櫟(くぬぎ)の枯葉は、なかなか地面に落ちずに、
枝に付いたままで、冬を越します。
東北地方南部よりも南の、雑木林(ぞうきばやし)に多く、
冬は、よく目立ちます。
薪炭(しんたん)材ですから、
昔は、農家の、薪(まき)や炭の原料として、
大切に育てられました。
インダス文明は、樹木を伐(き)り尽くして、
燃料がなくなったので、滅びた、という説もあるくらいです。
計画的に管理されなければ、生活が立ち行きませんでした。
今は、使い途(みち)もなく、放ったらかしになっています。
薪炭用の樹木だけでなく、杉や檜(ひのき)も、
外国から輸入された木材のほうが、安上がりですから、
日本の森は、手入れをされずに、見向きも、されなくなりました。
*** ***
精神障害者のように、壊される時に、社会の注目を浴びます。
だれが、森を壊すのかって、
お金の欲しい田舎の人たちに、決まっています。
精神障害者に集(たか)る人たちも、
お金のために、薬や手術を使い、自分の心を壊します。
壊す人と、壊される人の、両方の心が、壊れますので、
社会の底辺の、共食いの様相になります。
精神科に行きたくないと、日本人が思うのは、
そのせいかも知れません。
理非善悪の、通じない所です。
牛や豚を飼育して、お肉を食べるように、
社会の底辺の人たちを飼育して、社会の底辺の人たちが、食べます。
殺し合いでないのかと、疑われますので、
警察や精神科というのが、あります。
昔の日本では、
被差別部落の人たちが、屠殺(とさつ)を営みましたが、
欧米では、普通の農民が、家畜を殺して、
ハムやソーセージを作りました。
日本では、警察の仕事も、やくざが請け負っていましたから、
警察官は、被差別部落の人のようなものでした。
社会の底辺のことは、社会の底辺に任せる。
犯罪の取り締まりは、犯罪者に任せる。
動物の解体は、動物のような人間に任せるのが、
江戸時代の政策でした。
動物のような人間って、
進化論では、人間は動物に決まっていますが、
お釈迦さんは、はっきりと、修羅や餓鬼のように、
事実や論理を、理解する能力の低い人たちや、貧乏な人たちを、
人間と、他の動物との、中間のような種類であると、言いました。
インドとヨーロッパは、似たような文化の人たちですが、
日本に伝わり、社会の底辺の、共食いに任せる政策になりました。
血統を重要視します、進化論って。
日本の老人介護も、同じです。
老齢化の進み、
これまでよりも、広い社会の底辺が、作られましたので、
バブル以後に、新しい共食いの仕方が、
国民の心に、普及しました。
わたしは、薪(まき)や炭や下肥(しもごえ)の時代に、
育ちましたから、
コンピュータを使い、脳の写真を撮(と)るよりも、
汲(く)み取り式便所と、
火鉢に手を翳(かざ)す待合室のほうが、
しっかりと、病気を殺してくれるような、気がします。
ニーチェという人は、地球に皮膚があると、言いました。
皮膚には、さまざまな病気があります。
その一つが、人間です。
病気を殺すのは、人殺しに、よく似ていますから、
お医者さんが、どのような人種であるかは、
知れています。
性転換医療は、昔ながらの優生医療ですが、
生殖機能を除去することが、
同性愛者を差別虐待する方法ですから、端的です。
日本には、同性愛差別がなかったのに、
堕胎される赤ちゃんが、自分は差別虐待されるのでなく、
社会が進歩したので、
解脱(げだつ)できるようになったと、喜ぶのは、
仏教のような、昔ながらの、インドの考え方です。
人生は苦である、と言います。
オウムの麻原という人の考え方も、似ていました。
精神科や老人ホームに行けば、苦しいのを、嬉しいと、
感じるようになるかも知れません。
それとも、サリンのほうが、良いのかしら。
社会の底辺では、世代交代が上手(うま)く行かずに、
貧乏な青年が、人数の多い老人を、養えません。
自分から、世代交代を拒否して、お金を手に入れるために、
老人を差別虐待するように、介護したりしますから、
性転換とサリンは、似ているかも知れません。
人数の少ない青年が、世代交代をして、
人数の多い老人のお金を、普通に相続すればいいのに…
社会の底辺って、事実や論理が、通用しません。
中学1年生の、国語の読解力試験や、数学の初歩の試験を、
一般社会の成人が受けても、中学生と同じ成績です。
事実や論理を、知ったり運用したりする能力は、
生まれつきですから、当然ですけれど、
言葉が通じるようにならなければ、計測が困難です。
平均よりも能力の高い幼児のほうが、平均的な成人よりも、
事実や論理を知る能力は、高い。
事実を認識する能力って、論理能力に連動しています。
何度も書きましたので、繰り返すと怒られます。
社会の底辺には、事実や論理を知る能力の低い人や、
老人や病人などの、元気のない人たちなどが、たむろしています。
事実や論理を知る能力がなければ、
その人たちの間では、事実や論理が通用しないのは、
当たり前ですが、
