国字の榎(えのき)のように、
日本の夏の、大きな樹陰を作る木の、代表です。
写真は、樹齢80年ぐらいですから、成長が早い。
江戸幕府は、
これを、一里塚に植えるように、推奨しました。
確かに、遠くからでも、すぐにわかる枝振りです。
府中の東京競馬場の、第三コーナーの内側の、
芝生の中に、戦国時代の井田摂津守是政の墓があり、
こんもりとした樹木が残っています。
大欅と言われていましたが、テレビを見た人が、
あの枝振りは、欅(けやき)でなく、榎でないかと、
テレビ局に、投書しました。
実際に、中央競馬会が調べてみると、榎でした。
だれが、最初に間違えたのかしら。
このあたりは、鎌倉時代からの、井田家の開発領地で、
一円支配していました。
戦国時代の、是政という人が、
北条氏に仕えて、戦さの褒美として、欅を貰い、
この地に移植したそうです。
その欅が、是政の墓と共に残り、
このあたりの地名も、是政になりました。
昭和になり、府中競馬場を作る時に、
墓を管理していた寺と、競馬場との間で、
立退き交渉が行なわれましたが、
檀家の中には、反対者も、少なくありませんでした。
井田是政の墓を守ろうとする子孫と、
立退きを推進する檀家との間で、
日本刀を振り回す喧嘩になり、
多数の死傷者が出ました。
そのせいで、是政の墓は、立退きにならずに、
榎(えのき)も伐られずに、残ったそうです。
地元のやくざの、利権をめぐる争いで、
なかったのかしら。
そんなことを言うと、怒られます。
今でも、是政の墓に関する騒動を、
ほじくり返すのは、
競馬会の禁忌になっているそうです。
日本船舶協会って、競艇でしたけれど、
笹川氏の縄張りでしょう?
中央競馬会って、農林省ですけれど、
どこのやくざが、仕切っているのかしら。
そんなもん、一般の人に、
中学校の、国語の読解力問題や、数学の初歩の問題を、
解いてもらえば、すぐにわかりますが、
成人の論理能力は、中学生と同じです。
これこれならば、これこれである、という論理を、
世間一般の人は、理解できないのに、
日常生活は、これこれならば、これこれであると、
いわゆる論理の体裁により、成り立っています。
能力がないのに、
どうやって、世の中は、運営されるのかしら。
科学技術を見れば、すぐにわかりますが、
たぶん、知覚とコミュニケーションの仕組を、
理解する能力は、論理能力と、同じです。
体の医療は、科学技術ですけれど、
精神医療も、脳の仕組により、説明される時は、
科学技術です。
嫌(いや)な奴を、殺す方法でないのかしら。
科学技術って。
権力は、科学技術を使うように、
社会の底辺を、駆使します。
科学は、権力の魂胆なの。
上のほうで、決めても、
下のほうで、あほや、やくざや、きちがいなどの、
殺し合いにならなければ、
政策の実行手段が、あるわけがない。
科学技術を使わなければ、政策を実行できないのと、
同じです。
何を、あほや、やくざや、きちがいとするか、
という判断が、
政策を実行する原動力になります。
エンジンなの。
こいつらを、あほとする、きちがいとする、
という判断が、科学技術を作りますから、
科学的な知覚が、何であるかは、
刃物や鉄砲や黒船や原爆や性転換医療などを、
見るまでもありません。
この千手観音みたいな枝振りは、
けっこう行けるでしょう?
