栽培している人から、名前を尋ねられました。
買った時の名札は、イワタバコ。
嘘こけ。こんなイワタバコは、ない。
見た感じで、イワタバコ科のキリタ属と思いますが、
栽培している人が知らないのに、わたしが知っているわけがない。
イワタバコ科って、たくさんの属や種(しゅ)があり、
花が奇麗ですが、日本には、ほとんど自生していません。
セントポーリアやグロキシニアみたいなやつですが、
熱帯や亜熱帯の植物です。
日本では、温室の蘭や、山野草の好きな人が、栽培しています。
キリタ属は、日本人好みと、思います。
写真の花は、
キリタ・フィンブリセパラ Chirita fimbrisepala に、似ています。
*** ***
性転換は、異性の見てくれや心に、成りたいだけでないかと、
疑う人もいます。
身体や精神は、病気や障害でない、という意味です。
健常なので、体に、致命的な弊害がなければ、
生殖機能や、他の体の機能を、破壊しても、
成りたい自分になるのは、進歩的な生き方でないかと、言います。
現在のように、
GID(性同一性障害)を、精神の病気の一種とするのは、
古いそうです。
GIDの人の、言葉や行動は、当人の履歴や、
現在の知能検査の成績や、知識や経験などと比べて、
著しく幼稚です。
とりわけ、いわゆる心の性別の表現には、知的障害の嫌疑が掛かり、
一般の人の印象や、GIDの治癒した人たちの述懐では、
10才未満の知能です。
不釣合いに幼稚であるって、あほの、なり掛けかも知れません。
いわゆる「まだらぼけ」ってやつに、近いのですが、
脳血管障害は、発見されません。
GIDには、お医者さんや、東京大学の出身者や、法曹や、
一流企業のエリート社員なども、たくさんいます。
その人たちが、心の性別と言われる理屈を、作ってくれますから、
他の人たちは、ステレオタイプのように、
適当に、真似(まね)をしておけば、間(ま)に合います。
楽賃なの。
指導者の考えが、ケツっぺたの人たちよりも、あほなのに、
みんなが靡(なび)いて行きますから、
オウムやマスコミや政治や学校教育などの、流行文化に、
そっくりです。
今で言うGID(性同一性障害)の人たちのグループと、
昔に、交際をしていた人たちの中に、
三島由紀夫という小説家がいました。
ノーベル文学賞候補と言われていたのに、
切腹をしました。
今でも、GIDの人たちと、性的な交際をしている人の、
約半分の人は、GIDの傾向があります。
三島氏も、顕著でした。
強(し)いて、男っぽい態度を演じていましたが、
女っぽい趣味や考え方や性格を、
ご自身も、認めていました。
当人の分析では、
幼少時に、女の子のように育てられたので、
変更できなくなりました。
生まれつきで、ありません。
女の子のように育てられた、と言うのは、
当時のMtF(male to female 男→女)の、
流行の言い草でした。
三島さんのお父さんの言うには、
幼児の頃から、みんなと一緒のことをしないで、
夢現(ゆめうつつ)のように、
ふらふらと離れて行く言動が、目立ちました。
生まれつきらしいの。
切腹した時の演説や、バルコニーから撒いたビラが、
残っています。
まるで、小学五年生の作文のようですから、
ノーベル賞候補としては、変(へん)な作風です。
たくさんの他人のスローガンを、繋ぎ合せて、
自分の文章を作ります。
新聞記事やテレビニュースや、学校の教科書や、
学力試験や資格試験などの、問題と正答のようです。
思春期未満の、健常な子供の心と、同じですから、
みんなと一緒のことをしなかった幼児期が、
とても、気になります。
東京大学を卒業して、大蔵省に勤めましたから、
子供っぽい心は、当たり前ですが、
クーデターを訴えて、失敗をすれば、
自殺をするつもりの、計画でしたから、
決行前に、あほになるのも、やむを得ません。
幼児期に戻ったようなものです。
たくさんの精神科のお医者さんが、
彼の知能は、低くない、と言います。
統合失調症も、知能は、低くならないそうですので、
わたしは、怒られてばっかりです。
統合失調症は、人格の病気であり、
知能の病気でないそうなの。
知能検査をしても、低くなく、
発症しても、下がらないからと、言います。
