2014年8月20日に、アメリカ合衆国海軍の、
原子力潜水艦ハワイというやつが、
横須賀に来ていましたので
海軍の写真を、パクッて来ました。
横須賀の司令官が来たので、敬礼しています。
なんでこんなに、塗装が、傷んでいるのかしら。
北極海を、全速力で泳いで、
磨り減ったり、剥がれ落ちたりしたのでなく、
何かの改修の痕のようです。
原子力船は、長距離で運用しないと、
維持費が高くなるので、困ります。
*** ***
事実って、写真に撮れば、わかると、
言う人がいます。
写真は、
こうなれば、こうなる、という因果関係が、
写りません。
ビデオを見れば、わかる、と思う人は、
裁判官のように、論理能力の、無い人です。
だって、ビデオを見ても、
物理化学はわからないし、
科学技術を作れないもんね。
飛行機を見ても、飛行機を作れないし、
鳥が飛ぶのを見ても、飛べないでしょう?
ビデオを見ても、
こうなれば、こうなる、っていう因果関係は、
わかりません。
写真やビデオに撮れば、事実はわかると、
言う裁判官と、
それは、事実でない、と言う物理化学者とでは、
原因と結果の因果関係が、かなり違います。
物理化学者って、何度も試行錯誤をして、
こうなれば、必ず、こうなる、という因果関係を、
導き出します。
写真やビデオに、撮っただけでは、わかりません。
どうして、裁判官は、ビデオを見て、
人を、死刑にするのかしら。
因果関係がなくても、ビデオや人間の心って、
全部、時間の前後に、並びます。
何度も試して、
何度も、偶然が重なるかも、知れません。
こうすれば、こうなる、っていう確率が、
高くなければ、
工業製品を作っても、歩留まりが低く、
商売になりません。
必ず、そうならなければ、
たぶん、物理化学の法則に、なりませんけれど、
必ずって、定義するしか、ありません。
写真やビデオを見ても、
原因と結果の、因果関係がわからないのに、
どうして、事実を知ったかのように、
人は、確信するのかしら。
原因と結果の、因果関係や時間のことを、
お釈迦さんは、人間の心と同じであると、
考えました。
写真やビデオに、心が映らないのは、
当たり前ですが、
心を、これこれであると、定義すれば、
物理化学になり、
工業製品を作れば、儲けられるようになるのも、
当たり前と言えば、当たり前です。
裁判官は、工業製品を作りませんから、
試行錯誤の必要も、ありません。
いきなり、因果関係を定義して、判決文を書きます。
みんなは、たぶん、こう思うだろうと、
裁判官が推察するところを、判決文に書きます。
法律により、こうであると、こじつけて置かなければ、
法律家は、失業しますから、
なにもかもが、法律の通りのように、装います。
法律は、流行文化に決まっていますから、
裁判官の言う因果関係が、
世間の思惑(おもわく)であるのは、
言うまでもありません。
そうでなければ、
反乱が起こり、国家が潰れますから、
当たり前です。
裁判官の判断は、当てずっぽうですけれど、
みんなの思うところです。
流行ですから、しょっちゅう、変わります。
昔は、死刑と判決したのに、
今は、冤罪(えんざい)であったと、判決しても、
憲法は、責任をとって、切腹をしたりは、しません。
事実って、
原因と結果の、因果関係がなければ、
事実と、言わないのかしら。
物理化学や科学技術のような、
因果関係が、わからないので、
写真やビデオは、事実でないのでしょうか。
それとも、物理化学や科学技術のような、
因果関係は、わからなくても、
裁判の判決のように、因果関係についての、
みんなの思惑(おもわく)が、
わかりますから、
やっぱり、写真やビデオは、
事実なのでしょうか。
写真やビデオに、
思惑が写っているわけでありませんから、
心霊写真に似ています。
因果関係がわからないのに、
目で見て、耳で聞き、手で触り、
確かに事実を知ったと、思う心が、
どうして、
写真やビデオに、写るのかしら。
統合失調症の人だけでなく、
精神の病気の人や、宗教家や、
迷信や嘘や占いや間違いを、
信じるような、
世間の、ほとんどの健常な人が、
そう思っているのなら、話は簡単です。
世間の人は、自分という心があると、
信じていますし、
論理能力が無いのは、
試験を受けて貰(もら)えば、
すぐにわかります。
それなのに、
これこれならば、これこれであると、
日常茶飯の、判断のしっ放しですから、
裁判の判決や、
迷信や嘘や占いや間違いなどにより、
事実がわかると、確信すれば、
心霊写真のように、
写真やビデオに、事実が写っているのに、
決まっています。
写真やビデオには、もちろん、
光や音の変化が、写っています。
人間の感覚器官も、それを捉えますから、
人それぞれの記憶と、
写真やビデオの記録が、一致すれば、
証拠のない思惑が、
証拠の確かな因果関係のように、
確信されるのかも、知れません。
光や音の変化と、因果関係が、違うのは、
もう、言いません。
何度も言うと、怒られるから。
物理化学や科学技術のような、
因果関係が、
写真やビデオに、写らないのに、
裁判官が、因果関係を確信するのは、
流行文化の、
迷信や嘘や占いや間違いなどと、
同じであることも、もう言いません。
因果関係がなければ、事実でないか、
というのが、問題です。
因果関係がなければ、
記憶されないのでないかと、
疑われます。
物事(ものごと)を記憶する時に、
作り話の筋道(すじみち)をつけても、
ちゃんと、記憶されるのに、
筋道がなければ、記憶は困難です。
何かと、関係付けなければ、いけません。
世間では、因縁を付けると、言います。
物理化学のような因果関係でなくても、
流行文化や個人の、思惑(おもわく)を、
くっつければ、
事実と言われるのでしょうか。
それとも、そんなものがなくても、
事実は事実なのでしょうか。
写真やビデオは、
事実に決まっているのかしら。
因縁を付けられなければ、
ほとんど記憶できませんから、
記憶と、写真やビデオの記録とが、
同じであるとか、違うとかと、
比較できません。
物理化学のような、
因果関係がくっついていなければ、
信憑性がないから、
迷信や嘘や占いや間違いなどの、
思惑の筋書きを、くっつけて、
自分や他人を、納得させるのでしょう?
