フサアカシア 1491 自我障害

 
一般にミモザと言われますが、
房(ふさ)アカシア Acacia decurrense var. dealbata のほうが、
標準的と言われる和名です。
 
ほんとうに、decurrense の意味のように、
葉が、下に伸びて、垂れ下がり気味ですが、
dealbata の意味のように、白く塗られている、と言われても、
何が白いのか、よくわかりません。
 
オーストラリアには、
アカシア属の中の、黄色の花の咲く種(しゅ)だけでも、
100種類は、ありそうですから、
ほんとうに、フサアカシアなのか、わたしは、よく知りません。
 
ミモザは、
同じマメ科 Fabaceae の、ネムノキ亜科 Mimosoideae ですが、
オジギソウの仲間の、ミモザ属 Mimosa の属名です。
アカシア属 Acacia でありません。
 
御辞儀草(おじぎそう)の葉は、風や物や熱などに、触れられると、
細胞の膜電位が変わり、カリウムが遊離して、移動しますので、
浸透圧や水分の分布も、変化して、数秒のうちに、奇麗に閉じます。
 
世間一般の、植物の名前の付け方と、
学者の、進化論による自然系統分類とは、違いますけれど、
どちらが正しいと、言い出しても、切りがありません。
 
ミモザ属とアカシア属は、丸っこい花が、そっくりです。
 
ミモザは、パントマイムのマイムと、語源が同じで、
ギリシャ語の、真似(まね)をする、という言葉に、
由来しているそうです。
 
そのまた語源は、と聞かれても、切りがないのに、
憲法だけでなく、数学や論理や自然科学などが、
正しい判断の、典型であると、自称するのは、
神様が、一番偉いのは自分であると、自惚(うぬぼ)れるのに、
よく似ています。
 
自我と、言いますが、
GID(性同一性障害)の気持ちに、目立ちます。
みんなと一緒のことが出来ないのと、
自我の由来とが、同じでしたら、
神様は、病気や障害の、典型かも知れません。
 
ギリシャ神話には、自我を主張する文化が、よく現れています。
 
ユダヤ人の、キリスト教の聖書は、ギリシャ文化の産物ですけれど、
新約聖書に比べて、旧約聖書は、
エジプトやメソポタミアの、自分を主張しない神話と、
ギリシャの、自我を満々と湛えた神話との、中間のように見えます。
 
自我丸出しの神話って、インド文化の特徴です。
そいつが、ペルシャやギリシャに、流れています。
 
もちろん、神様は、御先祖様ですから、
病気や障害は、生まれつきに、変更不能な遺伝的素質に
由来している、と言うような、
毎度お馴染みの、進化論の結論になります。
 
ヘレニズムやロマン主義などの、ギリシャ・ローマの考え方です。
インドに通じていますので、インドヨーロッパ文化と、言われます。
 
肝心の、古代ギリシャ人や古代ローマ人は、
アイヌ人や琉球民族のように、雲散霧消してしまっただけでなく、
インド人は、今も昔も、混沌としているような、気がします。
 
アカシア Acacia は、
ギリシャ語の、刺(とげ)のある、という意味です。
 
マメ科 Fabaceae や マメ目 Fabales などの、
faba は、ラテン語の、豆の意味です。
 
フサアカシア Acacia decurrense var. dealbata も、
ギンヨウアカシア Acacia baileyana も、
葉が、透明な短い毛に、被われているので、
白っぽく見えます。
 
フサアカシアのほうは、手触りで、毛とわかりますが、
ギンヨウアカシアは、
短く幅広い毛が、鱗(うろこ)のように、寝ていますので、
粉のような触感です。
 
鱗状毛(鱗状毛)や鱗片毛(りんぺんもう)などと、
言われますが、
鱗片が毛になったのか、毛が鱗片になったのか、
わたしは知りません。
 
透明ですので、
葉の、表(おもて)や裏の、表面の色調が、
微妙な色合いになります。
 
一般には、その名の通りに、
銀葉アカシアのほうが、房アカシアよりも、
白っぽい葉に、見えますので、
房アカシアの変種名に、dealbata 白っぽく塗られた、
とあっても、なんとなく、ピンボケに感じます。
 
