桂(かつら)は、雌雄異株ですが、写真は、雌株の雌花です。
花びらや、雄しべや、萼(がく)などは、ありません。
雌しべのみ。
盛りを過ぎて、花びらが散ったのでなく、
最初から、こういう花ですから、虫媒花でなければ、合理的です。
花びらの好きな、女性の脳味噌は、虫に似ているのかも。
それでも、お医者さんになりますけれど、
タイの人は、ゴキブリみたいな虫を、よく食べます。
背景が青空でしたら、奇麗でしたのに、曇っていました。
今夜のうちに、雨が降るかも知れません。
桂は、日本と東北アジアの特産で、
学名の種小名が 中性の japonicum です。
どうして、女性でないのかは、知りません。
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性転換は、生殖機能を、不可逆的に破壊しますから、
治す医療でなく、統合失調症のように、間引く医療です。
優生医療と言います。
体の奇形が、たくさん、生まれて来るように、
脳味噌の奇形も、少なくありません。
今のところ、統合失調症やGID(性同一性障害)などは、
どこに、奇形があるのかが、わかっていません。
本当に、体の奇形のように、脳の奇形なのかって、
強く疑われます。
体や脳の病気でないのなら、責任能力を認めて、
死刑にすべきなのかしら。
厄介なのは、統合失調症でもGIDでも、
自分から、死刑になりたいかのように、
とんでもないことを、しでかします。
GID(性同一性障害)では、
自分から、脳の一部分が奇形であると、主張して、
自分の生殖機能を、壊そうとします。
カミングアウトと、言いますが、
統合失調症の陽性症状に、そっくりです。
そればかりか、GIDの人が、お医者さんになり、
仲間のGIDの人の、生殖機能を壊しますから、
尼崎事件のように、世も末です。
GIDだけでなく、
脳に作用する化学物質を、自分用に、濫用しているお医者さんが、
性転換医療を行なうのも、稀でありません。
だいたいは、
頭のおかしいお医者さんが、性転換医療に、集まって来ます。
非行に走る人たちが、
夜の町の一角や、警察署や、精神病院などに、
たむろするようになるのと、同じです。
犯罪人と警察官や、
体や心の病人と、看護師や介護士やお医者さんって、
類は友を呼ぶように、同じ所に集まり、共食いを始めます。
昔からの、日本の部落差別の考え方です。
統合失調症やGIDの、生活や言動に、よく現れていますが、
一般に、精神の病気って、
社会の底辺を形成して、尼崎事件のような人間関係を作ります。
どこまでを、社会の底辺とするかは、切りがありませんが、
世間一般の、平均的な人は、
新聞の社会面の、刑事事件の記事を読んでも、
あらすじがわかりません。
中学1年生の、初歩の数学の問題を解いても、
中学1年生と、同じ成績です。
論理を理解できませんから、事実や善悪を類推すれば、
統合失調症の妄想と、まったく同じになります。
世間一般の半分以上の人が、そうなのに、
どうして、統合失調症は、精神の病気と言われるのかしら。
尼崎事件のような、社会の底辺の人間関係に、適応できなければ、
生活に、支障を来たしますので、
その論理能力の低さを、妄想や幻覚や支離滅裂などと言われて、
精神の病気とされます。
適応できていれば、精神の病気でありませんので、
妄想や幻覚や支離滅裂と言われずに、
尼崎事件のように、精神病院でなく、
牢屋のほうに、回ってもらいます。
でも、主犯の女性が、牢屋の中で、自殺をしたように、
ほんとに、精神の病気でなかったのかと、問われると、
直接に会い、話して、気安くなっていなければ、
答えようがありません。
大阪教育大学付属小学校の、宅間氏は、法廷での発言から、
典型的な統合失調症であり、責任能力がなかったと、
わたしは感じましたが、
尼崎事件は、裁判までに自殺をしましたので、わかりません。
精神の病気って、統合失調症の類では、幻聴が肝心です。
妄想は、二次的な症状ですが、そのせいで、
みんなと一緒の、事実や善悪などの、価値を理解できません。
事実と言われる認識の仕組みを見れば、よくわかりますが、
見たり、聞いたりして、無意識に、事実を認識するのは、
論理能力に由来します。
幻聴があると、みんなの文化的な価値の実行が、妨げられて、
妄想の中身を、実行してしまいます。
囲碁や将棋の人が、盤面をよく覚えていたり、
山下清という貼絵の画家が、訪れた旅先の風景を、
写真に撮ったように、覚えていたりしたのは、
もちろん、何度も、頭の中で、繰り返したからです。
二足歩行のように、何度も練習をしたから、習得をして、
いつもの習慣になり、無意識になった手順を、
