日本の代表的な落葉樹ですが、
わたしの子供の頃は、
調理や暖房のための、燃料が、
まだ、薪(まき)や炭でしたから、
櫟(くぬぎ)は、日本を代表する天然資源でした。
これがあったから、
日本は、中国や韓国のように、なりませんでした。
他国に、侵略されなかったの。
当然、モンゴルのフビライが、
漢民族や朝鮮民族を、動員して、
日本を攻め取ろうとしたのも、
これが欲しかったからです。
大相撲が、欲しかったので、ありません。
薪や炭の、豊かな生活。
まるで、クウェートやアブダビの、
オイルマネーの栄華みたいに、見えました。
うちの父が、戦争の時に、
朝鮮半島から中国大陸を、行軍しましたが、
歩兵は、自動車でなく、文字通りの徒歩でした。
父は、広東省の珠江の河口の、広州市まで、
歩きました。
香港の近くです。
朝鮮や中国は、見渡す限りの、禿山ばかり。
朝鮮人や中国人は、みんな裸足。
中国の兵隊は、鉄砲や軍服がない。
これでは、日本軍と、まともに戦えません。
これが、元寇の頃から、ずーっと、そうでした。
インダス文明が滅びたのは、
樹木を切り倒して、燃料がなくなったから、
という学説があるでしょう?
石炭や石油を、利用するようになったのは、
最近のことですから、
日本の明治維新が成功したのは、
薪炭(しんたん)と下肥(しもごえ)の、
お陰(かげ)でした。
1970年頃まで、日本は、
よく発酵したうんこやおしっこの香りに、
輝いていました。
わたしの子供の頃の、
1950年代の住宅街でしたら、
都会の真ん中でも、
車は、ほとんど走っていませんでした。
荷物自転車の時代です。
三輪オートバイみたいな、
ミゼットが走るようになり、
時代が変わったと、わたしは、感慨深かった。
幼稚園に、通(かよ)っていました。
薪や炭の、代表的な樹木が、櫟(くぬぎ)です。
こいつを、絶やさないように、山を維持しました。
封建主義って言われる社会制度です。
ヨーロッパの、馬を使った三圃(さんぽ)農業に、
匹敵しました。
江戸時代になると、
平野の田畑に、下肥農業が発達しましたので、
中国や朝鮮に、決定的な差を付けました。
樹木の世代交代を、大切にしましたから、
伐採したままにしないで、
殖(ふ)やして、こき使います。
奴隷制の一種と、マルクス主義者は言います。
フランス革命は、
農奴を、都会の工場で、こき使うために、
貴族を、伐(き)り倒しましたが、
日本の明治維新は、
一生懸命に、新しい貴族を、移植しました。
落葉樹なのに、櫟(くぬぎ)の枯葉は、
春まで、枝にくっついたままです。
葉の付け根に、離層が作られません。
どうしてなのかと、議論するのが、
植物の好きな人たちの、酒の肴(さかな)です。
右下の紅葉は、錦木(にしきぎ)です。
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