*** ***
これこれならば、別のこれこれである、
という数学に代表される論理は、
科学技術により、確信できるのかしら。
科学技術って、嫌(いや)な奴をやっつけて、
自分や子孫が、生き残るための、実力行使ですから、
軍隊の兵器や戦術と、同じです。
権力が、嫌な奴を、支配するのでなければ、
嫌な奴同士が、共存する方法が、ありませんから、
論理や数学や殺し合いなどと、同じです。
絶対主義ですが、
お互いに矛盾しないように、一元的に定義されます。
大阪の橋下君は、
権力一本槍の支配でなければ、
無駄が生じると、訴えましたが、
頭がかちかちの法治主義は、古い。
大阪府と大阪市の、二重支配を否定しました。
大阪都なら、それがないと。
論理や数学って、軍隊や科学技術だけでなく、
法治主義も、そうですが、
嫌(いや)な奴を殺して、権力を作ります。
実際の社会は、二重支配どころか、
三重、四重、百重、千重と、
異なる支配関係が、重なれば重なるほど、
人の心が、豊かになります。
離合集散を、何重にも重ねるように、
使い分けが出来なければ、
人間になれません。
時間や空間や論理だけでなく、
個体は、その使い分けが、識別されます。
それぞれは、
論理的に矛盾していなければ、いけません。
科学や軍隊の権力の、人殺しのように、
一本槍になると、みんなの知覚が、
科学技術と同じでなければ、
病気と、言われるようになります。
人殺しのせいで、
人間の知覚が、品種改良されたからです。
嫌な奴を殺して、好きな奴を殖やしました。
論理や時間や空間や個体などの、知覚は、
1才未満に完成しますから、橋下君は幼稚です。
法律や軍隊の、定義のように、
論理的な画一性は、精神の病気の、主たる原因なのに。
病人や障害者の、生まれつきの、脳や体の仕組が、
そのように、品種改良されていれば、気づきませんが。
大阪には、朝鮮人や中国人や被差別部落民などの、
社会の底辺の人たちが、集まります。
原始的で幼稚で野蛮な、権力志向の橋下君は、
望まれなかったみたい。
地方志向の強い大阪南部の人たちに、
反対が多かったそうです。
論理や数学や科学技術や
軍隊や認知科学などは、
人殺しや権力の、方法です。
精神の病気の人に、普通ですが、
一元的な理解って、あほでしょう?
お釈迦さんから、
アリストテレスやキリスト教や、
科学やロマン主義や進化論や精神分析や、
記号論理やコンピュータや認知科学などに
至る系譜が、
あほと精神の病気と殺し合いの、
系譜ですから、軍隊と同じです。
性転換や性転換医療って、
インドヨーロッパ文化の、
殺し合いの産物なの。
嫌(いや)な奴を、殺せば、
自分の考えに、賛同する奴しか、
残らないのは、当たり前です。
生殖も、そう。
特定の思惑(おもわく)と、違う奴を、
間引き続ければ、
ダックスフンドやブルドッグが、
生まれます。
刀や鉄砲や黒船や原爆や性転換医療などを
使い、嫌(いや)な奴を間引けば、
現代人の健常な知覚、という品種が、
一丁上がり。
科学技術が、論理の通りに、知覚されて、
みんなが、同じ血筋の、ご先祖さまを、
唯一の神様と、仰ぐ宗教のように、
間違いないと、確信されます。
ほとんどの人は、
科学技術の人殺しを、感じずに、
近親相姦を、自由な恋愛や生殖であると、
確信するだけですが。
性別違和を訴えたり、性転換を実行したり、
性転換医療を行なったりするのは、
その確信を、表現したようなものです。
論理は、数学や科学技術だけでなく、
一般に、これとあれや、こっちとあっちを、
くっつけたり、繋いだりして、
違う物事(ものごと)を、同じであると、
定義したり、
同じ物事を、違うと、言い出したりします。
昔の人は、着目点と言われる共通点により、
同じとか、違うとかと、判断するって、信じましたが、
コンピュータを見れば、わかるように、
そのような着目点や共通点などの、事実は、
すべてが、定義された作り物です。
事実や自然や認識の対象などは、必要ありません。
自分で作った定義と、自分で作っていない定義しか、
認識の対象って、あり得ませんけれど、
自分の足の水虫も、
最初は、自分の脳の作った情報でないのに、
やがては、自分の足や水虫と、言われるように、
自分の身内に、ならざるを得ません。
皮膚で仕切られた個体と言われる範囲は、
膨張したり、萎縮したり、変形したりしますが、
それを一定であると、確信するのは、
論理的に品種改良された知覚のせいです。
個人主義と、言われますが、
論理的な整合性を、保つための、
