ハナシュクシャ 1955 規則性を備えた素質

こんな外来の草花を、だれが植えたのかは、
知りませんが、
たしかに、葉が大きく、家庭の花壇では、
持て余します。
 
山の中の、小さな川岸の、砂地に咲いていました。
夕方ですが、香りが強く、思わず、立ち止まりました。
 
ショウガ科(Zingiberaceae)ですが、
そうと、わかる人は、植物好きです。
 
食べる生姜(しょうが)も、ガーデニングの方面では、
一括して、ジンジャーと呼ぶようです。
 
シュクシャは、漢方薬の縮砂ですが、
それに似ていることから、名付けられました。
それも、ジンジャーから、来ているのかは、
知りません。
 
     ***          *** 
 
このブログは、
精神医学から見たと、題名に書いたので、
精神医学を書けと、怒られますが、
日本から見たアメリカって、
日本を書かないと、いけないのかしら。
 
()の中に、
発達障害と統合失調症と、書いてある通りに、
それと関連付けて書いています。
 
ほんとは、精神の病気の中でも、
原因となる器質的な病変の、わかっていない種類を、
病気と言うのは、簡単でありませんが、 
わかっていないから、精神の病気と、
言うのかも知れません。
 
統合失調症は、ドーパミンうんぬんの、せいであると、
薬屋さんは言いますが、
興奮すれば、だれでも、そうなりますから、
興奮が癖になるのは、原因でなく、結果でないかと、
疑われます。
 
少なくとも、ドーパミンは、
病気を、器質的に捉(とら)えている、
という主張も、ありますが、
興奮や、興奮の習慣が、統合失調症でありませんし、
妄想や幻覚や支離滅裂などと、
文学的に表現される心が、統合失調症でもありません。
 
実際に、妄想や幻覚や支離滅裂などは、
論理能力の低い世間一般の人の、ほとんどの人の心と、
同じです。
 
論理能力が低ければ、
心が、妄想や幻覚や支離滅裂でないことは、
不可能です。
事実がわからなければ、そうならざるを得ませんが、
知覚に組み込まれている能力が、
生まれつきに欠如しているのは、
本人の責任でありません。
 
この能力は、生涯に渡り、向上しませんから、
妄想や幻覚や支離滅裂と言われて、
精神の病気とされるのは、
具体的な中身が、みんなと一緒でないからです。
 
それは病気でなく、犯罪でないかと、疑われますが、
本人のせいでないことを、犯罪として憎む気持ちも、
本人のせいでないのでしたら、
共食いのようなものです。
 
社会の底辺の共食いと、言えば、怒られますが、
論理能力の無い者同士が、
犯罪者になったり、警察官になったりして、
殺し合ったり、間引き合ったりしているのを見ると、
論理法則とは何かって、一目瞭然です。
 
権力の教条が、知覚の仕組みになるように、
品種改良されたものかも知れません。
ブルドックの顔や、ダックスフンドの胴や足のように、
論理能力の高い人の、知覚の中身は、
いつも、そのように規則的であり、
そうでない人は、無能と言われているだけとか。
 
これこれでなければ、いけないと思い、
言うことを聞かん奴を、
やっつけなければ、気が済まないのは、
憲法や数学であっても、
お金や面子(めんつ)や愛や科学技術であっても、
精神の病気と、五十歩百歩に見えます。
 
薬屋さんの説は、
みんなと違う奴を、差別虐待する主張でないかと、
疑われます。
薬屋が、統合失調症の原因であり、犯人でないかと。
 
実際には、みんなと違う奴を、やっつけなければ、
世間一般の生活が、成り立たないのは、
シリアイラクのIS(イスラム国)を、
やっつけなければ、
欧米風の生活が、成り立たないのと、同じです。
統合失調症は病気でなく、敵かも知れません。
 
