ニシキギの実 1393 自分で苦しくなる病気

錦木(にしきぎ)は、
真弓(まゆみ)や吊花(つりばな)や柾(まさき)などの、
ニシキギ科の、きれいな実が成ります。
 
柾(まさき)は常緑樹ですが、他は落葉樹なので、紅葉します。
特に、錦木(にしきぎ)は美しく、
公園に、よく植えられていますので、
自宅の庭に、植えたいと、思いません。
 
街路樹も、そうですが、公園や道路の樹木を、庭に植えると、
気持ちが、落ち着きません。
 
花壇の草花は、町の中でも、よく見かける花が、
自宅に咲いていると、気持ちが明るくなります。
 
玄関先の花壇は、幼稚園の女の子に明け渡しても、
茶室から見える庭は、侘び寂びの心でなくては、いけません。
 
菊の三本仕立てや、小菊の懸崖などは、行き場がなくなりますので、
天皇制の行末(ゆくすえ)は、甘くない。
 
錦木(にしきぎ)は、株立(かぶだち)の低木ですが、
幹の翼が特徴です。
 
           ***          ***
 
精神の病気って、脳や体の器質に、原因となる共通の病変があれば、
脳も含めて、体の病気の一種と、言えないこともありませんが、
脳や体が治らなければ、精神を、どうしてくれるのでしょうか。
 
精神だけでも、なんとかしないと、精神的に苦しければ、
脳の神経が、止めどもなく、壊れて行きますから、
回復不能の、支離滅裂の精神に、なってしまいます。
 
麻薬みたいな化学物質を入れて、御機嫌な気持ちにさせれば、
病気の進行を、止められるかも知れません。
その代わりに、あほになります。
 
これは、しょうがないのかも…
足の骨を折れば、松葉杖を突きますから、自由に歩けません。
腰や背中でしたら、寝たきりもあります。
怪我(けが)でも病気でも、
二度と歩けないと、諦めなければいけない時も、あります。
 
老化がそうなの。
昔のように、二度と元気になりませんから、諦めて下さい。
そのことを、健常と言いますから、言葉はややこしい。
老化と言わずに、あほになる病気と言えば、袋叩きにされますから、
言いません。
 
大往生と言われて、死にますけれど、
寝たきりのまま、意識朦朧としているだけでなく、
たいていは、ひどい認知障害になっています。
 
精神の病気にも、
あほになると、二度と回復しないのが、たくさんあります。
癖(くせ)になっていますから、
回復するには、少なくとも、煙草を止(や)めるぐらいの努力が、
必要です。
 
それだけの執念を、偶然に発揮したり、
赤ちゃんの発達の勢いのように、自動的に発揮したりするのでなく、
成人が、意図的に発揮するには、いわゆる知性が必要です。
 
癖になっているあほのほうが、強力ですと、
回復不能かも知れません。
 
脳や体の器質に、原因となる共通の病変が、発見されていても、
精神症状って、長引けば、癖になリますから、
脳や体の病気が治ったのに、精神症状が、回復しないことも、
十分にあります。
 
体の病気って、あほ医者を頼らなくても、
ほとんどが、自然に治癒します。
苦しみが軽ければ、長期間、患い続けているのに、
病院に行かないことも、普通です。
 
インフルエンザなんか、
勝手に治って、そのうちに、跡形もなくなるでしょう?
 
脳や体の器質に、病気の物的証拠がなくても、
精神の癖だけが、残っていることも、あります。
 
脳の神経って、粘菌の変形体みたいに、
手を伸ばしたり、引っ込めたりして、変形して行くんです。
 
癖になるって、
その形が、サンゴ礁みたいに、残るのかも知れません。
神経の樹状突起や軸索って、
髪の毛や爪みたいに、神経細胞の生産物ですから、
神経細胞よりも、長期間の変化が、保存されています。
 