事実や論理の中身を、言葉や動作として、実行できないくらいに、
元気がなければ、
事実や論理を知らないのと、似たような結果になります。
行為は、意志の中身を実行するって、
ロマンティックに言いますが、
事実や論理と言われる認識の中身を、
変更不能にしようすることなの。
事実や論理が変化すると、
頭の中を変更するのが、しんどいので、
変化しないように、
認識の中身を、固定しようとします。
石頭(いしあたま)になるから、意志って言うの。
恒常性ってやつですけれど、癖(くせ)がつくことです。
認識の対象と言われる情報を、捕捉するために
目や耳などの感覚器官があるとは、限りません。
妄想や幻覚の出やすい人たちって、
事実や論理を知る能力の、低い人たちかも、知れませんけれど、
統合失調症の患者さんの言うには、
感覚器官は、コミュニケーションのための器官であり、
自分でない何者かの意志を、受信します。
意志って、
変更不能になりつつある認識の中身が、実行として現れますから、
自分でない何者かが、実行することにより、意志や認識でなくなり、
変更不能な自然の一部になって行くことを、
目や耳などの感覚器官は、受信しています。
感覚器官は、
生物が、だんだんと死に、物体になって行くのを、感じます。
神様を崇(あが)めるのは、御先祖様を懐かしむことですから、
進化論によると、
単細胞のばい菌のような微生物が、神様に決まっています。
微生物が死ぬと、神様になり、物体になりますから、
神様は、石灰岩やチャートや石油みたいな、石ころや液体です。
生物って、みんな兄弟姉妹ですから、
自分の仲間が、実行と言われる運動をして、
物体になって行く変化を、
感覚器官は、コミュニケーションの中身として、受信しています。
こんなに、ややこしい言い方をする代わりに、
客観的な事実を、認識の対象として、
感覚器官が捕捉すると、
わたしたちは、簡略に表現します。
認識の対象が、人間の意識によらずに、
それだけで、勝手に存在すると、仮定します。
コミュニケーションって、
発信するやつと、受信するやつの、
両方がなければ、成り立たないのに…
数学と同じでしょう?
これこれの定理により、こうである、と言えば、
簡単です。
定理の仕組みが、わかっていなければ、
昔は、パソコンに入れるために、プログラムを書く時に、
往生しました。
今は、何々の定理に相当するような、
出来合いのプログラムが、たくさん流通していますから、
それを組み合わせて、
ソフトウェアのアプリケーションを作ります。
言葉と同じでしょう?
単語や文法の語源なんか、一々、伝わっていませんから、
誰も知りません。
猿や微生物の文法を、知っているわけがない。
定義は、法律のように制定されるのでなく、
文化的に変化して、流行するものが、
いつのまにか、化石のように、変更不能になり、
美しい珊瑚礁や、動かしがたい岩石として、
伝わるようになりました。
数学は、2進法や数式みたいに、
マルペケ式の判断の道筋(みちすじ)を、
記録しますので、
言語の、単語や文法の由来が、
制定されない流行の、実勢であったり、
忘れ去られて、特定できなかったりするのに比べて、
信頼できると、言われるのは、当然です。
歴史が浅いので、よく整理されています。
そのうちに、面倒臭くなり、
ごちゃごちゃになりますけれど…
手作業のように記録されている数学の屁理屈に比べて、
科学技術は、一人で由来を遡(さかのぼ)るのは、
困難です。
実験に使われた器具や装置や化学物質の作り方を、
一々、知っているわけが、ありません。
着ている服の、生地の作り方も、知らないのに…
でも、物や機械の作り方を、誰かが知っていますから、
見つけ出して、白状させることができます。
誰にも伝えられなかった技術は、忘れ去られます。
当たり前ですけれど、
数学や科学技術を、知っているように、
心の中身の由来を、覚えている人は、
事実や論理を知っているかも知れません。
事実や論理を知る能力って、生まれつきです。
数学や科学技術を知るのと、心の中を知るのとは、
よく似た手法です。
事実や論理を知る能力って、
分類と記憶の仕方が、権力者のそれに、近ければ、
高く評価されるのかも知れません。
たくさんの人の、事実や論理を知る能力は、
最高の水準でありません。
権力は、政治権力と限りませんから、
少数の人たちが、多数の人たちを支配する仕組みって、
文化的に、みんなの価値観が、作られる仕組みと、
同じかも知れません。
金(きん)と交換できない紙幣が、
貨幣として、よく流通する仕組みに、似ています。
みんなに支持される価値観を、
個人の能力であるかのように、知るのは、ロマンティックです。
事実や論理や、数学や科学技術などの、変更不能になった価値って、
石ころのように継承された文化の中身ですから、
重さや長さなどの尺度は、賢さや美しさなどと、
似たような意味です。
数式の正しさって、美しさに似ているでしょう?