大阪教育大学の宅間守君を、
精神科医が死刑にしてから、
日本でも、生まれつきの精神障害者を、
積極的に間引く考え方が、勢力を伸ばしました。
 
精神科の自滅ですが、
昔のドイツも、そうでしたように、
経済が苦しくなると、治安維持が野蛮になります。
共食いがひどくなるの。
 
もっと昔に、佐川一政君が、
パリのオランダ人女子学生を食べた時に、
すでに、日本の精神科は、左前になっていました。
 
彼は人格障害なので、責任能力があり、
処罰しなければいけないと、精神科医は言いましたが、
その後の、彼を見れば、わかるように、
責任能力がないとしたほうが、たぶん、正しかった。
 
人食い人間が、元気に生きていたほうが、
世の中が、楽しくなるのに、決まっています。
こんなことぐらいが、わからん奴は、あほですが、
殺したり傷つけたりしないで、食べるのは、
簡単でありません。
 
オランダ人の味方になり、日本人を処罰しても、
何も、得にならない気がします。
 
食べられた女性は、絶対に佐川を殺してやると、
思ったことでしょうが、
気違いの味方が、だれもいないのに、
死者の味方になる奴が、一杯いるとしたら、
変な世の中です。 
 
     精神の病気の原因って、
     原因のまた原因がありますから、
     きりがない気がしますが、
     とりあえずは、痛く苦しくなくなれば、
     悪くありません。
 
     こっちの、痛みや苦しみが、なくなると、
     あっちに、新しい痛みや苦しみが、
     出て来て、もぐら叩きみたいに、
     なりそうな気もしますが、
     あっちとこっちが、
     同じ人の、心の内であったり、
     別の人であったりします。
 
     性同一性障害や統合失調症だけでなく、
     発達障害のほとんども、
     器質的な仕組みが、わかっていないように、
     原因と結果という捉え方が、
     インチキかも知れません。
 
     お釈迦さんは、因果関係を知るのが、
     得意でしたのかも知れませんが、
     時間的な順番の中でも、
     入れ替わることのないものを、
     そのせいで起こったと、言います。
 
     たくさんの順番が、
     変更不能になっていますから、
     どの規則性を、原因と結果と言うのかって、
     結果の起こる確率を、比較するのでなく、
     単に、見ている人のほうが、
     特定の規則性しか、認識できない自分の、
     変更不能な素質を、主張しているだけかも
     知れません。
 
     原因と結果は、見ている人のほうの、
     生まれつきに変更不能な、規則性の素質を、
     主張していると、お釈迦さんは言いました。
 
     自分のことを、自分が見て、
     自分以外の物事(ものごと)の、
     原因と結果を主張するって、
     あほですけれど、
     人間の意見は、全部が、そうです。
 
     生まれつきの変更不能な素質を、
     どのようにして、変更するのかって、
     問題でしたが、
     ブルドックやダックスフンドの、
     品種改良のように、世代交代をすれば、
     素質の組み合わせが、変わります。
 
     特定の組み合わせを、選ぶように、
     純化すれば、
     生まれつきに備わった規則性という素質を、
     変更することができると、
     昔の人は、考えました。
 
     生まれつきの素質を、
     作っている素質があり、
     根本の素質の、組み合わせから、
     生まれつきの素質が、派生するって、
     古代インドの考え方が、
     古代ギリシャの粒々(つぶつぶ)主義に、
     受け継がれました。
     
     原子論ってやつ。
     数学のマルペケ主義と、同じ意味です。
 
     特定の素質の組み合わせを、選び出して、
     純化するのは、流行文化であってはならず、
     知恵でなければいけないと、
     お釈迦さんは主張しました。
 
     数学や物理化学が、
     典型的なレトリックであるように、
     知恵も、ただの文学ですが、
     考える葦のパスカルみたいに、
     人間はあほですから、仕方ありません。
 
     生まれつきの変更不能な素質って、
     体の特徴は、すぐにわかるのに、
     体の能力は、なかなかわかりません。
 
     知能は、体の能力ですけれど、
     女は、空間把握能力が低いそうです。
     男も、低い奴は低いけれど、
     全体として、女よりも、
     高いほうに、ズレています。
 
     地図を見ると、
     山々の地形の輪郭が、わかります。
     この尾根のハイキングコースを歩けば、
     たぶん、こういう山並みが見えて、
     この山は、何々、このピークは何々って、
     地図に書いてある通りに、
     実際の眺望を、確認できます。
 
