スイセン 1427 性転換や抗精神病薬は、慎む

ギリシャ神話のナルシスの話を書くと、
聞き飽きたと、言われますから、書きません。
 
何から何まで、ものの名前に、全部、神話がくっついているのは、
ギリシャ神話や、ラーマーヤナでも、
古事記や日本書紀でも、同じなのに、
うっかり、日本の神話を持ち出すと、馬鹿にされます。
 
ものの名前だけでなく、出来事にも、膨大な神話があり、
事実や物理化学や科学技術などと、言われます。
 
神話と同じなのに、科学者が出て来ると、間違いないと信じるのは、
神父さんやお寺さんが出て来ると、有り難く思うのと、同じです。
 
言葉を使っても、事実と言われる認識の中身を使っても、
同じなのに…
 
わたしは、科学者の講話を聞くと、
抹香(まっこう)臭(くさ)いと感じて、
技術者が出て来ると、墓掘り人夫は、よく知っていると、
感心します。
 
ナルシスが、水に映った自分の姿に、恋をしたのは、
性転換にそっくりですけれど、
そういうふうに仕向けた女神の名前を、忘れました。
 
これは、日本水仙と言います。
傍(かたわ)らの木は、楓(かえで)ですけれど、
葉がなく、丸裸ですので、なんという名前か、わかりません。
 
枯れた実(み)の位置が高く、よく見えず、
枯葉を探しましたが、大きな葉で、自信がありませんでした。
 
           ***          ***
 
性転換を実行しようとする気持を、治すのは、簡単です。
日本のように、文化的な同性愛差別の、一度もなかった社会では、
性転換医療を行なう必要性が、皆無でしたから。
 
日本の、いわゆる闇医療の時代に、
外国へ行き、性転換を行なった人は、30年間に、数百人未満です。
公然と性転換医療を行わないほうが、
性転換を実行する患者さんが少なく、
結果が良かったかも知れません。
 
性転換による体の負担は、良くありませんが、
長期的な心の成り行きは、性転換の実行の有無にかかわらずに、
どんぐりの背比べでした。
 
性転換により、確実に体を壊すのと、
短期的に、望みが叶い、嬉しくて仕方がないのとは、見合いですが、
体の負担が大きく、抗不安薬でも行ける程度の利益でしたら、
赤字です。
 
患者さんは、大麻や覚醒剤やMDMIなどでも、行けます。
それぐらいなら、精神科では、
合法的な代物(しろもの)を、処方できるのに…
 
性転換を実行したくて、堪(たま)らない気持になるから、
性転換をしなくても良いように、治療して下さいと、
精神科を受診したほうが、良かった。
 
ほぼ全員が、論理能力や知能や学力などの低い人や、
脳に作用する化学物質を、あれこれと常用しなければ、
やっていけないタイプの人でした。
 
性転換のことを除外しても、十分に精神障害ですが、
ほとんどの人が、精神科を受診したことがなく、
統合失調症を発症してから、精神病院に放り込まれた人も、
結構いました。
 
失業すると、歓楽街にたむろして、
犯罪に塗(まみ)れ易(やす)い人たちでしたが、
彼らは、日本が性転換医療を行わないから、
失業や犯罪の、憂き目に遭(あ)ったと、主張しました。
 
性転換を望まなくても、社会の最底辺にたむろする人たちの、
典型のように、わたしには見えました。
 
精神障害や、狭い意味での精神病の近辺の素質を、
生まれながらに持っていた人たちです。
この素質は、たぶん、変更不能ですが、
性転換に、直接の関係は、ありません。
 
マリファナに、直接の関係はない、と言うのと、同じ意味です。
気持の良い幻覚に恵まれれば、やって行ける人でしたら、
マリファナって、手軽かも知れません。
精神科のような、縁起でもない所に行くのは、嫌(いや)ですから。
 
マリファナや性転換でなくても、
抗不安薬を処方してもらえば、なんとか、凌げるはずでしたが、
姑息(こそく)です。
一番良いのは、みんなの文化の中身を、変えることです。
 
脳味噌の神経の、繋がり方や枝分かれの仕方は、変更不能ですから、
脳や体のほうを、ロボトミーや向精神薬や性転換などにより、
変えようとするのは、一時凌ぎになっても、愚かです。
 
文化を変えると言えば、精神科は儲かりませんので、
気持の持ちようにより、身を躱(かわ)して行くって、
主張する精神科医もいます。
 
ごく僅(わず)かの医者ですが、
手間と暇ばかりを食い、ちっとも儲かりません。
 
心理療法や精神療法って、
心理カウンセラーや心理療法士のすることですから、
鼠(ねずみ)の餌みたいに、吹けば飛ぶような収入では、
なんのために医者になったのか、わかりません。
 
医者は、権力者ですから、
薬物療法により、いつもの薬を処方するだけの、
権力の歯車のような診察が、当たり前です。
 
精神障害の症状は、
脳味噌の器質や配線のほうが、非論理的で、変更不能であっても、
権力者の脳味噌が、論理的であるとは、必ずしも言えません。
 
身長は、1mよりも2mのほうが、高いのに決まっていますが、
何mならば、高いって、相対的な言い方です。
昔の哺乳類は、鼠みたいに小さく、穴の中で暮らしていましたから、
数cmでした。
 
