悲田院 1716 お正月は我が家で

悲田院は、地名として、
大阪や京都に、伝わっているだけでなく、
お寺の名前としても、残っています。
 
昔の悲田院に、入院した人たちと、
現代の、精神の病気の人たちとは、
よく似ているかも、知れません。
性別違和を訴え、性転換を望む人たちも、
例外でないような、気がします。
 
性転換医療を受けても、要領良くなりませんから、
たいていは、体を壊したぶんだけ、往生します。
 
生活の困難が、増えるにも、かかわらずに、
当人の気持ちが良ければ、それが一番でないかと、
主張する人もいます。
 
お酒の依存症も、そうですが、
犯罪の加害にも、被害にも、
巻き込まれ易(やす)くなり、
社会の底辺の事情を、
嫌(いや)と言うほど、知る人生に、なるでしょう。
性転換が、尼崎事件のようでしたら、
本人たちだけが、知らないかも知れません。
 
酒飲みでも、性格を慕われて、
世間の人情の良さが、わかると思うのは、
甘酒のように、甘い。
 
フーテンの寅さんを、持て囃す人たちが、
ちょっとした嫌(いや)な奴を、
単刀直入に殺す人たちであるのは、
山谷や釜ヶ崎の風俗を見れば、わかります。
 
やっていないのに、やったと言われ、
証拠がないのに、決定的証拠があるって、
みんなに笑われます。
 
社会が、冤罪や証拠や嘘や間違いばかりで、
成り立っているのは、
お医者さんや法律家の世界も、同じなの。
 
論理がわからなければ、
やってはいけない事が、わからないだけでなく、
為(な)すべき事も、
類推できるわけが、ありません。
 
どんぐりの背比べですから、
論理も、支離滅裂の一種でしたら、
わたしたちに、求められているのは、
好き嫌(きら)いを超えて、
誰にでも、共感できる能力かも、知れません。
 
笹井さんや小保方さんも、そう言っていました。
 
好き嫌いを、超えることなんて、出来るのかしら。
論理や科学技術や知覚の仕組みは、
去年に、説明済みですから、
今年は、どうでも良いのですけれど…
 
人間に近いほうの、哺乳類の半分ぐらいの種類の、
感情って、人間が解釈しても、大きくは違いません。
 
ライオンは、
お腹(なか)の空(す)いている時でも、
噛み殺した人間を、食べません。
お腹が一杯の時でも、殺します。
 
人間のことを、食べ物と、思っていませんから、
殺す理由は、腹が立つからに、決まっています。
 
縄張りを荒らされると、黙ってられない。
性転換医療を行なう人たちも、そうかも知れません。
  
動物はお肉だから、人間も食べ物であるなんて、
論理的な思考は、通用しません。
 
ニホンザルは、食べたことのない木の実を、
食べずに、餓死します。
その実を、子供の頃に、食べたことのある個体は、
お腹一杯に食べて、満足ですが、
食べたことのない個体は、真似(まね)ができずに、
餓死します。
 
猿は、ライオンよりも、人間に似て、
賢いそうですが、
かなり、性転換に似ているでしょう?
人間の中でも、
半数くらいの、論理能力の低い個体は、
ニホンザルに似ています。
 
論理って、科学技術を作るよりも、
他の個体に共感する能力に、近いの。
数学者を見れば、
ニホンザルよりも賢いと、わかります。
 
今年は、感情で行きますから、
論理や知覚よりも、性別違和に接近して、
2週間に1度くらいは、接触したいと、思います。
 
賀正。
 
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精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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