まだ、蕾(つぼみ)ですが、3月に咲きます。
白い玉は、去年の花の実です。
冬になってから、白くなります。
よく見ると、
先っちょに、2本の角(つの)があるのは、
雌しべの先端が、2本に分かれていたからです。
ツゲ科ですが、高さ30センチぐらいの匍匐性です。
日陰の湿った土地に、ゆっくりと育ち、
挿し木や株分けにより、
地面を覆(おお)うくらいに、簡単に増やせます。
穂状花序ですが、上のほうは、雄花ばかりで、
下のほうに、雌花が、少しだけ付きます。
いずれも、花びらはありません。
ツゲ科 Buxaceae って、日本に自生しているのは、
柘植(つげ)と、富貴草(ふっきそう)だけみたい。
Buxus ツゲ属 の、柘植は、boxwood ですけれど、
ラテン語の、puxas 箱 から、来ています。
ツゲ科の木を使い、箱を作りました。
富貴草の、Pachysandra フッキソウ属は、
ギリシャ語の、pachys 太い、andros 雄しべ から、
来ているそうです。
雄花の、4本の雄しべの花糸が、白く目立ちます。
病気に強く、
日陰の湿った土地には、持って来いの日本情緒です。
どうして、
湯川氏や後藤氏は、乾燥したかったのでしょうか。
何も、血を流さなくても…
*** ***
名古屋大学の女子学生が、人を殺したくなったのと、
湯川氏や後藤氏が、シリアに行きたくなったのと、
うつ病の人が、性転換をしたくなるのって、
似ています。
うつ病は、自分のせいに、したくなるように、
悔(く)やむ人が、多いのに、
人を殺したくなったり、シリアに行きたくなったり、
性転換をしたくなったりって、
正反対に、思うかも知れません。
うつ病は、発病前に、几帳面であるだけでなく、
攻撃的な人が、少なくありません。
自分を、攻撃してしまいます。
統合失調症も、そう。
他人の苦境を、思い遣(や)れずに、
やっつけようとするので、被害妄想が出ます。
知的障害の人は、
みんなに虐(いじ)められるので、可哀相ですが、
御本人に任せると、弱い子を虐(いじ)めます。
弱い奴なら、だれでも良かった、とは、
冤罪を作るための、警察官や検察官の、作文に多く、
捜査当局の人生観を、よく現しています。
精神の病気の人を、虐(いじ)めるのは、
精神の病気と、同じですから、
社会の底辺と、言われます。
人のことを、あほと言う者が、あほであると、
わたしは、父から教わりました。
父は、IQ70の知的障害でした。
他人を助けるのは、悪い奴を助けるのと、
必ず同じです。
良い人を助けるなどと、
悪いことを考えては、いけません。
性転換医療であるまいし。
悪い心臓だから、治療をするのに、決まっています。
体が病気になれば、みんな、心が悪くなります。
わたしは、自分の体が痛く苦しければ、
他人の心の痛みを、思いやりません。
自分が、痛く苦しい時に、
他人を思いやるのは、たぶん精神病です。
母親は、自分が死に掛けなのに、
子供を心配するように、
体が、痛く苦しければ、頭がイカレます。
植物も、自分が苦しくなれば、
繁殖をして、子孫を大切にします。
頭がありませんから、当然です。
溺れている時は、助けに来た奴にしがみつき、
そいつを、沈めてしまうぐらいに、
藻掻(もが)くのが、正しい。
救助してくれる人を、沈めれば、自分も死ぬのに、
体が、勝手に動きます。
生物は、みんな、自動的に動いているのに、
なんで、人間だけは、本人が動かしているように、
錯覚するのかしら。
きっと、論理のせいです。
体や社会の仕組みを、理解できないので、
苦し紛れに、心や自由や責任などと、
言い出しました。
科学技術や数学を使えば、
何かがわかると、思っている奴は、あほです。
デカルトやパスカルみたいですけれど、
元を糺(ただ)せば、
お釈迦さんのような、古代インドの考え方です。
子供が生まれたのに、ラーフラと名付けて、
出奔しました。
修行の障害、という意味です。
自分の子供に、そんな名前を付けるって、
ろくでもない奴ですけれど、
ほんとに、生まれつきの障害者であったのかも
知れません。
後藤氏の赤ちゃんも、生後3週間でした。
なんでシリアへ行かんと、あかんのかって、
湯川氏を助けなければ、いけません。
変だなあ。
戦争の訓練って、
死ぬのを、恐いと思わなくなるように、します。
昔の日本も、今のイスラム国も、兵隊は皆、そうです。
上官の命令は、絶対ですから、
理由や原因を、わかろうとしては、いけません。
鉄砲を持った連中が、自分勝手に判断したのでは、
軍隊や国家で、なくなります。
自分の命を、自分で心配しない人生って、
麻薬的に、気持ち良いそうです。
イスラム国も、そう言っています。
欧米の青年を、リクルートするための、謳い文句。
みんな、気持ち良くなり、
満足な人生に、輝いている。
欧米の有識者は、イスラム国の嘘と、言いますが、
わたしは、本当と思います。
昔の日本人も、
天皇陛下の神の国に、命を捧げる自分を、
誇りに思いました。
神国日本を疑う奴なんて、1%も、いませんでした。
イスラム国や大日本帝国の兵士や、
欧米の志願兵だけでなく、
一々、自分の命を心配していたら、
生きていられない境遇の人たちは、
皆、酔い痴(し)れているようなものです。
湯川後藤両氏や名古屋大学の女子学生も、そう。
彼らから見れば、そうでない人たちのほうが、
麻薬に酔い痴れているのかも、知れません。
彼等には、リストカットのように、
血の滴(したた)る殺し合いが、救いなのに、
どうして、平和な日本の、健常な人たちは、
血を流さずに、陰険に、引導を渡して、
自殺をさせるように、
弱い者を、虐(いじ)めて間引くのが、
幸せなのかしら。
わたしは、どちらも、世界の風俗のように、
それぞれの価値と、思いますが、
生まれつきの素質に、
偏(かたよ)りのある人たちには、
イスラム国の首切りのほうが、良かったり、
日本の、社会の底辺の、
類は友を呼ぶ共食いのほうが、良かったり、
するのかも知れません。
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