別に、涼しそうと思いませんが、
冬に、雪に埋もれる山でなければ、
夏に咲いていないのは、確かです。
雪は、気泡が多く、
雪の下は、断熱材に覆われて、暖かです。
黒百合は、茶色く汚い花と、
罵(ののし)る人もいるので、気が退(ひ)けますが、
夏山の定番ですので、貼り付けて置きます。
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おまえは、何を書いとるのかと、笑われています。
何度も修正しながら、
ブログの中に、リンクを張り巡らして、
教科書のような定本を作るのも、
1つの手でしたが、
生来が勤勉で、本業が忙しいだけでなく、
親戚から、石油関係の仕事を、手伝えと、
命じられますので、
気ままに、日記を書くのが、いちばん楽ちんと、
踏みました。
書き進むと、
教科書の目次のように、筋書きを固めて置かないと、
かえって、説明が面倒になります。
根本的な質問が多く、
話の筋が、誤解されていると、わかります。
論理法則は、
こっちとあっちや、これとあれを、
繋いだり、くっつけたりするための、
あらすじですが、
変更不能な知覚の仕方として、
言葉のように、乳児が習得できなければ、
効率良く間引かれて、品種改良されるのは、
科学技術のお陰です。
それを正当化したのも、
道徳や人格や常識や法律などの、
具体的な論理の中身や教条だけでなく、
気持ちが良いとか、悪いとかの、
乳幼児期に訓練されて、
変更不能になった文化的な感情の、
コミュニケーションのような機能でした。
統合失調症の症状が、
妄想や幻覚や支離滅裂などと、
表現されるのは、
生まれた後の論理法則を
習得できなかった発達障害の、
知覚や感情の成り行きですから、
論理能力が低ければ、
犯罪や気違いや、人格が悪いなどと
誹(そし)られて、間引かれて行くだけの、
素晴らしく進化論的な文化です。
オウムの麻原君や、大阪教育大学の宅間守君に、
責任能力があるのか、ないのか、
犯罪なのか、気違いなのかと、判断するのは、
世間一般の、そこらの人たちの論理能力を、
間引くべきか、こき使うべきかと、思案するのと、
同じです。
そうして、論理能力の低い猿を、殺して来たから、
人間は猿でなく、人間であると、
自称するようになりました。
猿と、生殖ができなくなったのは、
殺して、孤立したからに、決まっていますが、
昔は、たぶん食べました。
インドヨーロッパ文化の、論理中心主義の必然ですが、
精神医学では、繁殖主義の精神分析が、
進化論の下僕(しもべ)であるのは、
言うまでもありません。
ロマン主義の花ですが、ベルサイユの薔薇みたいに、
フロイトやユングの脳味噌は、漫画チックでした。
論理だけでなく、知覚や感情も、言葉にすぎないのに…
宅間君や麻原君は、間違いが多かったが、よくやった。
湯川君や後藤君の気持ちは、
彼らの首を切ったイスラム国の過激派たちを見れば、
よくわかります。
酒鬼薔薇君を見れば、彼に殺された医者の息子の、
軽い精神薄弱の男の子の気持ちが、よくわかる…
うちの父は、IQ70の知的障害でしたが、
虐(いじ)められると、統合失調症の症状が出ました。
とても賢そうな男前でしたので、顔を貸すだけで、
暮らして行ける人生でした。
そのへんのIQ130未満ぐらいの人の気持ちも、
論理能力がありませんから、
気違いと同じに、ならざるを得ませんが、
そう言われないのは、
人数が多く、こき使われ易(やす)いからです。
人数の少ない人にとっては、
こき使われることが、出来なければ、
残虐な野生動物にすぎないのは、
尼崎事件を見るまでもありません。
事実がなくても、
コミュニケーションが成り立つのを、
理解できなければ、
事実があると、仮定するのが、
わかりやすい。
論理法則が、
知覚の変更不能な教条になれば、
弊害のほうが、大きくなりますが、
もとから、論理能力が低ければ、
気にしなくても、構いません。
論理能力の量は、相対的ですので、
どれくらいまでを、低いとするかは、
どれくらいまでを、
殺したり、動物園に入れたりして、
品種改良をするのかと、同じ意味です。
道徳や人格や常識や法律などが、
人殺しを正当化しても、
実際に殺すのは、鉄砲や黒船や原爆などの、
科学技術の成果に、決まっています。
宅間君や麻原君に、殺された人を、
憐れむのなら、
宅間君や麻原君の命を、
同じくらいに、憐れむべきです。
悪いやつを殺しても、正当防衛と思うのは、
頭が悪い。
善いやつや、罪のない子供を殺すのも、
正当防衛であると、
宅間君は、必死で訴えていました。
うちの父も、
世話をしてくれた中国の少年が、
必死で、命乞いをするのに、
あっさりと見捨てて、帰国しました。
捕虜の日本兵が帰れば、
中国の孤児たちは、射殺されます。
日本兵に、お尻を捧げた報酬でした。
横井さんや小野田さんが、どうでしたかを、
わたしは知りません。
宝塚やレスビアンのことを、
百合と言いますが、
わたしは、根が勤勉なので、
黒百合よりも、
東寺の百合文書(ひゃくごうもんじょ)を
思い出します。
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