真っ黒けの実で、ちっとも奇麗でありませんが、
香りの常緑低木です。
葉を千切ると、
ローズマリーや薄荷(はっか)に似た香りが、強烈です。
こんなのが、料理に入っていると、日本人は食べたくありませんが、
欧米人は、大好きです。
お肉が腐ってくるのを、こいつが誤魔化してくれます。
雨の少ない土地では、腐る前に乾燥しますから、
一時凌(しの)ぎになれば、それで良いの。
性転換医療と同じです。
日本では、乾燥する前に、腐ります。
統合失調症のようなものです。
常緑樹のくせに、紅葉しています。
古い枝の、古い葉ですが、実が成ると、危ういのかも知れません。
若い枝は、元気です。
医者も、年を取ると、簡単に死にますので、あほです。
これが、一番わかりやすい定義かも知れません。
知能は、寿命です。
知能を測る暇があれば、寿命を予言して、
宝くじみたいに、当ててみなければいけません。
人間の体は、腹や胸や脳などを裂いて、
内臓を剥(む)き出しにしなければ、
なかなか、うまく乾燥しません。
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卵から養殖された鮪(まぐろ)が、
大学のブランドを付けられて、売られています。
卒業生も、お肉にされるのかしら。
精神の病気は、
自分の命や体や健康や、他人と共有すべき社会などを、壊します。
みんなと一緒のことができないのと、同じ意味ですが、
体のせいで、みんなと一緒のことができなければ、
身体の病気と言われます。
体の具合が悪くなれば、必ず、精神もイカレますから、
身体の病気は、精神の病気の一種です。
先に、精神の病気になっても、
そのせいで、遅かれ早かれ、体が壊れます。
すべての体の病気は、精神の病気のせいで、起る、という意味です。
心や、心の病気は、そういうものですから、当たり前なの。
精神が、病気にならなければ、体は病気になりません。
自分の精神の病気でなく、
他人の精神の病気のせいで、体の病気になるかも知れません。
体は、心のせいで、わざと壊されなければ、
絶対に病気になりません。
心って、そういう意味なの。
心のせいで起こらない自然現象は、ありません。
認識されない自然現象を、だれも知らないから。
心と心は、コミュニケーションを行ないますから、
特定の個体のせいで起こらない自然現象を、知ることができます。
時間の順番を、認識が決めているから、
自分という気持ちが、起こります。
こういうことを言うと、怒られますけれど、
心の病気は、わざと、自分や他人の体を、壊すことなの。
本人は、わざと、そうしているって、気づいていませんから、
わざとである、と言うのも、変(へん)ですが、
はっきりと意図的に、そうしているかのように、見えます。
昔は、ヒステリーと言われました。
精神の病気だけでなく、
すべての病気が、ヒステリーとして説明されても、
昔は、不思議でありませんでした。
弁証法やロマン主義や進化論などの考え方では、
自動的に、そうなります。
論理的であれば、最初から、そうなると、わかり切っています。
成り行きが、わかり切っている、というロマンティックな考え方の、
最も華やかな結論が、弁証法的や史的などと言われる唯物論でした。
マルクスやレーニンの、共産主義ね。
もう一つの、華やかな結論が、
記号論理からコンピュータという成り行きですが、
こっちのほうは、まだ潰(つぶ)れていません。
論理は、ようするに、自作自演の定義の体系である、と言います。
弁証法だけでなく、コンピュータって、そうでしょう?
