クリスマスホーリーやイングリッシュホーリーなどの、ホーリーも、
黐の木(もちのき)が、柊(ひいらぎ)のように、
針のある葉を、付けるようになったものです。
柊は、モクセイ科の植物ですが、黐の木は、モチノキ科でして、
たぶん、自然には、雑種はできません。
西洋柊(せいようひいらぎ)は、単に、黐の木の変種ですが、
日本にも、柊黐(ひいらぎもち)という変種があるように、
葉に、針が付くのは、よく起る変異です。
そこで、西洋柊と言わずに、
西洋柊黐(せいようひいらぎもち)と言う人もいます。
チャイニーズホーリーは、唐柊黐(とうひいらぎもち)なのかしら。
欧米では、
クリスマスに、赤い実の柊黐(ひいらぎもち)を飾りますので、
品種も多く、写真の名前を、よく知りません。
柊黐(ひいらぎもち)は、自然の変種ですので、
その一種とするのは、変(へん)な感じですが、
根元(ねもと)の地際(ぢぎわ)を見ると、
柊(ひいらぎ)のような葉が、付いていました。
接ぎ木苗が、出回っているのかも知れません。
一応、漠然と、支那柊(しなひいらぎ)にしておきますが、
西洋柊(せいようひいらぎ)かも知れません。
支那柊は、
チャイニーズホーリーや、矢羽柊黐(やばねひいらぎもち)とも、
言われます。
柊のように、針の多い多角形の葉ですが、
先端の針だけを残して、丸葉になることが、よくあります。
支那柊の葉には、艶がありますので、西洋柊と、識別されます。
蕾(つぼみ)が、冬から準備されていますので、
冬芽と言っても、花芽です。
なんとも美しい姿と、思いました。
4月の中頃に、奇麗な花の咲くのを、知っていますから、
なおさらです。
*** ***
2011年の、東日本大震災から、丸3年が経ちましたが、
1995年の、阪神淡路大震災も、こんなものでした。
毎日が、苦しく忙しいのに、みんなから、忘れ去られます。
東日本大震災は、震源から遠く離れていましたので、
地震の揺れによる建物の被害が、さほどでなかったかも知れません。
南海沖地震も、たぶん、こんなものでしょう。
第二次世界大戦中でしたけれど、ほとんどが、津波の被害でした。
志摩半島の漁港や漁村が、津波により、壊滅しましたが、
日本経済は、さほどの被害に、なりませんでした。
震源から遠く離れていると、
揺れによる被害が小さいのは、当たり前ですが、
東海沖地震は、相模湾の震源域が、陸地に接していますので、
関東大震災のように、大きな揺れになるかも知れません。
父の祖母は、わたしの曾祖母ですが、
安政伊賀地震を経験していたので、
わたしの両親が、話を聞き出していました。
曾祖母も、畑で寝たそうです。
夏ですから、蚊屋があれば、大丈夫ですが、
梅雨が明けていませんでしたので、地面に板を敷いても、
雨が心配で、大人は眠れませんでした。
曾祖母は、子供でしたので、よく眠ったそうです。
農家や町屋(まちや)の、
ほとんどが半壊、もしくは全壊しましたので、
阪神淡路大震災の、神戸の様子に、似ていたかも知れません。
1854年7月7日に安政伊賀地震。
1854年12月23日に、安政東海沖地震。
1854年12月24日に、安政南海地震。
1855年11月に、安政江戸地震。
被害の大きな地震が、幕末の短い期間に、集中しましたから
得てして、どさくさの最中に、
悪いことが重なるような、気がしてなりません。
家族が亡くなると、病気になり、入院する人が出るだけでなく、
喧嘩になり、警察に逮捕されれば、
弁護士を雇わなければいけませんから、てんやわんやです。
そんな時に、被害の大きな地震が起こると、
救われたような気持ちになります。
統合失調症の陽性症状も、心の地震のように起こりますから、
幕末の歴史も、あるいは、です。
三陸沿岸では、大津波が来るって、
当たり前のように、わかっていました。
明治の津波と、昭和の津波と、チリ地震の津波と、
短い期間に、海岸の町や集落が、全滅する津波を、
3度も経験していましたから、
4度目が、自分の生きている時代に、起こらないと、
思い込んでいる人は、あほでした。