銀葉アカシアと房アカシアの二種が、
日本の代表的な、ミモザと言われるアカシア属の樹木です。
輸入モノですが…
 
           ***          ***
 
事実や科学技術や数学などの正しさは、確実であると、
信じている人もいます。
コンピュータは、そんなことを、信じていませんけれど、
仕組んだ通りに、ちゃんと、情報を処理してくれますから、
役に立ちます。
 
脳味噌も、
これこれの、神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方ならば、
事実や科学技術などと言われる物事(ものごと)を、
認識したり、実行したりするのは、当たり前です。
 
これこれって、
生殖や文化により、遺伝的に組み合わさり、取捨選択されました。
 
事実や科学技術と言われる認識や実行の中身が、
取捨選択されたようなものですけれど、
文化的な流行から、スピッツやダックスフンドが、
抽出されて、純化されて、品種改良されたように、
事実や科学技術と言われる内容が、流行文化に好まれるように、
創り出されました。
 
スピッツやダックスフンドが、文化的に好まれて、流行したことは、
確かですが、動かしがたい価値であるわけでは、ありません。
 
脳の、神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方が、
生まれつきに、そのように変更不能なら、仕方ありませんが…
 
事実や科学技術と言われる認識や実行の中身も、
流行する価値の、数々(かずかず)です。
 
さまざまな、具体的な流行の共通点を見つけて、
事実や科学技術などと名付けるのは、
ファッションやエステティックなどのように、
一連の、因縁のある記憶に、梱包するために、
さまざまな判断を、価値と言われるお荷物に纏めて、
新聞配達の道筋のように、覚えやすくしただけです。
 
中学1年生の頃に、1000軒の新聞を配りましたけれど、
一日だけは、前任者の尻に着いて行き、
二日目には、自分一人で配りました。
それでも、名簿を見なければ、わからなかったのは、
2軒か3軒でしたから、
判断の道筋という価値を付けられた記憶は、
恐ろしいものであると、思いました。
 
一回で、997軒を覚えてしまうって、驚異的でしょう?
この道筋が、数学や論理に相当しますが、
どの家が、その新聞をとっているかって、
道筋とは、関係ありません。
それぞれの家は、マルペケ式の個々の判断に、相当します。
  
数学や論理も、流行文化であるのは、言うまでもありません。
 
植物や恐竜やばい菌が、数学や論理を知っていたとは、
思えませんが、
数学や論理が、特定の判断の手順を示しているように、
事実や科学技術などは、わたしたちの特定の判断の道筋が、
目で見て、手で触って、知られる物事(ものごと)として、
空間や時間などのように、
多くの人に共通の、価値や、梱包の仕方により、再編集されて、
みんなに通じる文化的なメディアとして、固定されたものです。
 
事実や科学技術って、言葉のように、
コミュニケーションのための、
多くの人に共通の、文化的な手段なの。
 
そのように、事実や科学技術の中身を、
論理的や数学的に、認識して実行する脳の、
神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方が、
生まれつきに、変更不能かも知れませんが、
文化的に、取捨選択されて、
スピッツやダックスフンドの品種改良のように、
みんなに作られた遺伝的素質です。
 
数学や論理の中身は、普遍的な判断であると、言う人もいますが、
コンピュータは、普遍的な判断を、知りません。
誰かに定義された判断を、知っているだけです。
 
入れ知恵をされましたが、
統合失調症やGID(性同一性障害)などの、精神の病気の症状って、
それです。
 
自我障害と言いますが、
お釈迦さんや、イエスキリストや、預言者モハメッドなどの、
有名な宗教家は、皆、自我障害でした。
 
コンピュータのように、物事を判断しますから、
乳幼児の頃には、アスペルガーと言われたりします。
 
権力と社会の構造を、理解するために、
宗教といわれる体系を、作らなければいけませんでした。
 
普通は、みんなと一緒の、
生まれつきに変更不能な、脳味噌の神経や化学物質の、
繋がり方やくっつき方ですので、
乳幼児の頃から、権力や社会の、共食いの構造に、
直感的に共感します。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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