ツルアジサイ 1897

日本全国の、山の端っこの、村に近い所に、
自生しています。
 
写真の蔓紫陽花(つるあじさい)は、
谷地梻(やちだも)の幹に、絡んでいました。
 
紫陽花は綺麗なので、
除去されずに、捨て置かれるのかも知れませんが、
無数の短い足のように、気根を出して、
何かの取っ掛かりに、食らいつきます。
 
気根と言うものの、根ですから、
他の樹木の、樹皮の割れ目に入り込み、
割れ目を伝う水分を、吸収します。
 
材の中に食い込み、
師管や導管などの維管束や、その形成層の中に、
根を張るのかは、知りません。
 
実際に、ツルアジサイの茎を引き剥(は)がして、
剥がれない根があれば、
木材の中に、侵入していないかを、
片っ端から調べて、探さなければ、わかりません。
 
手っ取り早く、知りたければ、
自宅で栽培して、他の木に絡む様子を、
親しく観察するに、如(し)くはない。
 
うちの庭の栽培品は、
他の樹木の、木材の中まで、根が侵入しなかったと、
言えても、
世界中のすべてのツルアジサイが、そうであると、
言えるのかしら。
 
精神の病気にも、似たようなことが、一杯あり、
判断に困らない人は、幸せなので、
論理能力の低い人の、心の苦しみは、おめでたい、
と言うと、多勢に無勢ですから、殺されかねません。
 
世の中は、論理能力の無い人が、絶対多数ですから、
権力を掌握しています。
 
宅間君や麻原君が、罪の無い人を殺したのも、
彼らを死刑にしたのも、いずれもが、
社会の底辺の、尼崎事件のような出来事でした。
 
論理能力が無いから、科学技術が確信されるように、
物事(ものごと)を、論理的に知覚してしまうのを、
変更できません。
生きれば生きるほど、変更不能が積み重なりますので、
生物は皆、死ぬのに…
 
どうして、論理能力が無いのに、
論理的に知覚できるのかって、
だんだんと、変更可能なことが、
変更不能になって行くから、
そういう表現になります。
 
知覚って、変更不能になった死骸が、見えているの。
科学技術も、例外でありませんから、
科学技術を発明発見するのは、
論理能力があるのか、ないのか…
 
すべての判断の可能性を、探る能力が、低くなれば、
科学技術のように、特定の判断が、変更不能になり、
絶対的であるかのように、知覚されます。
 
たぶん、論理能力があったのに、
だんだんと能力が低下して、
科学技術が発明発見されるように、
物事(ものごと)が知覚されます。
 
言葉は必然的でないのに、
みんなと一緒の言葉を使わなければ、
他人と、コミュニケーションができないように、
科学技術のような、特定の知覚の中身が、
みんなのコミュニケーションの手段になり、
変更不能になった知覚が、
絶対に正しい証拠のように、確信されます。
 
科学技術の知覚を疑わないのは、
言葉の教条を信奉するのと、似たようなものなの。
 
他の樹木に絡んで、自分を支えるツルアジサイって、
性転換医療を行なうみたいに、
上手(うま)い奴ですけれど、憎まれます。
 
ツルアジサイは、綺麗ですが、
性転換医は、どうかしら。
 
一見して、不細工な奴が、ほとんどですので、
性転換業界は、特異な集団ですが、
中には、美男美女もいます。
 
その比率が、著しく低いのは、
言うまでもありせんが、
なんで、不細工な集団に混じって来たのかは、
なんで、一流大学の医学部出身なのに、
性転換をするあほになったのかに、似ています。
 
最初から発達障害でしたら、簡単です。
 
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精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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