それにもかかわらずに、三陸の海岸に、
新築の住宅を建てた人は、何を考えていたのかと、
問い質(ただ)したくなります。
死んだ人の悪口を言うと、怒られますけれど、
人生と社会の関係が、よくわかります。
何年何月何日に、何mの津波が来たって、
記録に残っているのですから、
それよりも低い防潮堤を見て、
そこに家を建てる気持ちは、とても不思議です。
論理能力なんて、ありません。
世間一般の人の、知能検査や学力検査や、
中学1年生の国語の長文読解力試験や、
初歩の数学の試験などの、成績を見れば、
言うまでもありません。
成人の平均点は、中学1年生の平均点と同じですから、
世間一般の人は、新聞の社会面の犯罪の記事や、
テレビのニュースキャスターの読み上げる原稿などの、
あらすじを理解する能力がありません。
それが、社会人の圧倒的多数ですから、
明治以後だけでも、3回も、10mを超える津波が来て、
町が流されても、また同じ場所に、新築の家を建てて、
家だけでなく、自分の命も流されてしまうのが、
世間の常識感覚というものです。
この常識的な人たちの支持を、得なければ、
多勢に無勢ですから、間引かれるように、殺されます。
わたしは、学校時代に、
何万人もの同級生に、何回も嘲(あざ)けられました。
学校の試験の問題の、正解がわかったのは、
何万人の中で、わたし一人だけでした。
みんな、わたしのことを、あほと言って、笑います。
何度も、似たようなことを、経験しているのに、
何万人の人たちは、いつまでたっても、学びません。
何度やっても、わたし一人だけが、正解なのに、
何度やっても、そのたびに、
周囲の人が、みんな、わたしのことを笑います。
何万回も、似たようなことを繰り返しても、同じです。
この人たちは、死んでも、学習しません。
論理がわかりませんから、納得できるはずがありません。
わたしが正解をして、一番の成績になれば、
それだけで、みんなの怨みを買います。
納得のできないことが、起こったのですから、
怒りに満ちて、みんなで制裁してやろうと、
申し合わせます。
論理能力って、生まれつきの変更不能な能力ですから、
勉強をしても、理解できるようになることは、
まず、絶対にありません。
わたしが、100万人の中で、1番の成績になるのは、
ほとんどの人には、理不尽で、不正なことですから、
世間の人は、納得しません。
ライオンに、いくら、過去の津波の高さを教えても、
無駄です。
わたしは、食べられてしまいますから、
顔や体の見てくれを、納得してもらうしか、ありません。
ライオンも、世間の人も、ほとんど同じです。
世間一般の平均的な論理能力って、
病気になり、病院に行っても、
お医者さんの説明する意味が、わかりません。
医学の教養がないから、わからないのでなく、
論理を理解できません。
教養でしたら、誰にでも分かるように、易しく説明をするのが、
お医者さんの仕事です。
それができなければ、お医者さんの中でも、半分くらいのあほです。
いくら易(やさ)しく説明をしても、
論理がわからないのでしたら、わかるようにする手は、ありません。
論理能力は、たぶん、生まれつきに変更不能です。
それでも、患者さんは、みんな、わかった振りをしますから、
治療を進めても、問題ありません。
とうして、話のあらすじが、わかっていないのに、
問題が起こらないのでしょうか。
何度も、津波に襲われている町に、新築の家を建てる気持ちは、
論理的でありません。
10m以上の津波が、明治以降に、3回も来ているのに、
10mの防潮堤があれば、安心できるって、
世間の平均的な、圧倒的多数の人たちの、気持ちです。
感情って言いますけれど、
論理的に類推するのでなく、丸覚えで行きますから、
何度も同じことを、呪文のように唱えて、覚えます。
みんなから差別虐待されている人に、被害妄想や幻聴が出るのは、
そのせいです。
将棋や囲碁の人たちって、何度も、こう行けば、こう行くって、
ゲームが進行するたびに、
何百回となく、頭の中で繰り返すでしょう?