写真やビデオって、
最近の科学技術の産物です。
昔の人は、知りませんでした。
絵や伝聞などは、嘘かも知れませんが、
写真やビデオは、
確かに、自分が見た通りに、
写っています。
これは事実でないのかしら。
科学技術の再現性は、何度でも、
こうすれば、こうなりますけれど、
ビデオを、何度も再生すれば、
何度も、同じことが起ると、思うのは、
あほです。
写真やビデオは、一回きりの事です。
それでは、物理化学のような因果関係は、
わかりません。
夢や錯覚と同じように、
現実のほとんどは、一回きりです。
ほんとうに、写真やビデオは、
わたしが見たり聞いたりした事と、
同じなのかしら。
一回きりの事を、記憶したり、
同じであると、判断したりは、
できないかも知れません。
写真には、わたしが写っていましたが、
わたしは、
そんなことを、していないのに、
写真に写っているから、わたしがしたと、
思い違いをしているのかも、知れません。
統合失調症の人は、
何度も何度も、呪文のように、
一回きりの記憶を、繰り返して、
普遍的で必然的で一般的な記憶を、
作り上げます。
妄想や幻覚ですけれど。
記憶って、そもそも、そうでしょう?
思惑(おもわく)と言われる筋を
付けるのも、
何度も繰り返すための、便宜です。
写真やビデオに、記録された光や音は、
オナニーのおかずのように、
記憶のための、道筋になります。
新聞を配達する家を、
たった一度で、1000軒も、
覚えてしまうのは、
道筋に、結びつけたからです。
写真やビデオも、
わたしたちの記憶と同じものが、
写っているのでなく、
写真やビデオに、記録された光や音を、
擬(なぞら)えるように、
わたしたちは、
記憶を再編しているような、気がします。
写真やビデオには、
いったい、何が写っているのかと、
心霊写真の超能力者は、
疑問に思ったのかも知れません。
原子の写真を撮ると、
かならず、そういう疑問が出てきます。
原子を、
誰も、見たことがありませんから、
写真に写っているのが、原子である、
という証拠が、ありません。
鏡も、そうです。
そこに写っているのは、自分なのかしら。
写真やビデオに撮っても、
それを知覚するのは、目や耳ですから、
じーっと、写真やビデオを見ていれば、
心が動くように、因果関係が結ばれます。
まるで、御神籤(おみくじ)を、
神社の梅の木の枝に、
結わえるようなものです。
知覚によって、起こった因果関係が、
写真やビデオの中にあると、
錯覚するのでないのかしら。
記憶のために、錯覚します。
マスコミの、性転換の流行感覚を知れば、
自分の心に、性別違和が芽生えるように、
写真やビデオを見れば、
自分の心の動きの因果関係が、
写真やビデオの中にあると、
確信するのかも知れません。
写真やビデオが、
事実であると確信するのは、
やはり、写真やビデオの中に、
因果関係があると、確信するからですが、
それは、写真やビデオを見た時の、
自分の心の動きの、
因果関係でないのかしら。
写真やビデオが、事実であると、
思うのは、
写真やビデオと、
それを見ている自分との間の、
オナニーのような
コミュニケーションのせいで、
ないのかしら。
鏡の中の自分も、そう。
因果関係から、
みんなに共通の時間や、自分という心が、
生まれるのは、
コミュニケーションの相互関係のような、
気がしてなりません。
フィードバックしています。
性別違和や、性転換などの、心に、
そっくりです。
三島由紀夫氏も、そうでしたけれど、
シリアに行った子も…
事実や知覚や論理の、取扱いって、
精神の病気の人に、
特有のものがあります。
健常な人の、ほとんどの、
論理能力が低く、
事実や知覚や論理は、
妄想や幻覚や支離滅裂ですけれど、
精神の病気に、なりません。
エステティックは、
鏡やオナニーや性別違和のように、
写真やビデオを、
事実と確信する仕組みに、
よく似ています。
0コメント