近所の茶室の、表側です。
豚小屋の裏側でありません。
茶室は、倹(つま)しく質素で、
うらびれて、鄙(ひな)びた田舎の、
貧乏臭(くさ)い風情(ふぜい)を、わざと演出します。
侘(わび)寂(さび)と宣(のたま)い、喜びますから、
相当に悪趣味です。
戦国時代の田舎の、日常の食器は、
素焼きの陶器でなければ、木製でした。
堺のような、貿易港の都会では、
すでに、景徳鎮の染付(そめつけ)や、絵付(えつけ)の磁器が、
市民の食器でしたから、
釉薬(うわぐすり)を掛けた陶器の食器でさえ、
もはや古風で、風流に見えました。
千利休という人は、
貧乏な田舎の生活を模倣して、楽しみましたから、
豊臣秀吉のような人が、怒るのは、無理もありません。
当時の武士は、心を癒やすお薬として、お茶を飲みました。
漢方薬を使うのは、仏教のお坊さんの仕事でしたから、
お茶を飲むにも、お寺さんに由来する作法がありました。
職業は、世襲の血筋でなければ、新規参入が困難でした。
インドのカーストと、似たようなものですが、
日本では、座や株仲間と言われる同業者の組合のことです。
現代のお相撲さんや、家元制度などにも、残っていますが、
織田信長や豊臣秀吉は、楽市楽座を、政策の柱に掲げました。
世襲の同業者が、市場を独占する社会を、
徹底的に、ぶち壊さなければいけません。
同業者組合は、武力組織を持っていたの。
平和主義者の徳川家康という人は、
昔ながらの世襲の同業者組合の既得権を、保護しました。
侘茶の創始者の村田珠光は、お坊さんでしたから、
お寺さんの権利を取得して、
師匠から弟子に、侘茶(わびちゃ)の既得権を伝えました。
お能の幽玄と、茶道の侘(わび)や寂(さび)とは、
共通の世界ですから、新古今和歌集の境地です。
どうせ生きたまま、首を切り取られる武士の、
諦(あきら)めの気持が、現れています。
儚(はかな)い宴(うたげ)のように、お茶を飲み干します。
お寺さんは、血縁による世襲でなく、
師匠から弟子に、教義が伝えられましたので、
茶道も、世襲でなく、家元制で行きましたが、
現代のお茶の家元は、世襲に戻っているようです。
千利休は、侘茶を完成しましたが、
お茶の作法を教えろと、天下の太閤秀吉に要求されると、
断れません。
でも、豊臣秀吉は、
座や株仲間のような、世襲の独占的な同業者組合をぶち壊すために、
才能を発揮した人です。
貧乏な田舎の百姓の出身ですから、
素焼きの陶器や、木製の食器に、
粟(あわ)や稗(ひえ)や麦の混じったご飯を、
姉や母に、装(よそ)ってもらい、
お腹を空(す)かせて、育ちました。
陶器の食器は、大切な日用品でしたから、芸術でありません。
堺のような都会の、絵付けの磁器を、知らなくても、
安もんの陶器は、よく知っています。
貧乏な子供時代の、掛け替えのない思い出でした。
千利休は、それを、風流であると、言います。
貧乏な百姓の生活を、わざと演出して、
侘茶の極意であると、抜かします。
わたしが、豊臣秀吉なら、
お茶の作法を教えて貰えば、もう無用ですから、
千利休なんて、お払い箱です。
そしたら、秀吉という人は、千利休に切腹を命じました。
切腹も風流であると、利休は言ったのかしら。
ちゃんと、切腹をしましたから、正直です。
わたしなら、仲間を集めて、
雑賀衆(さいかしゅう)や真田幸村みたいに、
山に立て籠もり、一戦を交える振りをして、
こそっと、夜のうちに、逃げ出したのに。
一族が連座しますから、自分だけが逃げるわけに、行きません。
北朝鮮でも、そうですけれど、
脱北した人の親戚は、みんな収容所に入れられて、
逃げた人を呪(のろ)っています。
性同一性障害のように、子孫を残さずに、身内のいなくなる人は、
ヘルパーさんに、家畜のように扱われて、死にます。
遺産を奪い取られても、身寄りがなければ、仕方ありません。
手前の木は、椿(つばき)です。
葉が広く、山茶花(さざんか)や寒椿(かんつばき)でありません。
この蕾(つぼみ)は、3月の末から4月に、咲きます。
寒椿(かんつばき)は、お茶の葉のように、もっと葉が小さく、
今が盛りです。
山茶花(さざんか)も、葉は小さいのですが、
12月の中頃までに、咲き終わりました。
奈良県今井町の、今井宗久って人も、
織田信長の贔屓(ひいき)に与(あづか)り、
高校の教科書に、太字で出て来る茶人でした。
彼の建てた茶室は、今も残っていますが、
現代の都会の、伝統的な日本建築の様式です。
アメリカ合衆国に、うさぎ小屋と言われて、笑われました。
村田珠光や今井宗久や千利休などの茶人は、
いずれも、ただの小売の商人でなく、
堺を拠点にして、鉱山の開発や、貿易船の運航や、
鉄砲の独占代理や、
両替や金融や米蔵などを営む財閥の総帥でした。
お茶の嗜(たしな)みは、中国の禅宗から伝わりましたが、
東南アジアの日本人町では、
イギリス人やフランス人やオランダ人などと、
商売だけでなく、軍事力でも、競合していました。
日本の茶道は、
インドのお茶を飲むイギリス貴族の趣味に、通じていましたから、
ゴルフや乗馬やヨットのようなものです。
豊臣秀吉は、黄金の茶室を作り、侘茶の悪趣味を、茶化しました。
世襲の血族による同業者組合が、宗教と結託して、
インドのカーストのように、
生まれながらの社会階級として、蔓延(はびこ)るのを、
織田信長や豊臣秀吉などの、革命的な政権が、
座視できるはずもありません。
お坊ちゃんの信長は、今井宗久に誑(たら)し込まれても、
貧乏人の秀吉は、絶対に、千利休に騙(だま)されません。
敵は、世襲の財閥一族と、宗教です。
比叡山や一向宗だけでなく、キリスト教も危ない。
信長と秀吉の、楽市楽座は、
日本が、インドや中国になる道を、ぶち壊しました。
徳川家康は、子供の頃から、
平和を愛して、同性愛を嫌(きら)いましたので、
日本は、あまり残虐になりませんでした。
秀吉の晩年も、そうですが、
認知障害だけでなく、精神の病気は、
気持の優しい人が、攻撃的で残虐になります。
嫌(いや)なことを、受け流したり、耐え忍んだり、
変形したり、呑み込んだり、食べてしまったりする能力が、
低くなります。
他人と、交渉やコミュニケーションが、できなくなるの。
老化に似ていますが、体調が悪ければ、
若くても、精神の病気になります。
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