     ハイキングコースは、谷を渡ったり、
     尾根を乗り越えたりしますから、
     そのたびに、見える景色が変わります。
     3000メートルの稜線に出ると、
     360度の山々が、丸見えになります。
 
     地図の精度の許す限りに、
     シミュレートした通りに、
     実際の山並みの起伏が、見えますから、
     晴れた日でしたら、
     なかなか、道に迷いませんが、
     体がしんどいと、簡単に道に迷ったり…
 
     地図を見て、
     立体的な地形を、シミュレートするって、
     頭を使う必要は、何もありません。
     地図を見るのが、楽しいぐらいですから、
     地形を思い浮かべるのが、
     痛く苦しいってことは、まずありません。
 
     空間把握能力と、同じです。
 
     地図を、生まれる前に、
     知っているはずが、ありませんし、
     等高線なんか、赤ちゃんは、
     見たこともありません。
 
     第一、赤ちゃんが、等高線を見て、
     大人と同じように、等高線が見えるのは、
     1才ぐらいからですので、
     赤ちゃんは、等高線を読めるはずがない。
 
     でも、4才くらいの時に、
     生まれて初めて、
     等高線のある地図を見た瞬間に、
     立体的な地形が見えるだけでなく、
     その登山道を歩けば、
     こういう山並みが見えて、
     稜線に辿(たど)り着けば、
     景色がこう変わるって、
     ちゃんとシミュレートできます。
   
     何の、痛みや苦しみも、ありません。
     この線は、
     同じ高さのところを結んだものと、
     説明を受けるまでもなく、
     等高線を見た瞬間に、
     立体が見えるだけでなく、
     この道のここからは、
     この山が見えるとか、見えないとかって、
     だいたいの見当がつきます。
 
     なんで、生まれて初めて、
     等高線入りの地図を見て、
     いきなり、地形が目に見えるのかしら。
 
     生まれつきに備わっている変更不能な
     能力に、依拠しているからなの。
     等高線は、
     その能力を、準(なぞ)るように
     作られましたから、
     免疫機能と似たようなものです。
 
     自分の生まれつきの素質と、
     同じ素質を、識別する手段なの。
     規則性が同じですと、男と女みたいに、
     ぴたっと、嵌(は)まります。
 
     この素質の無い人は、
     一流大学の医学部の出身でも、
     等高線入りの地図から、
     立体が見えません。
 
     この能力の低い人は、
     等高線入りの地図から、
     山の立体は、見えるけれど、
     ハイキングコースのここから、
     周囲の山や谷が、
     どのように見えるかって、
     頭に浮かびません。
     ハイキングコースを歩けば、
     山の眺望の、変わって行く様子が、
     動画のように、シミュレートできません。
 
     論理能力は、空間把握能力と、
     別ですけれど、
     生まれつきに変更不能な素質である点では、
     同じです。
 
     論理能力の高い人が、
     毎日毎日、4~5時間も、
     個人的に受験勉強をしなければ、
     一流大学の医学部に、
     入学できないってことは、まずありません。
     
     大学の入学試験って、論理能力のほかにも、
     いろいろな能力を、測っていますし、
     生まれつきの変更不能な能力だけで
     ありませんから、
     絶対と言うわけでありませんが、
     だいたいは、大学受験って、
     勉強をしても、わからなければ、
     成績が伸びませんので、勉強が苦しく、
     嫌(いや)で嫌で、
     堪(たま)らなくなるのが、健常です。
     
     わからないくせに、
     4~5時間も勉強する奴は、
     精神の病気の、嫌疑が掛かります。
 
     そんなもん、
     生まれつきに変更不能な能力が、無ければ、
     わからないことは、生涯、わからないのが、
     当たり前です。
     いくら勉強しても、能力は向上しません。
 
     生まれつきの素質って、
     生まれつきに備わっている規則性なの。
     体の中に持っている規則性を、
     わたしたちは、知覚しますから、
     規則的でないことは、知覚できません。
 