そんなの、誰かが、勝手に問題を作り、
自分たちで、知能検査と名付けて、
うっとりしているだけなのに…
わたしは、三島さんと会った時に、
統合失調症の成りかけかも知れないと、思いました。
知能が、もの凄く低かったから。
統合失調症は、
認知障害の一種として、説明することも出来ます。
知能の下がる病気なの。
ひょっとしたら、
生まれつきに、低かったのかも知れませんが、
生まれた時を、見ていないから、厄介です。
三島さんは、
自分の誕生の瞬間を、記憶している、と言っていました。
知能が低くても、東京大学の医学部に、入学できます。
もしかしたら、低くなければ、
入学できないのかも知れません。
知能検査や学力検査の、成績が高くても、
知能の低い人は、一杯います。
大脳の機能は、
肝臓やコンピュータと、似たようなものですから、
別に、お肉や機械の、性能が高かろうが、低かろうが、
ちゃんと、試験問題の答えを出していれば、
東京大学に入学して、お医者さんになれます。
ほかの大学でも、構いませんけれど、
お肉や機械が、賢いわけがないのは、
言うまでもありません。
インドって、カーストの差別がひどいのに、
貧乏な人たちを差別しないで、公平に接していると、
貧乏な人たちに、殺されるかも知れません。
舐められるの。
背中に、目がついているみたいに、用心しなければ、
誰とでも、公平に接するなんて、できません。
インドの神さまの彫像って、
体のあちこちに、目が付いているでしょう?
命が惜しければ、
お付きの者が、低いカーストのやつを、叱り、
怯(おび)えさせて、
無断で近づかないにように、平身低頭させて置くのが、
一番です。
高いカーストの人たちは、
日本の天皇陛下のように、こころ安らかに暮らすのが、
理想なの。
どうして、三島さんの知能は、低かったのかしら。
何を賢いと思い、何をあほと思うかって、
ただの価値にすぎませんから、意見が異なれば、殺し合いをして、
勝敗の帰趨(きすう)を見なければ、仕方ありません。
多数決と似たようなものですから、流行文化なのに、
知能を測って置きながら、流行にかかわらない、と言うように、
流行文化の、変更不能になった中身の一つ一つが、
もはや、流行に反応しないのは、当たり前です。
みんなの事実のように、みんなの精神障害でしたら、
健常と言われますが、
知能検査の成績が高いのは、精神の病気の症状に、似ています。
三島さんは、なりたい心になれる、と言っていましたが、
ほんとは、自分がなりたい心になれるのでなく、
みんなが、その人に相応(ふさわ)しいとして、押し付けた心に、
その人はなります。
みんなの見立てる通リの心に、ならなければ、
たぶん殺されますけれど、
牢屋に入れられたり、精神障害と言われたりするかも知れません。
自分だけ、みんなと違うって、
危険なことぐらいは、誰でも知っています。
自分だけ、みんなに褒められて、
天才や代表や指導者などと、言われると、
自分だけ、犯罪者や気違いや低能などと、言われて、
殺されるかも知れません。
祀(まつ)り上げられて、使い捨てられて、
見せしめにされるって、
フセインやカダフィや、ムソリーニやヒトラーを、
見るまでもなく、
東條英機も、ぶら下げられましたから、
日本人は、よく知っています。
わたしの子供の頃って、進駐軍の気に入られないと、
闇から闇に、葬り去られました。
日本の警察は、第二次世界大戦の後も、
1960年代頃まで、拷問が当たり前でした。
こそ泥も、警察の言う通リに、自供をしないと、
痣(あざ)だらけの、擦(す)り傷だらけの、
ずる剥(む)けの、骨折だらけで、帰ってきました。
弁護士も、だれも警察を糾弾しません。
1960年代に、初めて、
警察から、ケガだらけで出て来るのは、
拷問を受けた証拠であると、
認められるようになりました。
泥を吐かないと、牢屋の食事に、下剤を入れられるって、
当たり前でした。
密室の中の出来事は、証拠がありませんから、
みんなが、諦(あきら)めていました。
今も、警察官の目撃証言は、まるごと信用されますから、
日本の刑事裁判は、有罪ばっかりです。
アメリカ合衆国は、無罪ばっかり。
お医者さんの、嘘やインチキは、密室の出来事なので、
