉の代わりに、役に立つのと、同じです。
単純な奴隷労働は、
機械にやらせて置けば良いって、
わからない人は、
奴隷や機械よりも、劣ります。
電気やプログラムなどの、
技術的な専門知識の有無でなく、
コンピュータの仕事を見て、
単純な判断の、
積み重ねや組み合わせなどであると、
わからなければいけませんが、
数学の理解と、同じですから、
ほとんどの人は、わかりません。
いくら、ノートに記述して、
頭の中を整理しても、
ある程度を超えて、複雑になると、
わからなくなります。
単純な判断なのに、
ノートに書き出して、わからなければ、
算盤(そろばん)やコンピュータを
使っても、
わからないのは、当たり前です。
コンピュータの作業は、
部分ごとに、ノートに書き出して、
猛烈な速さで、繋ぎ合わせますから、
人間の手作業が、間に合わないのは、
速さと、ノートの量が、足りないだけです。
ノートは、
100円均一で、3冊も買えますから、
ゆっくりと行えば、良いではないか。
お金は心配するなと、言われても、
人間は、やっぱり、
途中で、筋書きがわからなくなります。
コンピュータは、
判断の手順が失われないように、
プログラムが、固く保護されていますが、
人間は、面倒臭くなると、
プログラムが消えてしまうように、
脳のほうを保護します。
マルペケの枝分かれが多くなり、
ぼさぼさしていると、
消えてしまうプログラムを、
消さないように頑張ると、
ジョン・ナッシュみたいに、
統合失調症になるかも知れません。
世間一般のほとんどの人が、あほなのは、
コンピュータにならないように、
脳の保護回路が、作動するからで、
ないのかしら。
あほのほうが、賢い。
コンピュータみたいに、
プログラムを守るために、
脳味噌が機能する奴は、危ない。
わたしは、できるだけ、努力しないように、
心掛けています。
生まれつきの能力だけで、生きるのが、
一番楽ちんで、精神的に健康です。
うちのお父さんは、生まれつきに、
IQ70の、知的障害でしたが、
2枚目俳優よりも、美男でしたので、
顔を貸すだけで、
死ぬまで、賢いと言われて、
頭を使わずに、生きていました。
脳は、自動的に無意識に機能しますから、
努力しなければ、覚えられない言葉は、
覚えないほうが、幸せかも知れません。
統合失調症の半分くらいの人は、
人生を経験すればするほど、あほになり、
努力すればするほど、
精神の病気が、深刻になりますから、
経験を積み重ねないほうが、良い。
残りの人は、経験しようが、しよまいが、
ひとりでに、病気が進行して、
認知障害と言われるようになります。
GIDは、統合失調症のうちの、
あまり進行せずに、症状の軽い人たちに、
似ています。
人生経験を、積み重ねないほうが、良い。
人それぞれに、判断の枝分かれの数が、
どれくらいの量になると、
全体のあらすじを見失うかって、
能力の限界が、生まれつきに決まっています。
この限界量は、
ノートや算盤(そろばん)やコンピュータなどにより、
人間の脳みその機能が、肩代わりされても、
能力が、向上しないだけでなく、
実際の理解が、一層複雑になることも、ありません。
どうして、科学技術を使用しても、
能力だけでなく、実際の理解が、向上しないのかしら。
気象観測のデータから、
天気予報を弾(はじ)き出すのは、
大量の演算だけでなく、
それなりに複雑な判断の枝分かれを、実行しています。
コンピュータの天気予報を知っても、
人間の論理能力が、向上しないのは、もちろんですが、
より複雑な判断を、使用できるようになることも、
ありません。
俺は、コンピュータの複雑な判断の結果の、
天気予報を実用していると、思っている人は、
あほです。
ユンボを使えば、実際に人間の使える力が増しますが、
コンピュータを使っても、
人間の使える判断の複雑さは、増しません。
いくら複雑な判断の結果の、天気予報でも、
判断の手順が、わかっていなければ、
ただの単純なお題目と、同じですから、
ようするに、論理能力の低い人たちのために、
論理能力の高い人たちが、コンピュータを使い、
餌(えさ)を撒(ま)いただけです。
コンピュータは、自動給餌器なの。
天気予報は、餌。
パワーショベルのような、科学技術を使えば、
筋肉の代用になるのに、
他人やコンピュータを使っても、
脳の代用にならないのは、当たり前です。
脳の機能って、個人主義のように、
個体の単位で、評価されますので、
コンピュータの判断の結果だけでなく、
算盤(そろばん)やノートを使い、
計算の答えを出しても、身につきません。
もしも、筆記算の能力が、論理能力を現していないと、
理解していたら、
一流大学医学部出身のGID(性同一性障害)が、
アスペルガーや統合失調症や認知障害などと、
言われるのも、特に不思議に、思わなかったでしょう。
御本人が、一番不満のはずです。
俺は、アスペルガーでない!
わたしは、日本の同年齢の大学受験能力では、
右に出る者はないと、確信していましたが、
いつも、籠城や放浪や殺し合いの世の中を、
生きる算段に、明け暮れていました。
そうでなければ、自分っていう気持ちが、
物凄く負担になりました。
自分なんか、なくても良いのに、
糞ったれの文化のせいで…
しかし、言葉を喋るように、
自分という気持ちを使わなければ、生きて行けません。
面倒臭い文化です。
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