悲田院は、地名として、
大阪や京都に、伝わっているだけでなく、
お寺の名前としても、残っています。
昔の悲田院に、入院した人たちと、
現代の、精神の病気の人たちとは、
よく似ているかも、知れません。
性別違和を訴え、性転換を望む人たちも、
例外でないような、気がします。
性転換医療を受けても、要領良くなりませんから、
たいていは、体を壊したぶんだけ、往生します。
生活の困難が、増えるにも、かかわらずに、
当人の気持ちが良ければ、それが一番でないかと、
主張する人もいます。
お酒の依存症も、そうですが、
犯罪の加害にも、被害にも、
巻き込まれ易(やす)くなり、
社会の底辺の事情を、
嫌(いや)と言うほど、知る人生に、なるでしょう。
性転換が、尼崎事件のようでしたら、
本人たちだけが、知らないかも知れません。
酒飲みでも、性格を慕われて、
世間の人情の良さが、わかると思うのは、
甘酒のように、甘い。
フーテンの寅さんを、持て囃す人たちが、
ちょっとした嫌(いや)な奴を、
単刀直入に殺す人たちであるのは、
山谷や釜ヶ崎の風俗を見れば、わかります。
やっていないのに、やったと言われ、
証拠がないのに、決定的証拠があるって、
みんなに笑われます。
社会が、冤罪や証拠や嘘や間違いばかりで、
成り立っているのは、
お医者さんや法律家の世界も、同じなの。
論理がわからなければ、
やってはいけない事が、わからないだけでなく、
為(な)すべき事も、
類推できるわけが、ありません。
どんぐりの背比べですから、
論理も、支離滅裂の一種でしたら、
わたしたちに、求められているのは、
好き嫌(きら)いを超えて、
誰にでも、共感できる能力かも、知れません。
笹井さんや小保方さんも、そう言っていました。
好き嫌いを、超えることなんて、出来るのかしら。
論理や科学技術や知覚の仕組みは、
去年に、説明済みですから、
今年は、どうでも良いのですけれど…
人間に近いほうの、哺乳類の半分ぐらいの種類の、
感情って、人間が解釈しても、大きくは違いません。
ライオンは、
お腹(なか)の空(す)いている時でも、
噛み殺した人間を、食べません。
お腹が一杯の時でも、殺します。
人間のことを、食べ物と、思っていませんから、
殺す理由は、腹が立つからに、決まっています。
縄張りを荒らされると、黙ってられない。
性転換医療を行なう人たちも、そうかも知れません。
動物はお肉だから、人間も食べ物であるなんて、
論理的な思考は、通用しません。
ニホンザルは、食べたことのない木の実を、
食べずに、餓死します。
その実を、子供の頃に、食べたことのある個体は、
お腹一杯に食べて、満足ですが、
食べたことのない個体は、真似(まね)ができずに、
餓死します。
猿は、ライオンよりも、人間に似て、
賢いそうですが、
かなり、性転換に似ているでしょう?
人間の中でも、
半数くらいの、論理能力の低い個体は、
ニホンザルに似ています。
論理って、科学技術を作るよりも、
他の個体に共感する能力に、近いの。
数学者を見れば、
ニホンザルよりも賢いと、わかります。
今年は、感情で行きますから、
論理や知覚よりも、性別違和に接近して、
2週間に1度くらいは、接触したいと、思います。
賀正。
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