枇杷(びわ)は、真冬に咲いていますが、
早春の花かと、問われれば、冬の花と、答えます。
春まで、咲き続けますが、11月から、咲き始めます。
3月に摘果して、梅雨頃に収穫します。
わたしは、枇杷が大好きですが、必ず、
「成木物(なりきもの)を、庭に植えれば、
病人が出る」と、笑われます。
物知りを自慢するよりも、むしろ、
どこそこの人は、常識がなく、
何をするか、わからないと、
言いたいのかも、知れません。
どこそこの人が、これこれのことをしたと、
嘘を言い、噂(うわさ)を広めます。
迷信でなく、現実と同じ顔の、嘘かも知れません。
科学技術者は、事実と言いますが、
実際に、手で触り、目で見たことを、
言葉の代わりに、使っただけかも、知れません。
易(えき)や占いや風水などの、言葉を、
人は、競馬の大当たりのように、信じます。
科学技術は、これこれをすれば、こうなると、
未来を予言した通りになるから、信じられると、
宣伝します。
どうして、予言の通りに、知覚するのかしら。
占いを信じる人も、
必ず、御神籤(おみくじ)の通りになると、
言います。
論理と超能力は、
感情や思考や動作などを含めて、
知覚と言われる自覚の、違いですから、
流行文化と遺伝の、中身の違いに、決まっています。
殺し合いをしなければ、
帰趨(きすう)はわかりません。
埒(らち)が明きませんが、
論理は、たくさんの丸覚えを、必要としますので、
面倒くさい。
嘘でも、事実と言われるだけでなく、
百人一首のカルタや、琵琶法師の平家物語のように、
誰も、現実を経験していないのかも、知れません。
科学技術は、
本当に目で見て、手で触(さわ)れるのかしら。
湯川氏や後藤氏の、処刑は、
不鮮明な、動画や写真ですので、
嘘かも知れません。
科学技術の信じる合理的な事実が、
わたしたちの脳の、現実を知る仕組みと、
同じでしたら、
人それぞれの、生まれつきの素質の違いから、
みんなに共通の事実を、抽出するのは、
立派な成果であればあるほど、
たくさんの人を殺したからに、決まっています。
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