日本に自生しませんので、公園の植栽です。
アメリカ合衆国のアパラチア山脈から、
五大湖の北東あたりのカナダに、
普通に自生しています。
日本の水楢(みずなら)や柏(かしわ)の、
葉の切れ込みを、深くしたような奴ですが、
新緑の美しさは、目を瞠(みは)ります。
学名は、Quercus rubra ですが、
英語では、northern red oak と言います。
クエルクスは、ケルト語起源のようで、
quer(良質の)cuez(木材)とか。
rubra は、ラテン語の、赤色の意味ですが、
秋の紅葉が、赤いのは、当たり前です。
材質も、赤味を帯びているらしい。
日本の山に植えても、
特に病気や害虫に侵されるふしもなく、
風に強ければ、美しいのですが、
雨に弱いのかも、知れません。
この大きな葉っぱですから、
雨風(あめかぜ)に強いとは、想像しにくい。
でも、奇麗な葉です。
大木になりますから、庭に植えて、
こんなのが、家にのしかかってくると、大変です。
*** ***
昔の欧米では、
同性愛って、病気のくせに、犯罪でしたが、
病気でなくなった今でも、
同性愛しか、習得しない人たちの、
精神の病気や、犯罪は、少なくありません。
同性愛や異性愛だけでなく、
他の動物や物体や自分とでも、
何でも来いで、やるのが、一番便利ですが、
異性との性交渉は、
具体的な気持ちを、相手に指定されて、
自由が少なく、面倒が多く、
何者とも、一切の性交渉を、拒否するのは、
少しの自由も作り出さずに、死にそうな気がします。
自分と違うやつに、合わせるのは、しんどいけれど、
相手に合わせて、自分を作るのと、
相手を選ぶのとが、似たようなものなら、
自由が、選択の自由であるのは、
コミュニケーションや免疫のことかも、知れません。
孟母三遷の教え、というやつ。
有性生殖だけでなく、生殖や論理って、
組み合わせや、篩(ふる)い分けのような、
分類ですから、
サイコロやコンピュータみたいに、
ロマンティックなことしか、期待できません。
違うものを、同じであると、いくら野蛮に言い、
イスラム国の、後藤君や湯川君みたいに、
首と胴を、切り離されても、
どうせ組み合わせですから、
成り行きは、知れています。
何と何をくっつけても、自由ですが、
進化論のように、
これとあれを、組み合わせた道筋(みちすじ)が、
論理的に洗い出されますから、お目出度い。
わたしは、子供の頃に、
新聞配達の道筋って、ロマンティックだなあと、
思いました。
どんな道筋も、物語であることを、避けられません。
自分自身の変更不能な生まれつきだけでなく、
女装の日本武尊(やまとたけるのみこと)のように、
どのように、剣(つるぎ)を振るい、
何と何を、くっつけても、
所詮は、組み合わせの中の1つが、
選ばれただけです。
野蛮になっただけでは、足りません。
サイコロやコンピュータと一緒に、
論理や科学技術を、
ブルドーザーで、踏み潰して、
電子レンジで、灰にして、
硝酸で溶かすべきであると、
わたしが麻原彰晃でしたら、
宣(のたま)っていました。
彼のやり方では、視力が良くなると、
思えませんが、
LGBTやGIDの運動って、それでないのかしら。
精神障害者が、自分の体をぶち壊すように、
お医者さんや政府が、
唆(そそのか)しているのでないのかしら。
国民の健康を、わざとぶち壊すように、
優生医療を進める連中は、褒められません。
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