ヤマモモの実 1564

山桃は、あちこちで、街路樹になっていますので、
その実が、歩道に落ちる頃って、季節を感じます。
 
若いころは、
暦や歳時記のように、季節が大好きでしたけれど、
年を取れば取るほど、
毎年、変わらぬ季節感が、
精神の病気の症状のように、見えて来ました。
 
自然の季節も、変更不能になった文化のように、
精神の病気でないかと、疑うようになりました。
 
コンピュータって、ハードウェアと、
プログラムと言われるソフトウェアの、いずれもが、
みんなと一緒でしたら、
それぞれのコンピュータが、
皆、同じ判断をするのは、当たり前です。
 
ハードウェアって、
遺伝子工学のような、小難しい手順を踏まなくても、
犬や豚の品種改良のように、
文化的に好まれた遺伝的素質を、取捨選択して、
簡単に、ダックスフンドや四川黒豚を、
人間は、大昔から、作って来ました。
 
人間の品種改良も、同じです。
文化が、人間のハードウェアを作っています。
 
文化って、
ソフトウェアのプログラムに、決まっていますから、
みんなと一緒のハードウェアに、
みんなと一緒のプログラムを放り込めば、
目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実を、
みんなが、同じ夢のように見るのは、当たり前です。
 
電信や電話やラジオや映画やテレビだけでなく、
インターネットも、それをやっていますから、
言葉を使ったコミュニケーションや権力だけでなく、
目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実を使い、
科学技術が、それをやってるのに、決まっています。
 
数学や論理や事実や科学技術と聞けば、
目や皮膚や耳などの、知覚と同じように、
妄想や幻覚や支離滅裂などと言われる統合失調症の、
症状の一部なのに…と、わたしは、残念に思います。
 
お医者さんって、知的障害のようなものですけれど、
それを、持て囃すのが、
ここ数百年の流行文化ですから、
わたしも、それに乗って置きますけれど、
戦争になれば、目の前で、人殺しが起こっても、
日常茶飯の、当たり前の気持ちになるのと、
同じです。
 
季節や星空の移り変わりが、それなの。
人間の心が、変更不能になれば、
知的障害と言われるように、
数学の論理や、自然の規則性って、
精神の病気の、症状なのに…
 
山桃の実って、食べられます。
食用の品種があり、
栽培されて、商品化されていますが、
街路樹の実も、生(なま)で食べられます。
 
雌雄異株ですので、
雄木がなければ、結実しませんが、
街路樹には、雄木も、混じっています。
 
風媒花ですけれど、山桃の花粉症があるくらいに、
2~3kmくらいは、花粉が、飛んで行くそうです。
 
落ちた実は、踏み潰されて、
歩道が、黒く染まります。
雨が降ると、簡単に、色が落ちますので、
心配要(い)りません。
 
山桃の実の落ちる頃って、大好きです。
虫の入っていないのを、探して、
落ちた実を、つまみ食いします。
 
猩猩蠅(しょうじょうばえ)の幼虫そのものは、
食べても大丈夫ですが、
幼虫の中の寄生虫は、知りません。
 
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精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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