一回、繰り返すのに、10秒ぐらいで済みますから、
1時間の長考をしている人って、
何百回も、呪文のように繰り返しています。
そりゃあ、盤面を、丸覚えしてしまいますよ。
それと同じなの、統合失調症の妄想や幻覚だけでなく、
山下清って人が、訪(たず)ねた風景を、写真のように
覚えていたのも。
筋道(すじみち)がわからずに、丸覚えだけで行くのは、
猿真似ってやつですけれど、人間は皆、猿の一種のようなものです。
筋道って、絶対的な真理を、表わしているのかしら。
そんなものがあるとは、思えません。
それとも、ただの品種改良された脳味噌の、
神経の繋がり方や、化学物質のくっつき方などの、
多数派の変更不能な筋書きのことを、
神様のように奉(たてまつ)っているだけなのかしら。
神様って、御先祖様ですから、
筋書きって、テリヤやプードルのように、品種改良をされて、
変更不能になった遺伝的素質のことです。
物事の筋道は、ようするに、血筋の現れですから、
わかったり、わからなかったりするもので、ありません。
論理は、血統を誇っているだけですから、進化論そのものです。
そのことを、ヨーロッパでは、弁証法と言いました。
数学やコンピュータが、権力や血筋を準(なぞ)らえるように、
機械的に判断するのは、
権力者たちの、事実と言われる認識の中身を知る方法に、
依存しているからです。
もちろん、数学や事実や科学技術の確かさって、
テリヤやプードルのように、ただの流行文化ですけれど、
それを慕う気持ちは、多数派です。
実際に、数学のできる人は、たぶん、多数派でありません。
なんとなく、権力の構造に似ているでしょう?
権力者は、少数派でも、権力を慕う人たちは、多数派です。
みんな、権力を持っていないくせに、欲しがります。
わたしみたいに、権力なんか要(い)らんと、思っていると、
孤立して間引かれますから、
権力が欲しいのに、権力のない人たちと、同じ顔をしていなければ、
いけません。
隠れキリシタンのようなものです。
贅沢をしたいとも、思いませんから、
お金なんか、欲しくありません。
どうして、統合失調症やGID(性同一性障害)などの、
精神の病気に、ならないのかしら。
宮城県の、塩釜よりも南の海岸線には、
貞山堀(ていざんぼり)という運河があります。
伊達政宗の時代に、工事が始まり、
明治時代まで、続けられたそうです。
三陸や志摩半島のような、リアス式海岸は、
津波の被害が大きいって、
小学校の教科書に、書いてありましたが、
貞山堀の作られたような、砂丘のある単調な海岸には、
第二次世界大戦よりも前に、人が住んでいませんから、
津波の被害が、記録に残らなかっただけかも知れません。
だって、リアス式は、津波が高くなりますけれど、
背後は山ですから、逃げ場に困りません。
貞山堀が作られたのは、
運河を掘りやすい河口付近の、平坦な低湿地でした。
低い津波でも、
陸地の奥深くまで、一面の海になりますから、
逃げ場もなく、住めたものでありません。
排水や農業用水のための、灌漑が目的だったのかしら。
それとも、水運が目的?
インターネットの地図を拡大すれば、わかりますが、
運河を起点とした農業用の水路網がなく、
ほとんどの水路が、上流から流れて来て、
運河を終点にしているだけです。
たぶん、水運が目的です。
運河と海岸の間に、砂丘がよく発達していますから、
沖合は、風が強く、
潮の流れが、早かったのかも知れません。
だれも、暮らしていない土地が、津波に襲われても、
記録に残りません。
福島の原発が想定した津波の高さは、
低すぎたのかも知れません。
都会の河川の堤防は、100年に一度の洪水に、
耐えられるように作るだけでも、お金が足りません。
高い堤防は、交通の妨げになります。
50年に一度ぐらいの、災害に耐えられれば、
善しとしなければ、仕方ありません。
原発って、事故を起こすと、
廃炉にするまでに、40年もかかるそうです。
150年ぐらいは、耐えてもらわないと、
採算が取れないような、気がします。
電力会社は、
1000年に一度の、大きな地震であったと、
弁明しているそうですけれど、
地震の大きさや、揺れの大きさと、
津波の大きさとの関係よりも、
津波の大きさそのものの予測が、
小学校の教科書みたいに、
間抜けであったのかも知れません。
遡上高14mぐらいの津波は、100年に一度ぐらの割で、
起こっていたのかも知れません。
福島の原発が、大惨事になったのは、
津波のせいだけでなく、その前の、地震の揺れのために、
送電設備がイカレたからと、言われています。
電気が来なくなったので、
水冷式の冷却装置の中の、純水が循環しなくなり、
炉心が溶けてしまいました。
発電所に電気がないって、ドジな話です。
送電設備の玄人(くろうと)のくせに…
福島の原発の、地震の揺れって、知れていましたけれど、
それくらいで、鉄塔が倒れたのは、
それくらいの津波にも、耐えられなかったのと、
似ているかも知れません。
1000年に一度の津波でなく、
100年に3度ぐらいの、よくある津波のような、
気がします。
チリ地震の津波のように、
日本は揺れなくても、津波は来るんだから、
地震の大きさと、津波の高さとは、
確かな関係で、ないでしょう?
