山の中にも、こんなのを植える人がいて、
いっぺんに、あたり一面が、明るくなります。
海棠(かいどう)は、林檎(りんご)の一種ですが、
花を見るために、改良された品種は、花やかです。
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大阪教育大学付属池田小学校の事件の、
宅間守氏の肩を持ったので、顰蹙を買っています。
わたしは、宅間事件の研究者でありませんので、
世間一般の人が、マスコミの報道に、入れ知恵をされた中身と、
同じぐらいの量しか、知識がありません。
どうせ、間接的に知るしか、手がありませんから、
その方法のすべてが、同じ色の嘘に、塗りつぶされているって、
この社会では、普通です。
浅間山荘事件の、連合赤軍の人たちは、総括という裁判を行ない、
たくさんの仲間を、処分しました。
スターリンの時代の裁判だけでなく、
現代日本の宅間氏の裁判なども、似たようなものかも知れません。
彼は、何度も、発言を試みましたが、
力尽くで、抑え込まれたり、
法廷から引きずり出されたり、しました。
言いたいことを、言えませんでした。
この事件は、罪のない子供を、たくさん、殺しましたから、
責任能力があれば、死刑に決まっています。
どのような動機や考え方から、殺人の実行に至ったのか、
ということと、
精神の病気のせいで、頭がおかしくなっているのでないか、
ということを、
世間一般の人たちが、吟味できるように、
裁判は、その機会を、提供しなければいけません。
犯人に、言いたいことを言わせなければ、裁判はできません。
興奮すれば、どうなるかも、見なければいけません。
突然、幻覚が現れるって、ごく普通です。
ソクラテスは、立ち止まり、ダイモンの声が聞こえると、
言い出しました。
宅間氏の言わんとすることは、もっともな意見ですが、
わたしが知りたいのは、意見よりも、事実や善悪を知る能力なの。
もちろん、みんなの社会の言う内容の、事実や善悪ですから、
それを知る能力は、
みんなと一緒のことをする能力に、似ています。
精神の病気の人は、その能力が、乳幼児の頃から、低く、
どう見ても、生まれつきであり、本人の責任と、思えません。
人格障害と統合失調症の違いって、症状の軽重ですから、
医学的に、根本的な違いはありません。
治療法が異なるのは、社会的な事情です。
みんなと一緒のことのできない奴を、どこまで間引くか、
という社会の、許容度の問題です。
わたしたちの社会は、
わが子が精神病であっても、平気で間引くお医者さんを、
良い人間と、思いません。
そうかと言って、
ちゃんと抗精神病薬を飲ませて、間引かなければ、
宅間氏のような大人(おとな)に、育つかも知れません。
世間一般の、成人の論理能力は、
中学1年生の、国語の読解力試験や、
数学の初歩の試験を、受けても、
中学生1年生と、同じ成績です。
その論理能力は、
新聞の社会面の、犯罪事件のあらすじを、
理解できません。
ニュースキャスターの読み上げる原稿を聞いても、
話の筋(すじ)が、わかりません。
娯楽映画の、筋道を追うことも、
おぼつかないかも、知れません。
世間一般の人の、合理的な判断力って、その程度です。
試験を受ければ、はっきりとします。
あらすじを、理解できないのに、
世間一般の人は、宅間守氏を極悪非道と言い、
精神病の真似(まね)をして、刑罰を免れたと、
非難します。
事実や科学技術などを、類推する能力は、ありません。
嘘や噂(うわさ)を、合理的な判断であると、
確信します。
インターネットを検(しら)べても、
ほとんどが、それ一色です。
宅間守氏は極悪非道に、決まっています。
連合赤軍の総括と、あまり違いません。
だれかの意見に、扇動されなければ、
世間一般の人は、物事(ものごと)を判断できません。
人間は、皆、そうですが、
精神の病気を、治療するには、
こう考えなさい、これをしなさいと、
親や軍隊や先生のように、一々、教えて、
命令してあげなければ、いけません。
自主性を尊重されれば、動物は皆、
ばい菌と似たようなことしか、できません。
精神の病気になるように、
仕立てられるようなものです。
一犬吠えれば、百犬吠ゆるって、感じかしら。
御本人は、
自分自身の賢明な判断であると、確信していますが、
心筋細胞が、他の心筋細胞に接すると、
みんなと一緒のリズムで、拍動するようになるのと、
さして違いません。
みんなと一緒で、行く能力が、
精神の病気では、問われます。
孟母三遷の教えのように、
みんなと一緒にできないことを、見つけられると、
必ず、差別虐待されます。
周囲の人にとっては、
