モチノキ 1956 生まれつきと経験の、規則性の違い

ありきたりの庭木ですが、
赤い実を、付けていましたので。
 
一斉に赤くなるのでなく、一つ一つ赤くなりますから、
順番が、気になります。
 
先のほうの実から、赤くなるのでしょうか。
実(み)は、上のほうでも、
その実のついている枝が、下のほうから伸びていると、
色付くのが、遅いのかも。
 
     ***          *** 
 
精神の病気のことを、
絶対に、これこれでなければ、いけない、
という気持ちのせいで、
そうでないことを、受け入れられないと、
表現することが、あります。
 
変更できないとか、融通が効かないとかと、言い、
変更しなければ、切り抜けられない状況に、
遭遇すると、精神的なストレスを、感じて、
いわゆる精神病の症状が、出て来ます。
 
脳を含めて、
そのように、変更を受け入れられない体の仕組みが、
自分の心と、感じられるので、
お釈迦さんは、自分とか、心の自覚とかってのは、
執着であると、言いました。
 
物と物の組み合わせが、
特定の体の仕組みと、言われる状態に、固定されて、
変更不能になることを、
周囲の圧力に、抵抗していると、測定します。
 
物の組み合わせが、周囲に抵抗しながら、
そのように計測していますので、
人間は、計測装置付の、物の組み合わせであり、
自分と言われる執着した心の自覚は、
計測器の仕業(しわざ)かも、知れません。 
 
マルペケの判断を記憶して、
特定の組み合わせのプログラムと、照合しています。
 
特定の状態を維持するように、
最初から、プログラムされているだけでないかと、
疑われますので、
ブルドックやダックスフンドの品種改良のように、
社会の流行文化により、
特定の生まれつきのプログラムが、作られたのなら、
すっきりと理解できます。
 
知覚は計測器であり、知覚の中身は、
計測値のマルペケの組み合わせであると。
 
特定の状態の、変更を迫るような、周囲の圧力って、
他人や社会だけでなく、
自分の体の重さも、そうかも知れません。
 
なんで特定の状態を、維持しようとするのかって、
責任であると、フランス革命は言いました。
神様の代理人の王様から、解放されて、
個人が自由になるには、
一人一人に、責任能力がなければ、いけません。
 
体と言われる物の組み合わせの状態が、
ころころと変わったのでは、責任をとれない。
今日の自分は、昨日の自分と違うので、
なんで、昨日の自分の責任を、
今日の自分がとらなければ、いけないのかって、
責任が、接着剤のように、
一定の状態に、個体を保っていると、
個人主義は言います。
 
そうでなければ、個人の自由を、得られなかったのが、
フランス革命の、屁理屈の事情でした。
 
変更不能のガチガチの物の塊(かたまり)に、
一人一人の人間を、固定しなければ、
個人の自由を、獲得できなかったのは、
パスカルやデカルトやモンテーニュのような連中が、
あほだったから、かも知れません。
 
ほんとは、貴族が囲い込んでいた奴隷のような、
小作の農奴を、解放して、
都会の工場で、こき使わなければ、
大英帝国の産業革命に負けるので、
ルイ16世の首を、切り落としました。
 
それを正当化するために、
自由と責任の、屁理屈を持ち出すのは、あほですが、
軍隊の命令みたいに、一律のあほで固めないと、
論理能力のない連中を、こき使えなかった。
 
産業革命を起こした科学技術が、
6000万人のインカ帝国を、
180人の鉄砲で撃ち殺したピサロの心のように、
間違っていたのに、決まっています。
 
自由や責任だけでなく、お釈迦さんの頃からの、
インドの戦争中心主義が、
ギリシャの論理中心主義になり、
欧米の個人主義の文化を作りました。
 
数学や物理化学や科学技術の考え方って、
進化論や精神分析などに、よく表われています。
 
わたしが、
極端な例を考えて、仕分けの見当をつけると、言えば、
誰かが、
区切りの中間みたいな、わかりにくい例を、考えて、
仕分けをすると、答えました。
 
仕分けの区切りを、小さくすれば、
極端な例も、中間みたいな例も、同じなのに、
論理能力が低ければ、ただのレトリックの違いと、
気づきません。
 
等高線の地図を見て、
山の地形が、立体的に思い浮かぶけれど、
特定の地点から見える周囲の地形が、
立体的に思い浮かばない人も、いますし、
ハンキングコースを歩けば、
周囲の眺望が、コロコロと変わって行くのを、
動画のようにシミュレートできない人も、います。
 
生まれつきの空間把握能力の有無だけでなく、
優劣の差がありますが、
その山を、立体的に想像する能力と、
周囲の山を、立体的に想像する能力と、
動画のように眺望の変化を、想像できる能力は、
それぞれ別の能力であると、すれば、
それぞれの能力は、
有るか無いかの、マルペケになります。
 
デジタルもアナログも、同じことを言っていますが、
生まれつきの論理能力が低ければ、
学習して、初めて気づきます。
 
生まれつきに、特定の規則性を、直感する能力と、
経験を学習して、規則性を習得する能力とは、
同じでありません。
 
コンピュータでしたら、
ソフトウェアって、わりと変更できますが、
ハードウェアの能力は、変更不能なことが、
少なくありません。
 
自由と責任って、ソフトとハードの違いなの。
 
ソフトウェアが、言語で書かれたプログラムのように、
レトリックにすぎないのなら、
ハードウェアも、そうに決まっていますが、
物体になれば、変更が難しくなるのは、
元気がないから、かも知れません。
 
太陽は、物体ですけれど、元気がありそうでしょう?
すべての変化の、原因のように、見えます。
 
物体のほうが、活発に変化するのなら、
精神分析を始めた人たちの考え方は、
逆立ちをしていました。
 
グルジャ(ジョージア)のヨシフ・スターリンは、
そう言いましたが、
200万のロシア人を殺しましたので、
なかなか元気でした。
 
GID(性同一性障害)の人は、
自分や他人に、弱みを見せれば、助けてもらえると、
思っていますが、
余計に、虐(いじ)められるのに…
性転換医療が、それなのに、性転換をする患者さんも、
性転換医療を行なうお医者さんも、気づいていません。
 
何万人ぐらいまで、行くのかと、
予想を立てたくなります。

 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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