1000年に1度の、大きな地震でしたから、
原発が壊れたのも、仕方なかった、と言うのは、
なんとなく、眉唾(まゆつば)のような…
事故が起きると、巨額の損失になる原子力発電は、
日本のような人口過密地帯で、行なうのでなく、
シベリアや中国で、
何度も、練習をすべきかも知れません。
ロシアは、電気やガスを、ヨーロッパや日本に供給して、
利益を上げようとしますが、
日本は、樺太や沿海州の土地を、借りられないのかしら。
こういうのは、借りたほうが強いと、思いますから、
大陸の、人のいない土地の租借を、
日本外交の目標にしても、良いかも知れません。
その代わりに、海を貸してあげる、っていう交換条件は、
どうかしら。
その海を、太平洋の島国から借りて、ロシアに貸します。
珊瑚礁の国の、
大学教育や、役所の事務や、病院経営などを、
無料で請け負ってあげれば、喜ばれると思います。
ハワイが、アメリカ合衆国から独立するときには、
日本が、役に立ちます。
欧米の考え方では、
事実や科学技術などと、心の中のことって、違います。
でも、心の中のことが、もちろん、脳の神経や化学物質などの、
繋がり方やくっつき方に、由来しているだけでなく、
事実や科学技術などの、認識や実行の仕方も、
脳の機能と言われます。
事実や科学技術などと、心の中のこととは、
別の次元の出来事でなく、
一緒に理解されなければ、上手(うま)く行きません。
精神の病気って、上手く行かないから、病気と言われますが、
欧米の考え方では、統合失調症やGID(性同一性障害)などを、
間引かずに理解することは、不可能かも知れません。
欧米の考え方って、進化論や弁証法のようなやつです。
間引くのが、好きなの。
わたしは、事実や科学技術などって、
心の中のことと、密接にリンクしていると、思います。
幕末の、被害の大きな地震が、立て続けに起こったのと、
この際、徳川政権を引きずり降ろして、
動乱の時代に、持ち込んだほうが、得策であると、判断するのは、
似ているような気がします。
バブルが弾(はじ)けてから、
日本は、海の底の竜宮城に、引き籠もったままです。
ここらで、海亀みたいに、砂浜に這い上がり、
卵を産んだほうが、良いかも知れません。
精神の病気の患者さんの住居を、
マンションの管理会社や、管理組合や、自治会などが、
警察や弁護士や精神科医などと、申し合わせて、
御本人やご家族などに、内緒で、盗聴をする時代は、異常です。
1軒に、盗聴器を20個も仕掛けて、
事務所で集中管理をしています。
コンクリートですから、心臓の鼓動も聞こえます。
医者が聴診器を当てて、心臓の鼓動を聞くのと、
どちらがよく聞こえるのか、いい勝負です。
トイレも性交渉も、全部、隣り近所が、聞き耳を立てています。
みんなが、それを善しとする時代って、
わたしは、間違っていると思います。
大阪教育大学附属小学校の事件により、
精神科医が、自分から作った風潮です。
性転換医療も、その一つですが、
患者さんたちは、気づいていません。
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