皺寄せを、解消する仕組です。
個体を殺して、調節します。
大阪教育大学の宅間守や、オウムの麻原彰晃などを、
憎んで殺すことにより、
論理的な整合性を、確保します。
同化や異化と、言われるように、
情報の、分類や離合集散が、
自分と言われる認識の主体や、
認識の対象と言われる物を、
知覚することなの。
人生の途中から、
分類整理ができなくなれば、
認知障害や統合失調症などと、
言われるかも知れません。
自分や物を、設定するように、
何度も何度も、重ねて分類したり、
情報を離合集散したりするために、
時間や空間や論理などの、
情報の処理の仕方を、
生物は、工夫しました。
論理一辺倒になるのは、あほなの。
科学技術の、論理的な知覚は、
ダックスフンドやブルドックのような、
愛玩動物の品種です。
権力や軍隊を、期待してはいけません。
二重行政に、無駄や矛盾があると、嘆くのは、
幼稚です。
矛盾を棚上げするように、
幾重(いくえ)にも、重ねて分類して、
人の心は、豊かになります。
無駄や矛盾や遊びが、なければ、
橋下君の大阪都構想のように、
蹴られる可能性が、高い。
特定の情報に、自分と、名付けて、
みんなの流行文化に、乗っていれば、
オナニーみたいに、楽ちんです。
流行を信じないように、
自分と言われる命名を、信じる必要はありませんが、
みんなと一緒の言葉を使っていれば、便利です。
尼崎事件が、報道された時に、
警察庁の首脳を経験した人は、
警察に助けを求めなかった被害者の心が、
わからないと、言いました。
あの事件は、被害者と加害者が、
血縁や、それに近い仲間内でした。
刑事事件の大部分は、
親しい間柄の、身内の中で、起こります。
会社もそうですが、
みんなで違法行為を行ない、
内緒にしていますから、
詳しい事情がバレれば、
牢屋に入らなくても良い人は、
1人もいません。
事件が起こっても、安全地帯にいるのは、
警察官や検察官や裁判官だけです。
当事者を、安全地帯から裁くような、
権力や宗教の、架空の立場に、
憧れてはいけません。
白馬に跨(またが)る昭和天皇のビデオを、
わたしは、思い出します。
尼崎事件は、
社会の底辺の、日常茶飯の典型でした。
わたしは、
病人や障害者やあほや気違いなどが、
一杯の中で、育ちましたから、
小学5年の頃に、知っていたのに、
警察官僚のトップは、知りませんでした。
盲学校の麻原彰晃が、
全盲の子どもたちを脅して、
カネを巻き上げていたと、
証言する人もいれば、
明るく元気に、
みんなの世話をする子供だったと、
述懐する人もいるのと、同じです。
脅してカネを巻き上げるのと、
世話をしてあげるのが、同じって、
やくざの世界だけでなく、
社会の底辺では、当たり前です。
権力も、そう。
社会の底辺でも、権力と同じことが、
日常茶飯に起こっていると、
尼崎事件は叫んでいましたが、
世間の人に、聞こえませんでした。
このごろの、LGBTやGIDの人は、
トランス(trans)の反対語の、シス(cis)を、
よく使いますけれど、
ラテン語ですから、日本人が使うのは、
トランス型とシス型の、二重結合ぐらいかしら。
不飽和脂肪酸の、トランス型って、
トランス脂肪酸(trans-fatty acid)と言われて、
今世紀になってから、
もの凄く、悪者扱いにされています。
わたしは、マーガリンが好きでしたので、
バターに替えましたが、固くて面倒臭いので、
今は、食パンに、何も付けません。
日本のLGBTやGIDの人たちは、
シスとトランスというラテン語を、
どうして、使うのかしら。
同性愛や性転換の人に、肥満が多いとは、
思えないけれど…
煙草をぷかぷか、という人は、確かに多い。
この際、
トランスジェンダーや、トランスセックスも、
やめたほうが良いかも知れません。
わたしは、簡単にマーガリンをやめて、
バターに替えて、それもやめてしまったのに、
どうして、性別違和や性転換の人は、
煙草のように、絶対にやめないと、宣言するのかしら。
統合失調症の人も、最初に、そういう症状が出ます。
わざと、抵抗します。
偽悪的と思っていると、とんでもないことをします。
どうして、そんなに、変更するのがしんどいのかしら。
本人は、生き方や考え方の、個性と、言いますが、
ただのサイコロの目の、組み合わせですから、
特定の目に、どうして愛着するのかって、
お釈迦さんも、言っていましたが…
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