イワタバコ科キリタ属 1365 変更不能な心

栽培している人から、名前を尋ねられました。
買った時の名札は、イワタバコ。
 
嘘こけ。こんなイワタバコは、ない。
 
見た感じで、イワタバコ科のキリタ属と思いますが、
栽培している人が知らないのに、わたしが知っているわけがない。
 
イワタバコ科って、たくさんの属や種(しゅ)があり、
花が奇麗ですが、日本には、ほとんど自生していません。
 
セントポーリアやグロキシニアみたいなやつですが、
熱帯や亜熱帯の植物です。 
日本では、温室の蘭や、山野草の好きな人が、栽培しています。
 
キリタ属は、日本人好みと、思います。
 
写真の花は、
キリタ・フィンブリセパラ Chirita fimbrisepala に、似ています。
 
           ***          ***
 
性転換は、異性の見てくれや心に、成りたいだけでないかと、
疑う人もいます。
身体や精神は、病気や障害でない、という意味です。
 
健常なので、体に、致命的な弊害がなければ、
生殖機能や、他の体の機能を、破壊しても、
成りたい自分になるのは、進歩的な生き方でないかと、言います。
 
現在のように、
GID(性同一性障害)を、精神の病気の一種とするのは、
古いそうです。
 
GIDの人の、言葉や行動は、当人の履歴や、
現在の知能検査の成績や、知識や経験などと比べて、
著しく幼稚です。
 
とりわけ、いわゆる心の性別の表現には、知的障害の嫌疑が掛かり、
一般の人の印象や、GIDの治癒した人たちの述懐では、
10才未満の知能です。
 
不釣合いに幼稚であるって、あほの、なり掛けかも知れません。
いわゆる「まだらぼけ」ってやつに、近いのですが、
脳血管障害は、発見されません。
 
GIDには、お医者さんや、東京大学の出身者や、法曹や、
一流企業のエリート社員なども、たくさんいます。
 
その人たちが、心の性別と言われる理屈を、作ってくれますから、
他の人たちは、ステレオタイプのように、
適当に、真似(まね)をしておけば、間(ま)に合います。
 
楽賃なの。
指導者の考えが、ケツっぺたの人たちよりも、あほなのに、
みんなが靡(なび)いて行きますから、
オウムやマスコミや政治や学校教育などの、流行文化に、
そっくりです。
 
     今で言うGID(性同一性障害)の人たちのグループと、
     昔に、交際をしていた人たちの中に、
     三島由紀夫という小説家がいました。
     ノーベル文学賞候補と言われていたのに、
     切腹をしました。
 
     今でも、GIDの人たちと、性的な交際をしている人の、
     約半分の人は、GIDの傾向があります。
     三島氏も、顕著でした。
 
     強(し)いて、男っぽい態度を演じていましたが、
     女っぽい趣味や考え方や性格を、
     ご自身も、認めていました。
 
     当人の分析では、
     幼少時に、女の子のように育てられたので、
     変更できなくなりました。
     生まれつきで、ありません。
 
     女の子のように育てられた、と言うのは、
     当時のMtF(male to female 男→女)の、
     流行の言い草でした。
 
     三島さんのお父さんの言うには、
     幼児の頃から、みんなと一緒のことをしないで、
     夢現(ゆめうつつ)のように、
     ふらふらと離れて行く言動が、目立ちました。
     生まれつきらしいの。
 
     切腹した時の演説や、バルコニーから撒いたビラが、
     残っています。
     まるで、小学五年生の作文のようですから、
     ノーベル賞候補としては、変(へん)な作風です。
 
     たくさんの他人のスローガンを、繋ぎ合せて、
     自分の文章を作ります。
     新聞記事やテレビニュースや、学校の教科書や、
     学力試験や資格試験などの、問題と正答のようです。
 
     思春期未満の、健常な子供の心と、同じですから、
     みんなと一緒のことをしなかった幼児期が、
     とても、気になります。
 
     東京大学を卒業して、大蔵省に勤めましたから、
     子供っぽい心は、当たり前ですが、
     クーデターを訴えて、失敗をすれば、
     自殺をするつもりの、計画でしたから、
     決行前に、あほになるのも、やむを得ません。
 
     幼児期に戻ったようなものです。
 
     たくさんの精神科のお医者さんが、
     彼の知能は、低くない、と言います。
     統合失調症も、知能は、低くならないそうですので、
     わたしは、怒られてばっかりです。
 
