これも、代表的な高山植物です。
場所は、昨日と、あまり変わらず。
鉱山道乗越や、鉱山道分岐などと、
言われる近辺です。
そこから、旭岳と清水(しょうず)岳を、見た光景。
蓮華温泉から、白馬岳と、雪倉岳と、朝日岳を、
回遊するコースの、途中ですけれど、
鉢ヶ岳東斜面から、朝日岳にかけては、
7月の初めでしたら、足の踏み場もないくらいに、
高山植物が咲き乱れます。
まだ、アイゼンが必要ですが、
北アルプスで望み得る最高の高山植物の群落の中を、
歩きます。
8月下旬の今頃は、もう、普通のお花畑ですけれど、
それでも、息を飲む美しさです。
白い花は、撫子(なでしこ)やハコベの類の、
岩爪草(いわつめくさ)です。
*** ***
性別違和や性転換の人って、
わたしのブログみたいに、
証拠のない事を、話したり信じたり、します。
他人の、嘘や間違いを、簡単に信じるのと、
自分の、嘘や間違いに、気づかないのとは、
たぶん、同じです。
どうせ、性別違和の患者さんの例を、
だれと、わかるようには、書けませんけれど、
たれと、わからなくても、
具体例として、上げられただけで、気に病む人が、
心の病気には、たくさんいます。
嘘や間違いでなければ、ただの定義なのに…
心の自由は、嘘よりも、間違いの中にあると、
考える人もいます。
人間のあほは、どうしようもない。
わたしは、話の筋(すじ)を書くために、
具体的な事実を、挙(あ)げますので、
事実が、嘘や間違いであっても、
構いません。
筋(すじ)は、
数学や物理化学や科学技術のような、
論理と言われる奴ですけれど、
生まれつきの脳の、神経や化学物質の、
繋がり方やくっつき方の、
変更不能な何かが、
論理法則と言われます。
そいつが、たくさんの人に共通なのは、
その人たちが、
そうでない人を、殺したからです。
これからも、殺したいので、
数学や物理化学や科学技術を、
学校で教えています。
その筋は違うと、わたしは、
アリストテレスに、言ってあげましたが、
聞こえませんでした。
人それぞれの、素質が違うように、
脳味噌の変更不能なものも、違います。
アリストテレスが、
特定の脳味噌の素質を、
論理法則として、示してから、
数学や物理化学などは、
今も、それを、使い続けていますから、
時代錯誤も、甚(はなは)だしい。
そうでない素質を、あほや気違いと言い、
真綿で首を締めるように、間引いて、
品種改良をします。
顔や体の、見てくれのエステティックと、
まったく同じです。
ノーベル賞みたいに、
賢く健常な人ばかりの、
世の中になっても、
やっぱり、その中の、一定の割合の人は、
あほや気違いと、笑われて、
後ろ指を差されて、蔑(さげす)まれて、
虐(いじ)め殺されるのに…
知覚は、生まれつきの脳味噌の、
変更不能な素質を使い、
具体的な知覚の中身の、事実を作りますが、
物理化学や科学技術のように、
事実は、論理に一致しています。
論理のわからないような、頭の悪い人でも、
事実を、知ることが出来るのに、
どうして、事実は、
特定の脳味噌の素質の、論理法則に、
一致しているのかしら。
あほでも、科学技術者になれるように、
技術を使えば、生活が楽になり、
嫌(いや)な奴を、撃ち殺すことができます。
技術者でなくても、新幹線に乗れるように、
テレビやコンピュータの作り方を、知らなくても、
使えます。
物理化学を知らなくても、
科学技術者になれるだけでなく、
論理を知らなくても、
数学者や物理化学者に、なれます。
論理法則を知らなくても、事実が見えるのは、
当たり前なのに、
どうして、論理は、事実の知覚に、
一致しているのかと、疑われないのかしら。
わたしが、子供の頃って、
一般の人は、大衆食堂に行き、
テレビのプロレスを、見ました。
力道山が出て来ると、みんなが興奮して、
本当に殺し合いをしていると、
思い込みました。
外人が反則をしているのに、
どうして、警察が出動しないのかと、
国会で質問をした議員さんも、いました。
玩具(おもちゃ)みたいな、演技なのに…
子供のわたしにも、
子供騙(だま)しと、わかりましたが、
30年ぐらい経つと、たいていの人は、
格闘が素材の、即興劇であると、
知りました。
空手や少林寺拳法などの、格闘技には、
形(かた)があり、
歌舞伎は、形を見せる演劇なのに、
どうして、日本人は、30年間も、
気づかなかったのかしら。
エジソンの時代に、欧米の人たちは、
映画の演技を、本物と、信じていました。
舞台の演技を、知っているくせに、
映画もそうであると、気づいたのは、
興行が始まってから、
30年も後(のち)でした。
わたしは、小学高学年の頃に、
学校の教科書に、
嘘と間違いしか、書かれていないので、
プロレスや映画みたいに、
ロマンティックだなあと、思いました。
水を電気分解すると、
水素と酸素ができるって、書いてあります。
水素のほうに、火を近づけると、
ポンと爆発するので、水素とわかり、
酸素のほうに、
火の点(つ)いた線香を入れると、
激しく燃えるので、酸素とわかるって、
書いてありました。
爆発するのは、水素だけと、
どうやって、証明するのかしら。
ほかの物質は、混じってないの?
