東福寺境内の臥雲橋(がうんきょう)という橋から、
通天橋(つうてんきょう)を見た写真。
その上に、偃月橋(えんげつきょう)というのもあり、
いずれも、紅葉(もみじ)の名所です。
貧乏なので、有料の通天橋は、
渡ったことがありません。
東福寺だけでなく、大徳寺や妙心寺なども、そうですが、
京都の、大きなお寺は、伽藍が開放されていますので、
自動車も、無料で通ることができます。
有名な庭があると、
僧侶の住まいの、塔頭(たっちゅう)のほうを、
有料にして、儲けます。
坊主が妻帯すると、お寺を世襲しますから、
宗教と言っても、葬式屋に近い。
医者も、そう。
無料の臥雲橋から見ても、
手入れされた公園みたいに、奇麗です。
通天橋の上の、偃月橋に行くと、
なんで3つも、橋を懸けたのかと、
不思議になります。
だいたい、偃のような、難しい字を使う奴は、
頭が悪いのに、決まっています。
どういう意味なのか、さっぱりわからん。
他人に通じない言葉を、使いやがって。
わたしも、人に通じないブログを書くなと、
怒られますが、
論理と科学技術の関係が、支離滅裂でも、
世の中は変わらない、ということを、
仏教の僧侶や、世界のお医者さんなどの、
学校で一番ケツッペタや、
一番成績の良い人たちは、理解できません。
彼らは、物理化学が支離滅裂なら、
科学技術の成果はなかったと、信じています。
あほです。
そんなあほでは、精神の病気は、治らないし、
治せない。
*** ***
科学技術者の多くが、
自然は、論理に一致すると、信じています。
宇宙船を飛ばしたり、
医薬や超高層ビルを、作ったり建てたり、
病気の仕組みを知り、治療したりは、
論理的であると。
同じことをすれば、いつも、同じ結果になるのは、
いつも、同じことを抽出するように、
知覚しているからです。
癖(くせ)が付けば、
自動機械のように、無意識に知覚されます。
目で見たり、手で触ったり、耳で聞いたりして、
物事を知覚するのは、
何かを共通点にして、その物事を抽出したからです。
習慣的に自動化されれば、
共通点を指定した覚えがないのに、
物事が知覚されます。
汎用的に使用できるはずの、脳の神経が、
特定の判断しか、出来なくなると、
特定の共通点の指定が、習慣になり、
無意識の自動機械のように、
脳の神経が、生物から物体になった、という意味です。
死につつあるの。
生物の珊瑚が、珊瑚礁を作りつつあるのと、同じです。
脳の神経だけでなく、
生物の体は、いつも、そのように死につつあるので、
死ぬと言わずに、生産すると、言った人もいます。
マルクスという人です。
彼は、観念論者や形而上学者を、
いつも、死ぬことばかりを議論していると、
批判しました。
そんなの、ただの文学用語の違いなのに…
論理の通りに、
自然や技術が、変化したり作られたりするのは、
それしか見ないからです。
そうでない奴を、あほと言い、殺そうとするように、
権力を振り回して、気持ち良くなりたいの。
お酒を飲むみたいに。
性転換医療って、
精神の病気を知らないお医者さんの、することです。
お医者さんが、人殺しをしては、いけませんが、
うかうかしていると、論理的な人のほうが、
精神の病気の人たちに、殺されるのが、普通です。
性転換医療って、仕返しみたいなものなの。
論理のわからんあほを、
殺せる時に、殺しておかないと、
眠っている最中に、
斧を振り下ろされるかも知れません。
自然や技術が、論理の通りと、思っている人は、
権力にしがみついていなければ、
虫けらみたいに殺されるように、
論理は、嫌な奴を殺すための、権力の手段です。
性転換医療は、
権力の敵を、早めに、始末しようとする気持ちが、
剥(む)き出しです。
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