ドイツトウヒ 1565 知的障害

このごろは、
公園に、ドイツトウヒが、よく栽植されています。
昔は、ヒマラヤスギが、流行(はや)りましたが。
 
それなら、
日本の、樅(もみ)の木にすれば、良いのに…
 
ドイツトウヒのほうが、
しぶといのかも、知れませんが、
地球温暖化のせいで、自信がありません。
 
ちんちん型の毬果が、ぶら下がりますので、
上に、立ち上がる樅(もみ)の木と、
間違うことは、ありません。
 
写真の、ところどころが、ぼやけているのは、
レンズに、雨滴が付いたからです。
 
       ***          ***
 
理研の話を、聞くと、
治験(ちけん)は、どうしてくれると、
言いたくなります。
 
治験のデータは、嘘八百が多くても、
医療と人殺しは、似ていますから、
一向にバレません。
 
家族も、治療をして、
治して欲しいのか、殺して欲しいのか、
よくわかりません。
 
手の掛かる病人に、生き残ってもらうと、迷惑です。
 
性別違和の、脳の研究は、
いくらでも、嘘をつけますから、
信じるお医者さんがいるとは、思えませんが… 
 
この方法では、絶対に嘘をつけない、
という研究法でなければ、
遊び人の、趣味の論文のようなものです。
さもなければ、
治験と、似たようなものかも、知れません。
 
事実を示せば、
論文は、下手糞(へたくそ)でも、構わないのに…
 
精神の病気は、
どこに、病気の事実があるのかと、疑われますから、
美容手術や出産と同じように、
性転換医療を、病気の治療でないと、
主張する形成外科医も、います。
 
     統合失調症を見れば、わかるように、
     事実の知覚と、論理とは、
     たぶん、中枢神経の機能が、
     まったく同じです。
 
     脳や体のハードウェアや、
     文化の中身だけでなく、
     具体的な事実のデータも、
     他人との、コミュニケーションによって、
     得られたと、
     統合失調症の人は、言います。
 
     そこに、事実があれば、
     複数の人が、同じ事実のデータを、
     知り得ますが、事実って、
     コミュニケーションの産物かも
     知れません。
 
     そこに、在るかのように、見える事実は、
     他人から、伝えられた事実であると、
     統合失調症の人は、言います。
     そうでない事実は、ありません。
 
     わたしたちの見ている世界は、
     たくさんの他人が、権力を争う場なので、
     自分の作り出した事実は、
     どこにもありません。
 
     草刈り場に、
     されているようなものですから、
     みんなに、虐(いじ)められているのに、
     似ています。
     73億人の他人に対して、
     自分は1人っきりですから、
     多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)です。
      
     他人が伝える事実だけで、
     この世界が出来ているのは、
     恐竜が歩いているような、絵本の中の、
     夢の世界の出来事かも、知れませんが、
     インターネットを見れば、わかるように、
     実際に、わたしたちは、
     その世界に、生きています。
     ゲーテのファウストも、
     そう、言っていましたが…
 
     事実のデータは、だれかの流した雛形を、
     擬(なぞら)えているだけですから、
     複数の人が、同じデータを知るのは、
     だれかの影響力が、大きかったからです。
 
     昔の人は、
     影響力のことを、神様と言いましたが、
     神様は、
     御先祖様に、決まっていますから、
     その土地の神様を、
     産土(うぶすな)の神と、言いました。
 
     統合失調症の人が、病気になったのは、
     みんなに引っ張られて、
     心が分裂したからです。
 
     インターネットのWebサイトを、
     わたしが歩いた道筋の通りに、
     広告が、追い掛けて来るように、
     統合失調症の人の心は、
     広告だけで、出来ているのかも
     知れません。
 
     言葉の通りに、自分の影が出来るように、
     統合失調症の妄想や幻覚も、
     言葉の後(あと)を、追い駆けて来ます。
  
     みんなに、心を乗っ取られて、
     眠れる場所も、なくなったのは、
     個人主義の人権や、
     エステティックや論理などの、せいかも、
     知れません。
 
     これっぽっちも、
     私心(ししん)が残っていないのを、
     喜ぶべきであると、
     お釈迦さんは、言いましたが、
     統合失調症の人は、悲しみます。
 
     自分の寝る場所がなければ、
     気持ちが休まらないそうですが、
     広大な家や土地があっても、
     統合失調症の人は、そう言います。
 
     幼児も、昼寝から覚めて、
     お母さんがいないので、泣き出した時に、
     寝る所がないと、言います。
 
     これらは、統合失調症の症状のようですが、
     治療開始後のものは、
     抗精神病薬の副作用です。
 
     抗精神病薬を飲み、効いてくると、
     気持ちが落ち着き、楽になり、
     明るく元気になりますけれど、
     知能が下がります。
 
     長く飲み続けていると、
     知能が下がったせいで、
     また、症状が悪化しますから、
     麻薬を飲めば、気持ちが良くなるけれど、
     一層、症状が進むのに、似ています。
 
     統合失調症では、治療を開始する前から、
     自前の麻薬のようなものを、
     脳の中で分泌して、症状が進み、
     精神病と言われるまでに、
     悪化しましたから、
     抗精神病薬に頼るのは、
     一時凌ぎのために、長期的な治療を、
     放棄するようなものです。
 
     性転換医療も、
     患者を良い気持ちにさせて、
     治療とするだけの、
     ロボトミーや抗精神病薬などと、
     似たような種類の、
     きわめて無責任な医療です。
     
わたしは、統合失調症の人を見て、
生まれつきに、知能が低いと、思いますが、
知能検査や学力検査の成績が、低くないので、
どのようにして、知能を測ったのかと、問われて、
怒られます。
 
知能を、測れない癖に、
他人の知能を、低いと言うのは、
矛盾しているそうです。
 
でも、低いように見えるもん。
調節機能が鈍(にぶ)いので、
たぶん、フィードバックの機能が、不調です。
 
ちょっとずつ、誤差を修正して、
目標に近づけて行く作業って、 
初めて自動車を運転した時に、
バックで駐車するように、誰でも気を使いますが、
慣れれば、だんだんと上達しますから、
あまり、ストレスを感じなくなります。
 
それでも、人を轢き殺さないように、
神経を使いますけれど、
統合失調症の人は、経験を積めば積むほど、
ストレスが増して、一向に上達しません。
 
生まれた赤ちゃんが、お母さんのお乳を吸う時に、
すでに、知能の低いのが、わかりますけれど、
知能検査や学力検査に、現れません。
 
おっぱいの吸い方の、加減を習得しませんから、
お母さんは、大変です。
 
これが、生まれつきの変更不能な傾向であるかは、
わかりませんが、
何につけても、変更困難な素質を、
反映している可能性が、高い。
 
統合失調症にしても、性別違和にしても、
知能が低いと、わかるのですが、
ずーっと、暮らし振りを見ていないと、
わかりませんから、くそったれです。
 
ちょっとの時間では、わからないのですから、
知能検査や学力検査に、現れて来ないのは、
当たり前ですが、経験を積めば積むほど、
ストレスが、だんだんと、ひどくなるってのも、
変な感じです。
 
上手(うま)くならないのは、
ストレスのせいのように、見えますから、
弱虫です。
空(から)威張りをします。
 
生まれつきに、知能が低ければ、
躾(しつ)けが出来ないのは、当たり前ですが、
親も、知能が低いと、どうしよう?
 
進化論の言うには、
人間の御先祖様は、単細胞生物ですから、
親も、知能が低いのは、当たり前なのですが…
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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