癖(くせ)を、積み重ねて行くように、
生物の体や脳は、変形して行きますから、
心が成長するかのように、言われても、老化と同じです。
 
サンゴ礁は、変更困難ですから、
情報処理が、上手(うま)く行かなければ、行く行くは、
脳を含めて、体を損傷する結果になります。
 
同じ種類の生物や、他の生物や、ただの物体などの中で、
個体維持と生殖をして、世代交代をするための、
生物の個体の情報処理ですから、
病気と言われる成り行きの原因は、言うまでもありません。
 
世代交代って、ライフサイクル life cycle ってやつですけれど、
生活史 life history と、どう違うのかしら。
GID(性同一性障害)の人は、
自分史 personal history ってのを、書かされます。
病気の名前からして、identity だなんて、西洋かぶれ丸出し。
 
ホモ・サピエンスの、ホモ homo って、
フランス語の homme や、英語のヒューマン human ですけれど、
人間は、土 humus から作られたので、homo になったと、
紀元前後の奴隷出身の、
ローマのヒュギヌス Gaius Iulius Hyginus が、言っています。
観光バスみたいに、ハイデッガーが引用していました。
 
日本では、神さまが、人間を産みましたから、
神さまを信仰するのは、祖先を信仰して、血筋を守るためです。
 
インドのカーストも、血縁主義ですけれど、
ユダヤ教は、ペルシャ文化を、救世主のように尊敬しましたので、
外国かぶれです。
キリスト教になると、はっきりと、ヘレニズムの産物ですから、
インターナショナルですけれど、
ローマ人が、土くれから人間を作ったのは、科学的でした。
 
物理化学って、とてもロマンティックですけれど、
ソ連が潰れたせいで、半分、棺桶に足を突っ込んでいます。
 
変更不能な奴は、行き止まりの袋小路であると、
進化論が、言っているだけですから、
わたしに、自殺用のロープを、持って来ないで下さい。
 
鎌倉の二代将軍源頼家の息子の公暁(くぎょう)は、
叔父の、三代将軍実朝の首を切り取ってから、
一人で、乳母の夫の、三浦義村の家の、塀を乗り越えようとして、
討ち取られました。
 
公暁って、実朝の首を抱(かか)えたまま、食事をしたそうです。
殺した直後に、食べたい気に、なりませんけれど、
本懐を遂げれば、祝着至極(しゅうちゃくしごく)ですから、
宴(うたげ)を設(しつら)えるのは、礼儀です。
 
精神の病気って、脳味噌の情報処理の、癖を変更できずに、
たいていは、自傷や生殖拒否などに、なりますけれど、
殺したり、殺されたり、お肉になったりする個体も、あります。
成長や発達や老化などと、言われるのが、一番円満です。
 
科学技術の成果を、確かであると、信じてるいるのなら、
物理化学を信じていようが、いよまいが、
進化論を、信じているようなものです。
 
それが嫌(いや)な人は、
オウムのような宗教に、凝るかも知れません。
 
科学技術や物理化学や進化論などを、信じていても、
脳の神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方が、
論理に、一致しているとは、限りません。
 
確かに目で見て、手で触って、耳で聞くように知られる事実を、
認識する仕組みが、論理と言われますから、
論理は、価値の通リに、認識します。
 
価値って、何を共通点にして、一つに纏(まと)めるとか、
何を基準にして、二つに分類するとかの、弁証法のことですから、
マルペケ式の、コンピュータのような判断のための、条件です。
コンピュータのプログラムを作る人が、勝手に定義します。
 
みんなと同じ価値でしたら、
みんなと同じ事実が認識されますけれど、
自分一人だけの価値を定義すると、自分だけの事実が認識されます。
みんなに普及できなければ、妄想や幻覚や支離滅裂などと言われて、
精神病院にぶち込まれます。
 
さまざまな価値の、定義されたプログラムが、
みんなに使用されていれば、文化と言われますけれど、
自分一人だけのプログラムでしたら、ただの趣味や意見です。
 
みんなと異なるのに、実行をすると、精神病院に入れられますが、
上手く行けば、
牢屋に入れられて、首吊りにされるだけで、済みます。
もっと首尾よく行けば、自分だけの価値が、みんなに普及して、
褒(ほ)めてもらえるかも知れません。
 