これからも、3m、4mと、身長が伸びるかも知れませんから、
何mならば、高いって、その時の相場に過ぎません。
 
論理も、そう。
何が論理であるかって、身長のような相場ですから、
100mと比べれば、お医者さんや理論物理学者って、鼠です。
 
1kmと比べるべきか、銀河系の直径と比べるべきか、
そんなもん、切りがありません。
論理って、そういうものなの。
 
論理能力が希薄なくせに、
裁判官は、論理を装った判決文を、書きます。
裁判や科学技術は、論理的に実行されたと納得して、
心を粉飾します。
 
中学1年生に、新聞のコラムを題材にして、あらすじを問うても、
ほとんどの子は、満点を取れないように、
ほとんどの大人も、あらすじを読み取れません。
 
それでも、裁判員になれば、
難しい事実や論争を、理解したかのように、思い込みます。
 
論理能力って、裁判員になっても、伸びません。
生まれつきの、神経の繋がり方ですから、変更不能です。
いくら勉強しても、向上しません。
 
裁判員も、裁判官も、お医者さんも、物理化学者も、
五十歩百歩なの。
それでも、科学技術を、論理的であると、確信しています。
 
心の粉飾ですが、
精神の病気の、原因や治療法になります。
 
性転換をした人って、体が痛いのに、
望みが叶い、嬉しくて仕方がないと、言います。
心の粉飾が、除去されて、
新しい粉飾の、原因になるかも知れません。
 
性転換やエステティックや性欲って、論理が、荒唐無稽です。
こいつが効くのは、向精神薬と同じです。
 
統合失調症の人は、
日本の江戸時代から、責任能力がないと、されて来ましたが、
何の治療も、行なわれませんでした。
 
うちのお母さんは、
子供の頃に、田舎の庄屋の、古い民家を訪ねたそうです。
江戸時代の座敷牢があり、
大正時代には、周辺の村落の、精神障害者を監禁していました。
 
ロボトミーや抗精神病薬の、無い時代です。
もしかしたら、江戸時代からの、
座敷牢の、普通の使い方かも知れません。
 
欧米でしたら、カスパー・ハウザーのように、
昔は、地下室に閉じ込められているのが、普通でした。
 
統合失調症に似ていますけれど、統合失調症でなかったように、
治療をされなかったので、
統合失調症よりも、症状が、軽く済んだのかも知れません。
 
お母さんの見た座敷牢の患者さんは、
現代の精神病院の入院患者さんと、同じ様子でした。
手術やお薬を使わなくても、結果は同じって、
発症の前に、戻っただけかも知れません。
 
生まれつきの素質に、無理を強(し)いないところまで、
自分で戻ってしまうのは、
精神症状が、論理的な権力や文化への、抵抗のように、
論理を、標榜しなくなるからでした。
 
そのことが、論理を基準にした目には、あほになるように見えます。
精神症状に浸(ひた)れば、苦しい人の気持が、楽になります。
権力や文化に対する反逆とも言えますが、
論理的であろうとして、心を粉飾しないほうが、
良い結果になります。
 
論理は、事実の認識や、科学技術の確信に、端的に現れていますが、
その仕組みを書けば、耳に蛸(たこ)ができたと、怒られます。
 
集団ストーカや電波と、聞けば、
反射的に、妄想や幻聴と、判断する人は、
精神の病気の患者さんに、似ています。
 
精神障害者に群がるお仕事の人かも、知れません。
宇都宮病院事件を起こした人たちが、そうでした。
 
集団ストーカに監視されていると、訴える人がいれば、
物的証拠の収集の仕方を教えてあげて、
証拠が集まれば、本人が弁護士を雇い、訴訟に持ち込み、
そうでなければ、本人が悔しい思いをしても、健常です。
 
他人の居室を盗聴する人は、盗聴されていると訴える人や、
集団ストーカや盗聴と聞けば、
反射的に、妄想や幻聴と、判断する人たちと、
よく似た心と、言えます。
 
精神科の患者さんやスタッフとして、
類は友を呼ぶように、集まる人たちは、
もしかしたら、警察官や保健婦や
マンションの管理会社などに、勤めていたり、
自治会の役員であったりするかも知れません。
 
こんなことを書くから、怒られるのですが、
精神障害者を差別虐待する人と、
精神障害に群がり、生計を立てる人たちと、
精神障害者とは、似た者同士なの。
 
事実を見て、判断するのが、公正でしょう?
事実がわからずに、判断保留になることが、
世の中や人生の、ほとんどです。
悔しい思いをしても、当たり前の健常な心なの。
 
無理矢理に判断を迫られて、
一か八かの、事実や論理を、粉飾したり、捏造したりするよりも、
科学技術のように、自作自演の事実を生産したほうが、
堅実かも知れません。
 
役所のホームページにも、統合失調症の症状として、
誰かに監視されているとか、
監視している奴の声が聞こえてくるとかって、書かれています。
 
集団ストーカや盗聴や監視されている、と聞けば、
精神障害と思い込むのは、精神の病気の症状かも知れませんと、
役所は書くべきでした。
 
患者さんと、役所の担当者は、たぶん同じ心です。
失業している人のほうが、精神病と言われ、
国民の税金を使っている人のほうが、
国民の心を診断できると、妄想をするような、
鼻の高い気持になります。
 
いずれも、精神の病気と言われる気持を、共有しています。
 
いちばん多い例は、
監視されていると言う人も、それを精神病の症状であると言う人も、
いずれも、証拠がないのに、超能力により、事実を知り、
超能力により、精神の病気と、思い込みます。
 
事実を知らないのに、これこれであると、判断するのは、
患者さんの側にも、お医者さんの側にも、言えます。
権力尽くの定義や、勝手な定義により、
事実や論理を判断するから、妄想や幻覚になります。
 
この世の中に、神様がいる、と言うのは、妄想や幻覚なのかしら。
いるのなら、物的証拠を見せて欲しいのですが、
いないという証拠も、見せてもらいたいものです。
  
 
 
  
 
  
 
  
 
 
  
 
 
 
 
  
  
  
  
 
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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