上海は、日本の瀬戸内式気候に、似ています。
年間総雨量が、岡山と、ほぼ同じ。
都心の、平均的な光景です。
強制的な、立退(たちの)き政策のお陰で、
日本よりも、よく計画されて、ゆったりしています。
いまのところ、昔の商店と、よく調和していますが、
近い将来に、古くなった建物は、高層ビルになるでしょう。
文化財でもないのに、
築50~100年ぐらいの建物を、残していたのでは、
土地が足りません。
それとも、郊外に、
100階建てのマンションを、たくさん建てるのかしら。
エレベータが止まれば、どうしよう。
だいたいの町並みは、
上海のほうが、東京や大阪よりも、
趣(おもむき)や風情(ふぜい)があり、奇麗です。
日本の大都市は、今や、開発途上国の印象に近い。
中国が奇麗になったのは、
ひとえに、共産主義の強権政治のお陰です。
日本のように、個性を尊重していたら、
メキシコシティやムンバイみたいに、
中国も、スラム街ばかりに、なっていました。
近い将来に、日本は、性同一性障害のように、スラム街を抱えます。
1950年代の日本でも、
被差別部落や韓国朝鮮人の集落は、スラム街でした。
中国や韓国も、オリンピックの前まで、スラム街が残っていました。
上海の、斯文里や喬家路や虹六村を、スラム街であったと、
言う人もいますが、民家が古くなり、傾いていたものの、
あれは、趣(おもむき)のある貧乏人の、質素な町並でした。
親孝行の、堅気(かたぎ)の人たちが、暮らしていました。
現代の日本人は、スラム街を、知らないのかしら。
わたしは、掘っ立て小屋ばかりの集落を、いくらでも知っています。
第二次世界大戦後は、焼け野原ですから、
バラックを建てなければ、仕方ありません。
韓国朝鮮の人たちが、勝手に住み着き、
闇市(やみいち)になり、やくざが仕切れば、
そう簡単に、排除できません。
法律や暴力の問題でなく、実際に暮らしている人たちを、
力尽(ちからづ)くで排除するのは、
日本人の人情に、悖(もと)ります。
闇市の親分も、フーテンの寅(とら)さんのようなものです。
韓国朝鮮の人たちが、
そこを、目敏(めざと)く狙って来たのは、当然でした。
日本人が、あほなのでありません。
そういう日本の文化が、身に沁(し)みれば、
在日韓国朝鮮の人たちは、日本に帰化します。
それで、良いのです。
日本のマンションが、精神障害者を迫害するようになったのは、
自治会が、スラム化を恐れてのことです。
そのうちに、自警団ができます。
国家が、暴力団を取り締まりましたので、
強制的な地上げを、自治会や自警団が、行なわなければ、
仕方ありません。
そのために、第二次世界大戦の前に、
国家が、自治会や自警団を、作りました。
警察や自治会って、江戸時代は、ヤクザがやっていました。
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今年から、アメリカ合衆国は、
GID(Gender identity disorder 性同一性障害)をやめて、
GD(Gender dysphoria)になりました。
前は、identity と似たような意味の言葉が、
日本にありませんでしたので、面倒臭かったのですが、
今度は、dysphoria ですから、嫌(いや)というほど、あります。
嫌(いや)で嫌で、堪(たま)らない心が、
変更不能になり、往生しています。
駄々をこねているのが、いつものことになり、
精神の病気と言われます。
健常でしたら、異性になったような気持は、
だれでも、涎(よだれ)が出るほどの、性的快感ですので、
異性装をすると、
他人から、白い目で見られたり、厳しく叱られたりするのが、
普通です。
異性になったような気持の、性的快感が癖になると、
具合が悪いでしょう?
だから、異性装の人を見つけると、みんなで叱ってあげて、
癖にならないように、社会的に予防策を授けます。
厳しく叱られることが、
性的快感を貪(むさぼ)る精神の病気の、予防になるの。
でも、何らかの事情から、
異性になったような気分の、性的快感を貪(むさぼ)ることが、
癖になってしまった人たちは、
同性の文化に馴染むことが、嫌(いや)で嫌で、
堪(たま)らなくなります。
その気持を、Gender dysphoria と、言います。
異性になったような気分の、性的快感のほうは、
Gender euphoria 性別多幸症,色ぼけ です。
何と訳しましょうか。
Gender dysphoria や Gender euphoria などと、
Gender addiction 性別依存症 は、似ていると言えば、
怒られるでしょうね。
男なら、これこれの心、女なら、これこれ。
あるいは、これこれの心なら、男や女とかって、
文化的に、絶えず変動しているのに、
個人の心の中で、変更不能になれば、
文化的な性別の流行に、依存するタイプの、精神の病気の種類と、
言えないこともありません。
喫煙なんて、流行文化にすぎないのに、
流行が廃れても、煙草をやめられないでいると、
ニコチン依存症と言われて、笑われます。
人間は、有性生殖をしますので、
体の性別は、そう簡単に変わりませんが、
女なら、スカートにお化粧や、男なら、徴兵されて人殺しって、
ただの、流行文化ですから、しょっちゅう変わります。
男女の文化の、内容や性差が、
容易に、無くなったり、交替したりするのに、
個人の心の中で、変更不能になれば、
Gender addiction 性別依存症 かも知れません。
性転換を実行しようとする人は、意図的に、体を壊しますから、
依存症よりも、もっと、症状が複合的で、重症です。
もっと、根本的な心に、嫌悪感の由来を、求めなければいけません。
鬱病のように、生真面目(きまじめ)な人の、
生存や社会に対する拒絶反応を、上げる人もいますが、
わたしは、統合失調症のように、優しい人の、
知能の発達不良を、心配します。
統合失調症になる人は、鬱病を通りますが、
性転換を実行しようとする人も、中には、いるようです。
性転換から見れば、
後(のち)に、かなりの人が、統合失調症になります。
Gender dysphoria と Gender euphoria の間で、
心が揺れ動けば、なんとなく、躁うつ病に似ています。
鬱病の自殺に、間引かれてから、
統合失調症の自殺に、間引かれます。
抗精神病薬の依存症になれば、あほになりますから、
自殺は少なくなります。
ついでに、言いますと、
identity に似た言葉が、日本にないのは、
日本が、農耕民族の定住社会であり、
戸籍制度が発達していましたので、
どこの馬の骨かを、自分で証明する必要が、なかったからです。
identity は、自己同一性や、自己存在証明や、帰属意識などと、
日本語に翻訳されます。
自我と言われる気持ちに、よく似ていますので、
インドからあっちの人たちの、思想や社会が、
遊牧民族の生活に由来していると、わかります。
移動生活って、役所を、持ち歩けませんので、
戸籍制度が、役に立ちません。
ジプシーやユダヤ人って、欧米人の理想かも、知れません。
GID(Gender identity disorder 性同一性障害)は、
性別依存症と、翻訳しても構わないのですが、
性的戸籍障害のように、機械翻訳をしたくなります。
自我障害と訳すと、簡単ですけれど、
紛(まぎ)らわしいので、減点です。
GD(Gender dysphoria)は、どう翻訳するのでしょうか。
昔に、ヘンタイよいこ新聞、というのがありましたから、
「苦変態」や「ウルトラマン症」などは、どう?
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