どうせ、最初に定義した通リのことを、
持って回って、導き出してくるだけであるのは、
目で見て、手で触って、耳で聞いて、
いわゆる事実を知る、という認識の仕組みに、由来しています。
もうじき壊れると思いますけれど、
地震が起ると言っておけば、当たるのに決まっていますから、
いつ、どこで、どれくらいの大きさの地震が起るのかを、
予言しなければ、賢くありません。
コンピュータの壊れ方は、日本の社会を見ていれば、
よくわかります。
論理って、数学みたいに、人間の判断を制限します。
合理的でなければ、頭が悪いと、笑われて、
遅かれ早かれ殺されます。
エステティックや事実なども、そうですけれど、
みんなの価値は、個体の判断を、縛ります。
手枷(てかせ)足枷(あしかせ)や、
縄(なわ)みたいに、人間を拘束するための、規則なの。
整理整頓をするための、分類と言っても、構いませんが、
みんなと違う秩序を、無秩序と言って、許しません。
ギリシャ人は、宇宙を、秩序と言ったように、
宇宙を仕切る論理は、ただの人為的な分類の規則なの。
中国人は、渠(きょ)成りて水至ると、表現しました。
溝を掘り、思い通りの道筋(みちすじ)に、
水を流します。
趣味やエステティックだけでなく、論理や事実も、
人が掘った溝です。
脳の神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方と、
同じです。
人間の文化が、遺伝するのは、法律や病気のように、
みんなの言うことを聞かん奴を、廃人にするからなの。
精神の病気だけでなく、身体の病気も、
みんなと一緒のことをしない個体を、
廃人にする方法です。
けっして、病気と言われる痛みや苦しみや故障などは、
自然に起るのでありません。
みんなと一緒のことをしなくなった奴を、
みんなで壊そうとするから。起こります。
統合失調症の人は、そう言います。
壊されたと。
老化した年寄りが、
年齢のせいで、自然にそうなったと思うほうが、
間違っています。
自然にそうなったのでなく、
邪魔だから、消されて行くの。
そのことを、年を取る、と言います。
価値って、生殖を制御して、品種改良をしますから、
遺伝子の組み合わせが、制限されるのは、当たり前です。
2の100乗は、30桁の数で、
126穣(じょう)なんとかなんとか…らしいの。
遺伝子の組み合わせの数って、
何か一つの素質を制限しただけで、物凄く減りますから、
2の100乗ぐらいの成り行きを制限するって、
1世代で十分かも知れません。
犬の品種改良は、数世代で、
狼みたいな奴から、チワワやブルドッグみたいなのを、
作り出しました。
人間の品種改良なんか、ちょろいもんです。
伝統的な手口だけでも、チワワみたいな人間を、
わずか数世代で、作り出せます。
遺伝子の組み合わせの、膨大な数から、
偶然に人間が生まれるのは、
40億年でも、あやふやですけれど、
生物と言われる素質が、
みんなと一緒にくっつく本能でしたら、
40億年は、長すぎるほど、あほであったかも知れません。
人為的に遺伝子を取捨選択すれば、
単細胞のばい菌を品種改良して、人間を作り出すのに、
1万年もあれば、十二分でしょう。
自然のあるがままに、論理が成り立つのでありません。
人間の文化の一つですから、合理的であろうとすれば、
人間の判断や行動を、制約します。
論理は、具体的な文化と言われる癖や習慣の一つなの。
みんなの文化ですから、因習と言っても、構いません。
変更できなくなれば、確実であると、思われるだけです。
人間の判断は、理不尽で不合理です。
判断の意図と、異なる論理を抽出するのは、
あほかも知れませんが、
合理主義の看板を掲げる人は、賢いと、評価します。
特殊浴場のネオンサインと、さほど違いません。
嫌(いや)なやつを、やっつけたいから、
法律を作ったのに、
正義や合理性を、謳(うた)われて、
賢いと褒められれば、悪い気持ちでありません。
変(へん)な気持ちです。
これこれならば、これこれであると、
定義されたことだけが、合理的です。
論理って、トートロジーなの。
赤い花は赤いと、言います。
同じことを、蜿蜒(えんえん)と言い替えますから、
科学技術みたいに、切りがありません。
溝を掘れば、地球の裏側まで、
延延と、水が流れるようなものです。
当たり前ですけれど、
道頓堀プールのように、溝の中で泳ぐのが、
目的でありません。
あんなことを言っていたから、日本は潰れたのに。
慎太郎や不沈空母や通産官僚や電器屋などの、