激しく燃えるのが、酸素のせいなら、
放火犯も、俺のせいでなく、
酸素のせいと、言い出します。
人間の心や行為と、自然現象とは、
別なのかしら。
二つに分ける線の引き方が、正しいと、
電気分解は、証明しなければいけません。
国境紛争って、殺し合いの原因だもん。
わたしは、教科書に、
嘘や間違いしか、書かれていないので、
さすがに、日本人の心は美しいと、感心しました。
ナポレオンやヒトラーと、お話をしているようで、
とても楽しい学校時代でしたけれど、
なんとなく、時代錯誤のような、気がしました。
数学なんか、全部、定義で成り立っていますから、
本当のことが、どこにもないのは、
当たり前ですけれど、
定義した通りに、将来の事実が、起こるから、
科学技術は間違いないって、確信されるのは、
その通りに、脳味噌が変更されたからに、
決まっています。
赤ちゃんに、言葉を聞かせれば、
それを理解するように、脳味噌の神経が繋がって、
成長しますけれど、
音声と意味の、関係は、定義でしかなく、
普遍性や必然性は、ありません。
目や耳や皮膚から入って来た刺激と、事実の関係も、
定義に決まっていますけれど、
脳の神経や化学物質の、
繋がり方やくっつき方として、定義されています。
統合失調症の人は、
感覚器官から入って来た情報を、
何者かが発信したと、理解します。
物理化学は、自然が発信したと、
言いますが、
統合失調症の人は、
どこかの誰かに決まっていると、
言います。
宗教家は、神様と言いますが、
自分や他人や神様や自然って、
国境線の引き方が、違うだけです。
物理化学の知見は、中立的な何かでなく、
意図的に
脳味噌に放り込んだプログラムのことで
ないのかしら。
みんなと一緒のプログラムを
仕込まれれば、
みんなの目に、同じ事実が、見えるのは、
当たり前ですけれど、
人それぞれの遺伝的素質が、後に、
教育によって吹聴されるプログラムと、
最初から同じであれば、楽ちんです。
物理化学者って、生まれつきの、
自分の脳味噌のプログラムを、
我田引水のように、
主張しているだけでないのかしら。
自分の脳味噌の素質を、優遇して殖やせと、
鉄砲を振りかざすように、
自分と違う素質のやつを、
敵や犯罪者や精神障害者や低能児として、
間引いたり、こき使ったりせよと、
みんなに、迫っているので、ないのかしら。
どうして、物理化学は、事実の結果を、
予測できるのかしら。
これこれならば、必ず、そうなると、
未来を予想できるから、科学技術が、役に立ちます。
電気分解が、未来を予測して、言い当てたのでなく、
言葉遣いを定義しただけなら、どうしよう。
爆発したり、よく燃えたりする気体を、
作ることができると、確信するのは、
プロレスや映画と、同じかも知れませんが、
何度やっても、その気体を、
確実に作ることが出来るのは、とても便利です。
プロレスや映画のように、
知覚の仕組みが、演出してくれます。
脳の神経の手が、
コンピュータのプログラムのように、
文化的に作られますから、
無意識に、みんなと一緒のことを、知覚します。
気体を作ったのでなく、
脳の神経を、作ったのかも知れません。
そのせいで、
そう見えるようになったのかも、知れません。
特定の神経の繋がり方を、
品種改良して、純化(じゅんか)したのは、
手柄(てがら)なのかしら。
あほや気違いと言われて、間引かれた人だけでなく、
その神経が、変更不能になったのは、
どうしてくれるの。
いつも、そのプログラムの通りに、見えるのは、
不味(まず)くないのかしら。
脳味噌は、消耗品ですから、
一生の変化に、容量の限界があります。
使えば使うほど、
だんだんと、変更不能になりますから、
爆弾や毒ガスが、嫌(きら)いなのに、
脳味噌が、電気分解になるのは、
苦役(くえき)です。
うちのお父さんが、化学会社を作ったせいで、
わたしが、世話をする羽目(はめ)に、なりました。
物理化学なんか、信じていないのに、
なんで石油のために、
イラクに行かなければ、いけないのか…
信じていなくても、
科学技術が予言した通りに、
事実が推移するではないかと、怒られます。
因果関係ってやつです。
テレビの映像を見ても、
手品の種(たね)なんか、わかりません。
そのように、
番組を作っているのですから、
製作の一部始終を、知っていなければ、
放映されたビデオを見ても、わかりません。
わたしたちの知覚の中身の、
事実もそうなの。
製作の裏側を、知っていなければ、
事実を見ても、種(たね)はわかりません。
製作の裏側って、脳の神経が、
手を伸ばした経緯(いきさつ)です。
それを自覚できないのと、
放送された手品を信じて、
自分と言われる心を、自覚するのとは、
同じです。
心や事実は、全部、嘘や間違いと、言っても、
構いませんから、
裁判や医療は、人殺しや性転換と、
同じくらいに、お目出度い。
そう言ってしまうと、
身も蓋(ふた)も、ありませんので、
体を壊さずに、文化のほうを、
変えるべきと、大人しく言っています。
男の文化や体はこれ、女はこれと、
性別の文化を死守して、
自分の体を壊す心は、とても可哀想です。
精神の病気の、典型なのですが…
性別の文化を、確信するのは、
性別にかかわらずに、文化的な定義が、
人間の価値を評価して、
生まれつきの遺伝的な素質を、
殺し合いのように、
品種改良していることを、
知らないからで、ないかと、疑われます。
論理のような、遺伝的な素質だけでなく、
一々の事実と言われる知覚の
具体的な中身は、流行文化が、
脳の神経の手を、作ることにより、
脳の中を征服するように、
文化的に作られることを、
知って置かなければいけません。
文化の中身を、信じてはいけないように、
性別の文化を、変更不能にしてはいけない。
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