     ただ生まれつきというだけでなく、
     生まれつきに変更不能な規則性とか、
     生まれつきに習得不能な規則性とかが、
     幾つも幾つも、ちゃんと見えていますか。
    
     規則性なら、習得できそうな気がしますが、
     ほんとに、習得不能なのかって、
     本気で試してみる人生を、
     どれくらいに、経験しましたか。
 
     論理能力が無くても、
     論理の規則性を、習得できるのかしら。
     能力って、高いとか低いとかでなく、
     有るか無いかの、マルペケかも知れません。
     どこまで、粒々を細かくすれば、
     そうなるかを、一々確認しましたか。
 
精神の病気になる人って、
記憶を、うまく整理整頓できませんから、
嘘や間違いを、吹聴されると、混乱します。
事実を識別できません。
 
生まれた後に、これは本当で、これは嘘と、
教え込まれれば、
それを基準に、物事(ものごと)を整理しますから、
立ち行かなくなります。
 
どうして、嘘や間違いを信じたのかって、
自然科学や憲法だけでなく、
他人や社会の判断する流行文化は、
言葉や数式などにより、伝えられた嘘や間違いを
組み合わせて、成り立っていますから、
生まれつきの規則性が無ければ、
評価のしようが、ありません。
  
嘘や間違いって、
生まれた後に作られた定義なの。
 
生まれつきの規則性も、体の器質や仕組みとして、
作られた定義ですけれど、
言葉や数式は、流行文化であっても、
体は、変更不能ですから、わけが違います。
 
そんなもん、体の言うことを聞かんと、
痛く苦しくなるのは、当たり前です。
 
知覚の仕方が、体の生まれつきの定義であると、
知っていれば、
科学技術はどうかって、質問したくなりません。
 
流行文化として、科学技術を確信する気持ちと、
体の仕組みから、男と女のように、
科学技術に嵌り込む気持ちとは、違います。
 
とりわけ、統合失調症になる人は、
生まれつきの規則性に、
みんなと同じものが足りませんので、
自然科学や憲法のような、
嘘や間違いの、言葉や数式を、吹聴されると、
現実や事実を、仕分けできなくなります。
 
ストレスに弱いと、言いますが、
言葉の整理整頓に悩むと、知覚が変調になるって、
ようするに、健常者のように、
生まれつきの変更不能な規則性により、
知覚の中身が、出来ているのでなく、
統合失調症の人は、
生まれた後に習得された言葉や数式の規則性を、
知覚しているからなの。
 
ブルドックやダックスフンドの中でも、
規格外の生まれつきのようなものです。
 
習得された規則性は、ストレスに弱いだけでなく、
嘘八百ですので、
孤立すると、精神病になるのは、当たり前です。
 
統合失調症の人の、知覚の中身は、
世の中の多数決のような、流行文化により、
成り立っていますから、孤立すると、根拠を失います。
 
みんなと一緒のことの出来ない体の障害があれば、
そうならざるを得ません。
 
自分一人のくせに、みんなと一緒のように強弁すれば、
妄想や幻聴や支離滅裂と言われます。
 
根本的には、
生まれつきの体の仕組みとしての規則性が、
知覚にない。
感覚器官のハンディが、大きい。
 
統合失調症だけでなく、GID(性同一性障害)にも、
低い論理能力と、孤立しやすい体や家庭状況が、
目立ちます。
 
論理能力の無い奴は、社会の圧倒的多数ですから、
それだけで、孤立するわけがない。
 
大衆文化に依拠した知覚って、
みんなと一緒でない奴を、
殺して間引く社会の仕組みと、同じですから、
みんなと一緒のことの出来ない体ですと、
万事休すに、なり易(やす)い。
    
性転換をしたいと思うのは、自業自得と言うよりは、
共食い社会の、最右翼かも知れませんから、
一筋縄で行きません。
 
差別虐待されている人の考え方が、
自分や他人を、差別虐待する元凶であるって、
GID(性同一性障害)の人たちを見れば、
よくわかりますが、
そもそも、性転換医療を行なっているお医者さんの、
病気でないかと、疑われます。
 
 

 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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