脳が、自動機械のように行ないながら、本人は、自覚しません。
わたしは、小学高学年の頃に、1000部の新聞を、配達しました。
最初の一日だけ、前任者に付いて行き、
二日目には、自分一人で配ったのに、
名簿の伝票を見なければ、わからなかったのは、
1000軒の内の、2軒か3軒でした。
一度だけで、997軒を、覚えてしまいましたが、
この手順は、囲碁や将棋や山下清さんと、まったく同じです。
自転車を漕いで、道順を覚えるときに、
何百回も、道の様子を、頭の中で繰り返しています。
前任者の後ろに付き、自分の進んで行く道端の風景を見ることが、
何百回も何千回も、繰り返しているのと、同じなの。
見るとか、聞くとかって、繰り返しですから、
事実と言われる認識の中身を知るための、
論理と言われる無意識の判断の手順は、
生まれつきに変更不能な、神経や化学物質の、
繋がり方やくっつき方などの、ハードウェアの道筋なのかしら、
それとも、文化と言われるソフトウェアの道筋なのかしら。
遺伝的素質を取捨選択して、スピッツやテリアを作るように、
人間の、顔や体の見てくれや、脳の神経や化学物質の繋がり方を、
品種改良するのと、
流行文化を変えて、判断の手順を作り替えるのとは、
どちらが簡単なのかしら。
薔薇(ばら)って、
法的に登録されている品種が、どれくらいの数なのかは、
知りませんが、
名前の付けられている品種が、100万種はある、と言う人もいます。
どうやって、数えたのかしら。
エステティックや、脳の論理能力の、品種改良って、
ちょろいもんです。
文化的な流行のほうも、しょっちゅう、変わりますから、
変更不能ってことは、ありません。
個体に表れたエステティックや論理能力は、
事実上、変更不能なのに、
欧米の人たちは、個人主義やエステティックや合理主義などを、
宗教のように信仰します。
人権やファッションや科学技術などってやつです。
変更不能な理不尽を、まるで絶対的な真理のように、崇拝します。
宗教や物理化学って、それなのに…
科学技術の成果を、良いことと思い、
物理化学の判断の手順を、絶対に正しいと、確信するのは、
昔の人が、宗教の判断を、信じて疑わなかったのと、同じですが、
その仕組みに、気づかない人は、
囲碁や将棋の棋士や、山下清のような人を、
天才と言うかも知れません。
1000軒の内の、997軒を、一回で覚えるって、当たり前です。
個人差や、人と道順の、相性(あいしょう)もありますから、
999軒の人もいれば、990軒の人もいますが、
だいたいは、だれでも、そんなもんです。
科学技術が、生活の役に立っていると、確信するのは、
手品や文学と、同じなのに…
精神科が、
口先や、顔や目の色だけで、患者さんを、気持ち良くさせるのも、
手品や文学と、似たようなものですが、
一応、科学技術の振りをしなければ、儲かりません。
髭を生やして、エステティックの振りをする人もいます。
儲けても、仕方がないのに、
美容外科のように、儲けるお医者さんもいます。
動物ですと、変なのが生まれると、すぐに間引かれますが、
人間は、殺されません。
精神の病気って、堂々と間引いても構いませんから、
どんな奴を間引こうかって、考えると、
統合失調症やうつ病やてんかんや、
GID(性同一性障害)っていう病気が、すぐに炙り出されます。
間引かれ易(やす)い人たちなの。
みんなに虐(いじ)められる人たちと、同じですから、
ポルポトが、仕返しをしようとして、
お医者さんを全員間引いたのも、当たり前です。
論理って、容貌容姿のエステティックのようなものなの。
数学の正しさが、科学技術により、実証されていると、思うのは、
そのように見える手順に気づかない人が、
囲碁や将棋や貼絵の能力を、天才と確信するのと、同じです。
二足歩行を、自動機械のように無意識に行ない、
1000軒の新聞配達を、一度で997軒も覚えてしまったりするのは、
数学や科学技術の確信と、同じです。
予想した通りのことが、事実として起るって、
覚えた道順の通りに、自転車を漕げば、当たり前なのですが、
どの家が、その新聞を取っているか、取っていないかって、
道順と、どのような関係にあるのかしら。
それがわからなければ、数学や物理化学の道順と、
科学技術の成果を、生活の役に立つと、確信する気持ちとが、
どのように関係しているかも、わかりません。
わたしには、
数学や科学技術の正しさを、確信する人たちの気持ちと、
毎日毎日、拝んでばかりの茶道の先生や、宗教家の跡取り息子や、
性転換医療を行なうお医者さんの気持ちって、
五十歩百歩のように見えます。
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