エステティックと言いますけれど、
具体的には、進化論のように、血筋(ちすじ)を崇める文化が、
インドヨーロッパ系の、ロマン主義や科学技術などの、
言わんとするところです。
エステティックは、
センスのように、感覚器官が捉えた情報ですけれど、
センシティブみたいに、派生した意味が、よく使われます。
人間は目が良いので、視覚が中心になりますが、
事実や論理を認識する能力の、低い人たちの間では、
エステティックは、顔や体の、見てくれのことを言います。
事実や論理の能力が、低くなればなるほど、
エステティックの傾向が、強くなるのは、
GID(性同一性障害)や統合失調症などの、
精神の病気に似ているかも知れません。
発病する前の、統合失調症の患者さんのほうが、
健常な人や、性転換をする人などよりも、
知能検査や学力検査の、成績の高いことが、よくあります。
エステティックて、端的には、日本人や中国人のような奴を、
間引こうとする文化です。
数学や科学技術や鹿鳴館や性転換などに、よく現れています。
日本の性転換を、
統合失調症の人たちの、陽性症状の流儀で表現すれば、
欧米白人でない見てくれを、悲観した人たちの、精神障害です。
お医者さんも、よく罹(かか)ります。
生殖機能を壊したり、性別うんぬんを訴えたりするのは、
昔の言い方をすると、ヒステリーの症状です。
論理が通じないのに、
どうして、事実や話(はなし)が、通じるのかしら。
欧米の人には、昔から謎(なぞ)でした。
裁判官の書く判決文は、すごく変(へん)な文章です。
論理的に、事実を判断しているそうなの。
言葉を使って、論理を運用できるのかしら。
誰も見ていないのに、
どうして論理的に類推されたことが、事実なのかしら。
裁判官の判決文を、当事者や傍聴人だけでなく、
マスコミの記者も、理解できません。
だって、世間一般の人や、新聞記者の、
国語の読解力は、試験をすれば、簡単にわかります。
平均的な能力がどれくらいで、
判決文のあらすじを、理解できるか出来ないかって、
わたしは、知っているもんね。
判決文どころか、新聞の三面記事や、
テレビニュースのキャスターの読み上げる文章も、
平均的な日本人には、あらすじがわかりません。
それでも、通じるのは、何故(なぜ)かしら。
通じていると、思っているだけで、ないのかしら。
これって、妄想と同じです。
自分の想像したことと、事実との、違いがわかりません。
ところが、精神科の看護師さんが、そう言います。
看護師さんの論理能力って、
たいてい、学校で一番ケツっぺたなのに…
統合失調症の患者さんのほうが、
医学部に合格しているぐらいですから、
事実や論理を、知る能力の優劣は、
看護師さんと逆(さか)さまです。
自分の想像したことと、事実との、
違いのわからない看護師さんが、
妄想の出る統合失調症の患者さんに、
自分で思っただけでしょう? と言い、
患者さんの訴えを、相手にしないばかりか、
暗(あん)に非難します。
看護師さんのほうが、精神病院の入院患者よりも、
遥かに高級で、絶対的に偉(えら)い身分です。
病院の飼い犬に、優しくしてあげますから、
看護師さんやヘルパーさんは、
飼い主のように、とても献身的です。
看護師さんに、ひれ伏す態度にならなければ、
患者さんは、虐(いじ)められます。
妄想や幻覚のせいですから、だれに訴えても、
患者さんは、だれからも、相手にされません。
精神病院って、大昔から、そうです。
病気を治すのでなく、
監禁して、上下関係を、厳しく躾(しつ)ける所です。
事実や論理を識別する能力がなくても、
言葉が通じるのは、人間と犬の関係のように、
権力の序列を、知るからです。
普通は、感情と言いますが、
哺乳類の内の、人間に近いほうの、半分の種類は、
人間の感情と、あらすじが同じです。
感情のあらすじって、
中学校の教科書に、載っていなかったから、
怒られるかも知れません。
犬は、飼い主の家の、人間の序列を、的確に見抜きます。
体の大きさでもなければ、餌をくれる人でもなく、
散歩に連れて行ってくれる人でもなく、
人間的な諸般の事情を考慮して、
その家の親分が誰であるかを、
人間的な事情を、知らない飼い犬が、
人間よりも、よく知っています。
俺のほうが偉いぞと、
肘(ひじ)を張る序列の臭(にお)いが、
体から出ているのかも知れません。
事実や論理を知らなくても、言葉が通じるのは、
動物のように、感情を読んでいるからなの。
人間は、
その能力が、他の哺乳類よりも、低いかも知れません。
感情って、殺し合いの序列です。
ご主人様と奴隷の、
間柄(あいだがら)のようなものです。
ノルアドレナリンの、臭(にお)いかしら。
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