浮かれた気持ちって、泡(あわ)を作る装置でした。
論理を駆使できるから、賢いと、
自惚(うぬぼ)れたいのなら、
溝を掘る土方(どかた)になれば、良い。
論理って、エステティックと同じように、
価値の一つです。
科学技術は、美容のようなものなの。
美容の価値は、見てくれの通リですから、
火を見るよりも、明らかです。
論理も、そう。
目で見て、手で触って、耳で聞く通リに、
価値が現れます。
科学技術の成果が、疑いようのない事実に見えます。
美容や科学技術は、価値の通リに、認識されます。
何を共通点にして、
これとあれを、同じとするかって、価値です。
何を基準にして、これとあれを、違うとするかと、
言っても構いません。
その基準の有無により、
一つのものを、二つに分類します。
認識や判断の分類の仕方を、弁証法と言います。
流行の価値を争い、権力を得る手順です。
殺し合いの、作法や儀式のようなものですが、
進化の系統樹に、表われて来る意味です。
行き止まりになり、絶滅する種(しゅ)が、
たくさんあります。
美容や科学技術は、権力闘争なの。
嫌(いや)な奴のお肉を食べて、
お腹が一杯になると、うっとりとして、眠たくなります。
眠っている間に、殺されたりね。
脳の中の、
神経や化学物質の、繋がり方やくっつき方って、
進化の系統樹や、
価値を争う権力の、離合集散や合従連衡のように、
行き止まりの、絶滅する判断かも知れません。
苦しんで、精神の病気と言われる判断かも知れません。
今日は寒いって、だれでも正しいと思います。
昨日も寒かったし、明日も寒く、今日は暖かいのかも知れません。
自分だけが寒く、他人は暖かいと思っているかも知れません。
同じ場所や服装でなければ、寒さや暖かさが違うのは、
当たり前なのに。
今日は寒いって、
どうして無条件に、人は絶対に間違いないと、信じるのかしら。
経験的な判断と、論理的な判断とが、識別されません。
論理は、これこれならば、これこれであると、定義します。
表現された中身が、定義の内容です。
経験的な判断が、何を定義したかを、知る方法って、ありません。
物理化学のように、
やっぱり定義をしなければ、数式に乗りませんけれど、
日常的な判断の、ほぼ全部は、みんなと共通に定義されていません。
統合失調症の人の、妄想や幻覚のように、
自分だけの事実と、同じです。
本人だけでなく、誰も知りようがないのに、
どうして、これこれならば、これこれであるって、
警察官や裁判官や学者さんなどは、
信じて、推理して、議論して、判断するのかしら。
世間一般の人は、これこれならば、これこれであるって、言います。
みんな、支離滅裂なのに、平気で主張します。
どれだけ、頭が悪いのかって、疑うまでもありません。
数学の初歩や、中学生の国語などの、試験をすれば、
満点を取る人だけでなく、
半分ぐらいしか、正解のできない人が、一杯います。
中学校の数学で、半分しか正解できなければ、
おそらく、事実の原因や結果を、合理的に判断できません。
中学校の国語の長文読解問題を、半分しか正解できなければ、
おそらく、新聞記事を読んでも、筋書きを理解できません。
マグロの大学の学生さんも、
もしかしたら、それくらいかも知れません。
論理が通じませんから、
裁判になれば、冤罪ばかりになっても、不思議でありません。
マグロの大学の学生さんだけでなく、
一流大学出身の法律家の裁判官も、今日は寒いと、確信します。
なんのために、裁判では、論理的な言い回しが、使われるのかしら。
あれは、数学や国語の試験で、満点を取れない人たちを、
ちょろまかす方法のような気がします。
社会の底辺の人まで、その真似(まね)をしていますから、
滑稽です。
インターネットのブログを読めば、
みんな、こうなれば、こうなるって、書いています。
全然論理的でないのに、なんとかに刃物って、背筋がぞっとします。
わたしは、お台所に立ちますから、包丁は毎日なのに、
自分の背筋は、ぞっとしませんから、現金なものです。
精神科医の仕事って、ちょろまかすのが精一杯ですから、
悪いやつもいたもんだと思いながら、お肉を切ります。
論理能力って、ほとんど生まれつきですから、
いくら訓練をしても、わからない人は、わかりません。
わかる人は、練習をしなくても、見た瞬間に、わかります。
ルービックキューブと同じで、
能力が高くても、人を騙すことにしか、役に立ちません。
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