精神の病気の人が、そこに居るだけで、有害です。
生まれつきに、乳幼児の頃から、
能力の不足が、現れていますけれど、
軽ければ軽いほど、本人の負担が重くなりますので、
年長になれば、重症の精神の病気の症状が、
現れやすくなります。
乳幼児の頃から、症状の重い人は、
たぶん、小学校に入学する前から、
特殊な教育を、受けることになります。
重症の人が、統合失調症になることは、ありません。
宅間氏は、刑罰を逃れたいために、
統合失調症の真似をして、精神科医を騙したと、供述しています。
統合失調症の人は、たいてい、自分は、何者かの陰謀のせいで、
精神病にさせられている、と思っています。
ほんとうは、精神病でない、と信じていますので、
精神病と、診断されるのは、
そのように、医者に、協力をさせられていると、感じています。
協力をしてやっていると、思うようになると、
いわゆる陽性症状が、悪化していますので、
通院患者では、抗不安薬だけを飲み、
抗精神病薬を飲んでいない可能性があります。
抗精神病薬という統合失調症のお薬を、飲まなかったり、
本当は精神病でないのに、
嘘をついて、精神病の振りを、させられているとか、
嘘をついて、精神科医に、協力してやっているとかと、
確信したりするのは、
治療中の統合失調症の、ごく普通の、ありきたりの症状です。
そのことから、統合失調症でないと、診断するのは、誤診です。
弁護士や主治医は、法廷で証言をして、
世間一般の人に、わかりやすく説明してあげなければ、
いけません。
それをしないのは、弁護士や精神科医の、犯罪です。
わたしは、彼の幻聴が、法廷で出ていないようなので、
興味津々です。
一般に、統合失調症の幻覚は、お薬の副作用の疑いが、あります。
宅間氏が、通院をしていても、お薬を飲んでいなければ、
幻聴は、出ないかも知れません。
その代わりに、妄想がひどくなりますので、
法廷での、宅間氏の言動に、矛盾しません。
お薬を飲まなければ、人格障害と同じ症状であるのは、
当たり前ですから、症状の中身によっては、危険です。
強制的に入院をさせて、お薬を飲ませて、
お薬がなければ、苦しくなるように、無理矢理に、癖をつけます。
危険性のある人格障害の、強制的な治療を行なうために、
統合失調症と診断します。
もちろん、人格障害も、生まれつきに、乳幼児の頃から、
みんなと一緒のことの、できない症状が、現れていますので、
本人の責任でありません。
宅間氏の法廷での症状は、典型的な統合失調症でした。
お薬を飲まなければ、統合失調症は、皆、人格障害です。
お薬を飲まなくなるのは、病気が悪化するときの、
普通の症状です。
飲まなければ、人格障害の症状が、もろに出て来るのは、
当たり前です。
GID(性同一性障害)って、それだけでは、統合失調症よりも軽く、
人格障害と言っても良いのですが、
性転換が負担になれば、他の症状がひどくなり、
統合失調症の診断基準を、超える人も、少なくありません。
生まれつきに、精神症状の軽い人ほど、
将来に、精神の病気が、重症になりかねませんので、
世間一般の人たちが、精神の病気と言われないのは、
生まれつきに、論理能力が低い、という症状が、重いからです。
美容手術を受ける人と同じように、たくさんの人が、そうですと、
論理能力の低さが、重症でも、病気と言われません。
性転換を見れば、わかるように、
哺乳類のエステティックと、人間の知能は、
そっくりの価値観なの。
論理能力の低いのが、精神の病気の悪化を、予防しているのは、
知的障害者だけでなく、
統合失調症になり易い人が、上手(うま)くあほになれば、
精神病にならずに、気持ち良く生きられて、
あほになるのが、下手糞ならば、精神病になってしまうのと、
同じです。
統合失調症のための、抗精神病薬って、
思考力と実行力を低下させて、あほにさせます。
本人が下手糞(へたくそ)だから、お薬で、あほにしてあげます。
GID(性同一性障害)の人たちも、
世間一般のように、あほになれば、
精神の病気に、ならずに済みます。
だから、性転換をするのでしょう?
異性になったつもりって、
たいていの人には、えも言われぬ性的快感です。
気持ち良さに浸るのが、
精神の病気の、お薬になるようなものなの。
麻薬も、そうです。
長期間に、そうであり続けると、危険かも知れません。
幸いにも、性転換って、10年間ぐらいしか、
気持ち良さが、持続しません。
いや、10年間も、気持ち良さに、浸り続けたせいで、
廃人になったと、言う人もいます。
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