日本全国の、山の端っこの、村に近い所に、
自生しています。
写真の蔓紫陽花(つるあじさい)は、
谷地梻(やちだも)の幹に、絡んでいました。
紫陽花は綺麗なので、
除去されずに、捨て置かれるのかも知れませんが、
無数の短い足のように、気根を出して、
何かの取っ掛かりに、食らいつきます。
気根と言うものの、根ですから、
他の樹木の、樹皮の割れ目に入り込み、
割れ目を伝う水分を、吸収します。
材の中に食い込み、
師管や導管などの維管束や、その形成層の中に、
根を張るのかは、知りません。
実際に、ツルアジサイの茎を引き剥(は)がして、
剥がれない根があれば、
木材の中に、侵入していないかを、
片っ端から調べて、探さなければ、わかりません。
手っ取り早く、知りたければ、
自宅で栽培して、他の木に絡む様子を、
親しく観察するに、如(し)くはない。
うちの庭の栽培品は、
他の樹木の、木材の中まで、根が侵入しなかったと、
言えても、
世界中のすべてのツルアジサイが、そうであると、
言えるのかしら。
精神の病気にも、似たようなことが、一杯あり、
判断に困らない人は、幸せなので、
論理能力の低い人の、心の苦しみは、おめでたい、
と言うと、多勢に無勢ですから、殺されかねません。
世の中は、論理能力の無い人が、絶対多数ですから、
権力を掌握しています。
宅間君や麻原君が、罪の無い人を殺したのも、
彼らを死刑にしたのも、いずれもが、
社会の底辺の、尼崎事件のような出来事でした。
論理能力が無いから、科学技術が確信されるように、
物事(ものごと)を、論理的に知覚してしまうのを、
変更できません。
生きれば生きるほど、変更不能が積み重なりますので、
生物は皆、死ぬのに…
どうして、論理能力が無いのに、
論理的に知覚できるのかって、
だんだんと、変更可能なことが、
変更不能になって行くから、
そういう表現になります。
知覚って、変更不能になった死骸が、見えているの。
科学技術も、例外でありませんから、
科学技術を発明発見するのは、
論理能力があるのか、ないのか…
すべての判断の可能性を、探る能力が、低くなれば、
科学技術のように、特定の判断が、変更不能になり、
絶対的であるかのように、知覚されます。
たぶん、論理能力があったのに、
だんだんと能力が低下して、
科学技術が発明発見されるように、
物事(ものごと)が知覚されます。
言葉は必然的でないのに、
みんなと一緒の言葉を使わなければ、
他人と、コミュニケーションができないように、
科学技術のような、特定の知覚の中身が、
みんなのコミュニケーションの手段になり、
変更不能になった知覚が、
絶対に正しい証拠のように、確信されます。
科学技術の知覚を疑わないのは、
言葉の教条を信奉するのと、似たようなものなの。
他の樹木に絡んで、自分を支えるツルアジサイって、
性転換医療を行なうみたいに、
上手(うま)い奴ですけれど、憎まれます。
ツルアジサイは、綺麗ですが、
性転換医は、どうかしら。
一見して、不細工な奴が、ほとんどですので、
性転換業界は、特異な集団ですが、
中には、美男美女もいます。
その比率が、著しく低いのは、
言うまでもありせんが、
なんで、不細工な集団に混じって来たのかは、
なんで、一流大学の医学部出身なのに、
性転換をするあほになったのかに、似ています。
最初から発達障害でしたら、簡単です。
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