秋の噴水 1679 精神の病気の原因

公園の噴水も、寒くなると、見たくない。
結婚すると、異性の性器を、見たくない。
 
あれは、おしっこの出口でなければ、
公序良俗の証(あかし)でしかない。
性転換をする人は、そう思うのかも。
 
煩(わずら)わしく、あほくさい文化の、
象徴のようなもの。
裁判官や聖職者の、衣装のようなものかしら。
権威の源泉です。
 
噴水を見て、そんなことを思うのは、
ブリュッセルの小便小僧に似ている。
 
         ***          ***
 
性別違和や性転換を、
GID(性同一性障害,gender identity disorder)
のように、
一つの病気として、纏(まと)めるのは、
便利かもしれませんが、誤解を招きやすい。
 
事情は、脳や体の器質に、
原因となる病変の発見されない種類の、
多くの病気に、共通かも知れません。
 
もしも、心の中身だけを、問題にすれば、
健常な精神が、
そもそも、病気のようなものです。
 
精神の病気の人から、
精神の病気と、決めつけられれば、
まるで、大阪教育大学付属小学校の、宅間守氏に、
罵(ののし)られた裁判官のようなものです。
 
統合失調症やGIDのほうが、裁判官であり、
健常な精神が、宅間氏であっても、
ちっとも、不思議でありません。
 
法廷でも、宅間氏は、
そのような意味のことを、主張していました。
裁判官の判決文よりも、
正鵠(せいこく)を射ているかも、知れません。
 
なぜ、彼は、子供たちを殺したのかしら、
という疑問は、
なぜ、裁判官や精神科医は、彼を死刑にしたのか、
という疑問と、同じです。
 
先に手を出した奴が、誰であるかは、
たぶん、判明しませんが、
街のごろつきの、殺し合いの喧嘩に、すぎません。
 
みんなと一緒のことが、出来なければ、
差別虐待されますから、社会を怨みます。
 
多勢に無勢でしたら、反抗しても、無駄ですから、
自殺のために、
小学生を殺して、死刑になろうとするのは、
当然です。
 
籠城(ろうじょう)をしても、
兵糧(ひょうろう)を断たれれば、
陥落は、時間の問題ですから、
自分から打って出て、半(なか)ば自殺のように、
討(う)ち死(じに)するのは、
戦国時代に、よくある話でした。
 
街のごろつきも、戦国の武将も、
殺し合いは、似たようなものです。
 
何の罪もない女子供(おんなこども)を、殺した、
と言い、
武将を、人格障害や犯罪者と、非難しても、
仕方ないのに、
裁判官や精神科医は、そう罵り、処刑しました。
 
世間の、法律家やお医者さんは、
そのへんの、家庭の主婦に、似ています。
宅間氏も、そう。
やくざや犯罪者や精神障害者などの、
社会の底辺の、共食いと、いつも同じです。
 
そのへんの、
法律家やお医者さんや、家庭の主婦や子どもたちを、
罵(ののし)って殺さないように、
やくざや犯罪者や精神障害者などと、大切に接して、
仲良くしては、いけないのかしら。
 
わたしは、プラナリアや水虫を、
憎んだり礼賛(らいさん)したりは、しないのに…
 
     器質的な病変がなくても、
     精神の病気になる人って、
     赤ちゃんの時に、
     みんなと動作が違うだけでなく、
     幼児になっても、
     みんなと同じ動作が、出来ません。
 
     生まれつきですから、
     動作の仕方が、ただの少数派でしたら、
     後々に、精神の病気になります。
 
     みんなと一緒のことが出来なければ、
     差別虐待されますが、
     ご本人には、どうしようも出来ません。
      
     差別虐待されるだけでなく、
     みんなと一緒のことを、
     教えて貰(もら)えないのが、普通です。
 
     出来ないのですから、
     教え込もうとすることが、
     虐待になります。
 
     原因がわからなければ、
     症状を分類して、病名をつけても、
     病名の違いが、
     原因の違いを、反映していない可能性が、
     高い。
 
     器質的な原因が違っていても、
     精神症状は、同じになる可能性が、ある。
 
     早い話が、
     手の骨を折ろうが、胃癌になろうが、
     脳卒中や白内障や水虫であろうが、
     共通の精神症状が出て、
     ちっとも、不思議でありません。
 
     骨折や胃癌などの、
     器質的な病名を超えて、
     共通の精神症状が出るだけでなく、
     一人一人の、
     器質的な原因の違いを超えて、
     共通に現れる精神症状を、
     わたしたちは、精神の病気として、
     分類しているだけの可能性が、高い。
 
     一人一人の器質的な病変を、
     わたしたちは、共通の精神の病気の、
     原因であると、知ることができるかしら。
 
     統合失調症の人に、脳梗塞があった時に、
     それを、統合失調症の原因であると、
     特定できるでしょうか。
 
     一人一人が違っていれば、
     みんなに共通の、
     統合失調症という症状の組み合わせの、
     原因であると、特定できません。
 
     きっと、わたしたちは、
     その脳梗塞は、統合失調症の原因でないと、
     言ってしまいます。
     だって、脳梗塞の発見されない人も、
     統合失調症になるもん。
     
     一人一人の器質的な原因が違っていても、
     みんなに共通の精神症状が現れます。
     さて、その精神症状の原因は、
     何でしょう?
 
     そもそも、一人一人の器質的原因って、
     わかるのかしら。
     自分一人だけの、一回限りの事実って、
     認識できますか。
 
     事実は、ほんとうに、
     わたしたちの心から、独立して、
     唯物論的に、存在するのかしら。
 
     何を原因として、何を結果とするかは、
     定義でないのかしら。
     科学技術のように、
     疑いのない原因と結果の関係って、
     そのように定義したから、
     必ず、そうなるだけでないのかしら。
 
     定義すれば、そうなるってことを、
     科学技術が、
     証明しているのでないのかしら。
     
     わたしたちが、目で見て、手で触り、
     耳で聞いて、実際に知る事実も、そう。
 
     そのように定義したことが、
     知覚されるのは、
     生まれつきに、神経や化学物質の、
     繋がり方やくっつき方が、
     品種改良されて、そうであるだけでなく、
     生まれた後にも、そのように、
     神経が手を伸ばしたり、
     化学物質がくっついたりしているからで、
     ないのかしら。
 
     事実や因果関係などは、
     そこにあるのでなく、
     そのように、わたしたちが
     作っているのでないのかしら。
 
     唯物論的に、そこにある、と考えるよりも、
     そのように作っている、と考えたほうが、
     人間は、幸せになるような気がして、
     なりません。
     
     性同一性障害って、ほんとうに、
     そういう病気があると、思いますか。
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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