雨が上がれば、一気に新緑の季節です。
右奥の針葉樹は、
栂(つが)や榧(かや)でしょうか。
その左側の手前の、ピンクっぽいやつが、
わかりません。
さらに手前の、画面中央から左側は、
全部、楠(くすのき)です。
すでに、黄緑の、若葉の鮮やかなのから、
まだ、古い葉が、赤く色づき、
落葉中のものまで、さまざまです。
常緑樹は、
落葉と若葉の季節が、重なります。
一番左の手前の、色の濃いのが、山桃。
手前の下の、楓(かえで)は、
若葉と、赤い花が、同じ季節です。
個体により、それぞれに違うから、
生物の、さまざまな種(しゅ)に
なりますが、
わたしたちの見ている知覚の中身は、
他人と同じであるか、違っているかを、
直接には、比べられません。
必ず、コミュニケーションの手段を、
使わなければいけません。
言葉だけでなく、
論理は、違うものを、同じとしますので、
マルペケの羅列が、同じであれば、
知覚の中身は、
どれほどに、他人と違っていても、
個人的な思い込みや、記憶の便宜でしか、
ありません。
伝えられたマルペケの羅列だけが、
比較できる判断ですから、
コミュニケーションの中身を、共有すれば、
知覚の中身も、同じと、
翻訳されるようなものです。
可能なマルペケの組み合わせの、すべては、
みんなと一緒の、汎用性が、
求められますので、
その組み合わせを、
記憶したり操作したりする能力が、
神経の枝分かれの数や、均一さや、
化学物質のくっつき方などに、
左右されるだけです。
均一に枝分かれをしていなければ、
記憶のやり繰りが、大変になりますので、
頭が悪いと言われ、
社会の底辺の、共食いの人生になります。
すべての組み合わせを、
シミュレートするのが、
正しい権力に満ちた脳味噌です。
わたしは、権力やお金は、要(い)らん。
とっくの昔に、飽きたので、どうしよう?
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