みんなが、諦めています。
韓国の警察は、1990年頃まで、
国民を、闇から闇に葬り去る所でした。
権力の悪口を言うと、すぐに行方不明になりましたが、
密告をされただけでも、同じ目に遭い、
密告をした人も、行方不明になりました。
今も、そうなのかは、よく知りませんが、
中国や北朝鮮は、今も、そうと言われています。
患者さんが、病院の庭に、煙草の吸い殻を捨てて、踏み潰すと、
精神の病気って、言われるかも知れません。
うちは、全館全敷地内、禁煙ですから、吸えば犯罪です。
昔は、総理大臣も、屋外で煙草を吸い、
ポイ捨てにして、靴の裏で、火を消しました。
そのまま、吸い殻を拾いませんでした。
時代や場所や人が変われば、
規則や法律や、文化の具体的な中身が変わるのは、当たり前なのに、
若いお医者さんは、理解できません。
ちょっと前まで、煙草を吸うのは、健康の印(しるし)でした。
今日も元気だ、煙草がうまいって、
緑十字の横に、書いてありました。
そうして、国民を育てたくせに、
変更不能になり、禁煙ができないと、
煙草依存症と言われて、精神の病気の一種です。
専売公社でしたから、国家の犯罪なのに、だれも責任を取りません。
放射能が危険なので、原子力発電を廃止すべきと、主張する人が、
煙草を吸っていると、支離滅裂と言われて、嘲(あざ)けられます。
ただの、人殺しのような犯罪と、
責任能力のない種類の、精神の病気の違いも、
若い子には、わかりません。
精神の病気が、流行の産物であるのは、言うまでもありません。
流行に乗って、変わらなければいけないのに、
知能検査を作った人たちは、
知能は、流行文化の具体的な中身に、かかわらないと、言います。
嘘こけ。
わたしと同い年の、男性の精神科医は、
歯が、真っ茶色で、1日20本以上も、ぷかぷか吸います。
精神衛生に、たいへん良いそうです。
昔は、郊外の行楽地って、ゴミの山が、普通でした。
紅葉のきれいな山には、展望台や見晴らし台があり、
足元の斜面は、ゴミだらけでした。
お弁当やお菓子の、空き箱や空き袋や食べ残しが、
山になり、蝿がたかって、腐っていました。
人間のうんこは、ハンカチで覆われていました。
これが、奥多摩や嵐山だけでなく、
富士山や北アルプスでも、そうでした。
都会の公園も、花や木を見るには、
犬のうんこを、踏まなければ、近づけません。
そんなの、つい最近なのに、
もう、日本人は、忘れました。
お花見の茣蓙(ござ)は、
犬のうんこの上に、敷かなければいけませんでした。
公園の樹木の剪定って、
バキュームカーのホースを抱えるのと、
似たような職業でした。
うんこを踏まなければ、仕事になりません。
オイルショックの後に、経済成長が低下して、
週休2日になりましたので、
行楽地の観光業者が、お掃除をして、奇麗にしました。
そのほうが、儲かるので、タダ働きを、買って出たの。
商売にならなければ、誰もしません。
奇麗になれば、お客さんが増えて、儲かります。
週休2日でなければ、そうは行きませんでした。
いったい、時代や場所や人によっても、
変わらない心があるのかしら。
人間は、宇宙の始まりから、人間でなく、
昔は、猿であったし、ばい菌であったと、
進化論は言います。
精神の病気が、今も昔も、変わらないワケがありません。
知能や人格を、質(しち)に取り、
精神の病気を、正当化するのは、
もの凄く変(へん)なの。
でも、人類は、知能が高いって、言うもんね。
人間の個体に、心があるのなら、人格もあります。
知能や人格は、似たような文学を言っているのに、
統合失調症は、知能の病気である、と言うと、
怒られます。
人格の病気であるそうです。
その精神科医は、性転換医療を始めるかも知れません。
煙草のヤニだらけの精神科医は、
性転換医療をやらないそうです。
老人医療をやっています。
今日も元気だ、煙草がうまいって、
年寄りには、通じるもんね。
GID(性同一性障害)の人たちは、
心の変更不能な性別が、脳味噌に書き込まれているって、
言います。
知能検査をすれば、知能が測れると、思うように、
精神の病気です。
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