文化って、所詮は流行文化ですけれど
ほんとは、わざと流行の中身を、意味もなく、次々に変更します。
そうして、流行に着いて来れない個体を、振り落とします。
 
ほとんどの人は、老化と言われますが、
中には、犯罪や精神の病気と、言われる人もいます。
 
論理と言われる認識の手順も、
価値の一つにすぎませんけれど、
たんに個人の脳の中で、変更不能になっただけでなく、
遺伝して、みんなの脳の中で、変更不能になっています。
 
犬や豚の品種改良のように、価値の通リに取捨選択するだけで、
簡単に、遺伝の中身を制限して、
遺伝子の組み合わせの、融通が効かなくなります。
 
純化と言われるやつですけれど、取捨選択されるたびに、
特定の遺伝子が脱落して、消えて行きますから、
その遺伝子は、二度と現れません。
 
こうして、遺伝する情報を制限すれば、
犬や豚のように、わずか数世代で、
変(へん)な品種を作り出すことが出来ます。
文化的な価値が、簡単に遺伝します。
 
ほんとは、遺伝子って、化学物質の組み合わせですから、
取捨選択により、特定の遺伝子が消えたように見えるのは、
特定の組み合わせが、捨てられただけなの。
ただの組み合わせですから、また現れるかも知れません。
消しても消しても、一定の頻度で、また現れます。
 
そんなの、当たり前ですけれど、
乳房が8つとか、尻尾が生えていたりすると、
先祖返りをしたかのように、錯覚します。
 
中学の、国語の読解力の問題や、初歩の数学の問題を解いても、
中学生と成人の成績は、ほとんど同じです。
論理能力は、たぶん1才には、変更不能になっていますが、
測定が困難でなければ、
胎児の頃に、すでに決まっているかも知れません。
 
中学生の平均点しか取れない人が、裁判員をやっても、
事件の筋書きを理解したり、因果関係を判断したりするのは、
不可能です。
平均的な中学生は、新聞の三面記事の刑事事件を読んでも、
事件のあらすじを、理解できません。
 
そうすると、平均的な人間は、生まれながらにして、あほで、
弁護士や、東京大学の学生や、お医者さんなどは、
賢いように、思うかも知れませんが、
新聞の三面記事を読み取れない論理能力と、
裁判の筋書きや判決を作る論理能力とは、五十歩百歩です。
 
論理って、
数式や、コンピュータのプログラムのように、定義しなければ、
成り立ちませんから、
刑事事件の因果関係って、オカルト宗教の疑似科学に、似ています。
 
エステティックのように、
多数派の価値を、お題目のように掲げているだけですから、
論理とは、無関係ですけれど、
裁判や社会科学などの、疑似科学の形をとると、
異性装みたいなものかしら。
簡単に、人の目をちょろまかせます。
源義経は、女装が得意でした。
 
いくら、裁判の因果関係を読んでも、
目で見て、手で触って、耳で聞いて知られる事実のように、
認識されません。 
 
論理は、さまざまな価値から、
事実といわれる認識の中身を作る手順です。
 
コンピュータは、実際に、プログラムから映像を作ります。
物理化学も、科学技術の成果を、事実として作ります。
 
それに比べて、裁判の論理は、妄想や幻覚や支離滅裂です。
精神病に近いのは、言うまでもありませんが、
みんなに普及しようとして、論理を標榜します。
 
GID(性同一性障害)の流行も、そうですけれど、
性転換をする人たちは、
自分の気持ちを、論理的に主張しようとします。
エステティックと論理を、識別できません。
人間は、みんなそうですから、仕方ありません。
 
ライオンを見たら、逃げたり、鉄砲で撃ち殺したり、します。
エステティックに、判断します。
 
人間を見た時も、そう。
赤ちゃんを見たら、数学は出来ないと、決めつけます。
不細工なやつは、あほに決まっている。
中学の国語の読解力や数学の問題の、半分しか点数を取れなくても、
美男美女の歌舞伎俳優やファッションモデルの言うことは、賢い。
 
うんこが止まらなくても、また総理大臣です。

 
 
 
 
 
 



 
 
 
 


 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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