ハクサンチドリ 1888 夏休み前半終了

ラン科の、よく見掛ける高山植物ですが、
栽培は、容易でないそうです。
 
しんどい目をしてまで、山に登りたいとか、
栽培をしてまで、高山植物を見たいとかと、
わたしは思いませんが、
白山千鳥(はくさんちどり)は、
いわゆる高嶺(たかね)の花です。
 
昔は、高山植物のいっぱい咲いている所を、
踏みつけて歩き、
ゴミのない空き地に、腰を下ろして、
お昼ご飯を食べました。
 
今の中国人と、同じですけれど、
たぶん、1930年代の欧米人の感覚に、
似ていました。
 
ユダヤ人を殺す気持ちって、
高山植物を尻に敷き、弁当の折(おり)を投げ捨て、
ゴミだらけを嘆くみたいに、支離滅裂でしたが、
ナチスドイツは、
進化論や形質人類学を、標榜していました。
 
現代日本の精神医学も、
日本人の中の、論理能力のない人たちの、
常識や道徳と、ほとんど同じですが、
毎日毎日、4時間も5時間も、
個人的に受験勉強をしなければ、
一流大学の医学部に、入学できないのでしたら、
無理もありません。 
 
論理法則の教条主義が、
進化や科学技術の知覚を、変更不能にしたのですが…
 
ハクサンチドリが、白山に多いことを、
わたしは、いまだに確認できません。
 
       ***          *** 
 
夏休みの後半は、9月になりますから、秋ですが、
残暑が厳しいと、思います。
 
子供の頃に、慣れ親しんだ感覚からして、
年齢が高くなればなるほど、
夏の暑さが応(こた)えるのは、
北海道に生まれたわたしだけかしら。
それとも、地球温暖化のせいかしら。
 
9月になっても、ちっとも涼しくならない頃に、
もう一度、夏休みを取らないと、
体が保(も)たなくなりました。
 
聞いたり、考えたりしたことを、メモに残さなければ、
思い出せなくなりましたので、
携帯用のタッチパネルに、手書きのメモを
保存していますが、
フリーハンドの文字を読取るコンピュータの能力が
低く、
メモの内容の、分類や検索が、困難です。
 
そう言えば、わたしは、
他人に読めない文字を、書くのが、得意でしたので、
子供の頃に、レオナルド・ダ・ビンチと
言われたことがありますが、
あんなあほと、一緒にせんといて頂戴、
という気持ちでした。
 
だって、ダビンチの事跡に、
知能の高そうなことは、何もなく、
現代の、絵描きさんや写真家やモデルさんのように、
知能が高そうに見えるエステティックや
格好やファションなどに、
凝(こ)っていただけですから、
たぶん、現代流の学校の勉強の能力は、
知的障害に近かったと、思います。
 
インターネットの、無料の知能検査を受けたら、
シェイクスピア級と、判定されました。
彼の知能指数を、検索すると、
ナポレオンと横並びの天才に、なっていました。
 
人を馬鹿にしやがって。
わたしは、
ダビンチやシェイクスピアやナポレオンのように、
あほ丸出しなのか。
あいつらは、知的障害の典型に、決まっています。
 
シェイクスピアは、
噂話の好きな主婦やお笑いタレントの才能ですし、
ナポレオンの戦術は、
どう考えても、あほ丸出しにしか見えないって、
防衛大学出身の自衛官が、よく言っています。
 
わたしの身の回りの横須賀には、そういう人が多いの。
アメリカ合衆国海軍や自衛隊の基地ですから。
 
後藤君や湯川君だけでなく、
宅間君や麻原君のほうが、遥かに立派です。
 
宅間や麻原のような人殺しが、なんで立派なのかと、
怒られて、
罪もなく殺された子どもたちや地下鉄の乗客を、
どうしてくれるのかと、文句を言われますが、
後藤君や湯川君を殺したイスラム教徒たちが、
ヨーロッパの後藤君や湯川君であったのと、
同じようなことです。
 
古い道徳や常識や人格などに依拠した現代の
精神医学の間違いが、よく現れています。
とりわけ、後藤君や湯川君は、
GID(性同一性障害)に近かったが、
スターリンやヒットラーやポルポトなどの、
残虐だけでなく、
GIDの孤立や疎外は、常識や道徳や人格の精神医学と、
共食いの間柄です。
 
性転換医療を行なう古い精神医学が、
一方の当事者なの。
 
殺してはいけないとか、盗んではいけないとか、
嘘をついていはいけないとかって、
論理法則や科学的な知覚と同じように、
迷信や幻覚や支離滅裂なのに…
 
盲学校出身でも、
1万人以上の信者を獲得した麻原君の間違いは、
たぶん、日本政府や日本国民の、間違いです。
これは、わかりやすかった。
彼の教説を、日本国民全員が吹聴されていれば、
信者は、1000万人を超えていたでしょう。
麻原君を処刑しては、いけない。
 
たとえ、大阪教育大学の宅間君のように、
彼自身が、処刑を希望しても、
日本国民は、彼を処刑してはいけない。
宅間君を処刑した大臣は、能なしのあほでしたが、
それ以前に、精神科医の能力が、疑問でした。

 
 
 


 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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