タブノキの、たぶは、日本語でないような、気がします。
万葉集によると、大伴家持が、
磯の上の 都万麻(つまま)を見れば
根を延(は)へて 年深(としふか)からし 神さびにけり
と、詠みました。
都万麻(つまま)は、とまま、と呼ぶのが、古いそうです。
タブノキは、タモの木とも言われますので、
トマとタモが、似ています。
そこで、つままは、タブノキであるって、
だれが言い出したのかしら。
わたしは、知らん。
タブノキは、暖帯の指標になる樹木です。
いわゆる照葉樹林は、
放ったらかしにされて、鬱蒼(うっそう)とした原生林になると、
タブノキが、よく繁るそうです。
森林は、放置されていると、
洪水や土砂崩れに遭(あ)うのが、普通ですので、
いわゆる暖帯の極相林を、どこで、だれが見たのかって、
石ころを、化石と言い、恐竜が歩いていたと、割り出して来るのと、
似たような問題を、孕(はら)んでいます。
アインシュタインの相対性理論は、とても不思議で、
ロマンチックですけれど、
広島や長崎に、原爆を落として、
精神障害者に、抗精神病薬を飲ませたり、性転換をしたりするのと、
似たような、間違いでないかと、疑います。
なんとなく、ゲーム機に凝(こ)る子供の考え方のようで、
アスペルガーの人の判断に、似ています。
恐竜が歩いていたと想像するのは、ロマンチックで神秘的ですが、
原爆を落として、日本人をやっつける行為を、正当化するための、
いわゆる論理や事実と、同じでないかと、疑われます。
タブノキの冬芽(ふゆめ)には、新しい葉や枝が包まれています。
その中から、花序が伸びて、4~5月頃に、花が咲きます。
常緑樹の、普通の冬芽ですが、
これだけ大きければ、食べられないかと、思案します。
生物は、植物も動物も、食べ物ですから、当然です。
他人を見ると、捕獲と調理の方法が、心に浮かびます。
食べるまでの間に、飼育して、こき使いますけれど、
栗鼠(りす)は、隠したはずの木の実を、忘れてしまい、
百舌鳥(もず)は、木の枝に刺したはずの、蛙や鼠(ねずみ)を、
放ったらかしにして、食べません。
人間も、似ています。
他人を飼育して、こき使うくせに、食べません。
統合失調症やGID(性同一性障害)などの、
精神の病気の治療も、同じです。
写真の下のほうに、蝉(せみ)の抜け殻が、くっついています。
空蝉(うつせみ)ってやつですけれど、
現(うつ)し臣(おみ)が、語源と、言われています。
現実に生きる人間は、抜け殻であると、昔の日本人は、考えました。
心と体は、別であり、肉体は、ただの抜け殻であると、言います。
わたしたちの心は、死につつある体から、脱(ぬ)けつつあります。
万葉集の時代は、すでに仏教の影響が、濃いかも知れません。
解脱(げだつ)を、空蝉(うつせみ)と、理解しました。
インド的ですが、
タブノキは、中国や台湾や沖縄や西日本などの、原産です。
*** ***
0コメント