田町駅東口再開発地 1734

ローカルな写真で、申し訳ありません。
JR田町駅東口の再開発地のうちの、
北地区公共公益施設が、
画面正面の、9階建ての新築ビルです。
 
デザインが珍しいので、低いけれども、目立ちます。
 
後ろの背の高いのは、JRの線路の北側の、
田町駅北東350mぐらいの場所ですが、
ビルの名前を、知りません。
 
線路の南側が、田町駅東口の再開発地ですが、
その内でも、芝浦公園の東側が、
北地区と言われています。
昔の、東京ガスの研究施設のあった所です。
 
その再開発地を、
450mほど南の、渚(なぎさ)橋から、撮りました。
 
途中に、霞橋や鹿島橋や香取橋などが、ありますが、
写真では、一番手前の、芝潟(しばがた)橋しか、
識別できません。
 
再開発地には、
プロムナードと名付けられた屋根付きの渡り廊下も
あります。
 
このあたりの川は、
すべてが、埋立地の間の、運河ですが、
東口再開発地中央の芝浦公園や、
線路の北側の本芝公園などが、昔の浜辺です。
 
芝浦は、干潟と砂浜でしたが、
明治の初めに、新橋と横浜の間に、
JR東海道線を通すために、
浜辺に堤防を作り、
その上に、軌道を敷設しました。
 
当時の漁師が、船を出すために、
線路の下を、潜(くぐ)る道が、
ガード下に残っています。
本芝公園と芝浦公園を結ぶ地下道です。
 
明治になるまでは、
たくさんの大名屋敷が、浜辺を囲い込んでいた中で、
芝浦や芝浜は、地元民の、漁業のための浜辺として、
徳川政府に、保護されていました。
 
江戸前の漁業の、中心地でしたから、
鉄道が通り、浜辺が分断されると、
徳川の時代は、急速に遠くなりました。
 
昔の漁師の、子孫の人たちには、
漁業権がありますので、
海に出るための運河を埋められても、構わない、
というわけには、行きません。
 
船溜まりと、それに面した芝浦公園も、
漁業の必需品ですが、
今は、浚渫(しゅんせつ)された土砂の運搬が、
本業かも知れません。
 
品川台場へ渡るレインボーブリッジを
往復した帰りに、撮りました。
帰国した日に、
台場のテレビ局に、用事がありましたので。
 
川の左側の高架は、
羽田空港と浜松町を結ぶ東京モノレールです。
わたしは、成田から、寄り道をしました。
 
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精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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