     統合失調症は、人格の病気であり、
     知能の病気でないそうなの。
     知能検査をしても、低くなく、
     発症しても、下がらないからと、言います。
 
     そんなの、誰かが、勝手に問題を作り、
     自分たちで、知能検査と名付けて、
     うっとりしているだけなのに…
     
     わたしは、三島さんと会った時に、
     統合失調症の成りかけかも知れないと、思いました。
     知能が、もの凄く低かったから。
 
     統合失調症は、
     認知障害の一種として、説明することも出来ます。
     知能の下がる病気なの。
 
     ひょっとしたら、
     生まれつきに、低かったのかも知れませんが、
     生まれた時を、見ていないから、厄介です。
 
     三島さんは、
     自分の誕生の瞬間を、記憶している、と言っていました。
     
     知能が低くても、東京大学の医学部に、入学できます。
     もしかしたら、低くなければ、
     入学できないのかも知れません。
 
     知能検査や学力検査の、成績が高くても、
     知能の低い人は、一杯います。
 
     大脳の機能は、
     肝臓やコンピュータと、似たようなものですから、
     別に、お肉や機械の、性能が高かろうが、低かろうが、
     ちゃんと、試験問題の答えを出していれば、
     東京大学に入学して、お医者さんになれます。
 
     ほかの大学でも、構いませんけれど、
     お肉や機械が、賢いわけがないのは、
     言うまでもありません。
 
     インドって、カーストの差別がひどいのに、
     貧乏な人たちを差別しないで、公平に接していると、
     貧乏な人たちに、殺されるかも知れません。
     舐められるの。
 
     背中に、目がついているみたいに、用心しなければ、
     誰とでも、公平に接するなんて、できません。
 
     インドの神さまの彫像って、
     体のあちこちに、目が付いているでしょう?
      
     命が惜しければ、
     お付きの者が、低いカーストのやつを、叱り、
     怯(おび)えさせて、
     無断で近づかないにように、平身低頭させて置くのが、
     一番です。
 
     高いカーストの人たちは、
     日本の天皇陛下のように、こころ安らかに暮らすのが、
     理想なの。
 
どうして、三島さんの知能は、低かったのかしら。
 
何を賢いと思い、何をあほと思うかって、
ただの価値にすぎませんから、意見が異なれば、殺し合いをして、
勝敗の帰趨(きすう)を見なければ、仕方ありません。
 
多数決と似たようなものですから、流行文化なのに、
知能を測って置きながら、流行にかかわらない、と言うように、
流行文化の、変更不能になった中身の一つ一つが、
もはや、流行に反応しないのは、当たり前です。
 
みんなの事実のように、みんなの精神障害でしたら、
健常と言われますが、
知能検査の成績が高いのは、精神の病気の症状に、似ています。
 
三島さんは、なりたい心になれる、と言っていましたが、
ほんとは、自分がなりたい心になれるのでなく、
みんなが、その人に相応(ふさわ)しいとして、押し付けた心に、
その人はなります。
 
みんなの見立てる通リの心に、ならなければ、
たぶん殺されますけれど、
牢屋に入れられたり、精神障害と言われたりするかも知れません。
 
     自分だけ、みんなと違うって、
     危険なことぐらいは、誰でも知っています。
 
     自分だけ、みんなに褒められて、
     天才や代表や指導者などと、言われると、
     自分だけ、犯罪者や気違いや低能などと、言われて、
     殺されるかも知れません。
 
     祀(まつ)り上げられて、使い捨てられて、
     見せしめにされるって、
     フセインやカダフィや、ムソリーニやヒトラーを、
     見るまでもなく、
     東條英機も、ぶら下げられましたから、
     日本人は、よく知っています。
 
     わたしの子供の頃って、進駐軍の気に入られないと、
     闇から闇に、葬り去られました。
 
     日本の警察は、第二次世界大戦の後も、
     1960年代頃まで、拷問が当たり前でした。
     こそ泥も、警察の言う通リに、自供をしないと、
     痣(あざ)だらけの、擦(す)り傷だらけの、
     ずる剥(む)けの、骨折だらけで、帰ってきました。
 
     弁護士も、だれも警察を糾弾しません。
     1960年代に、初めて、
     警察から、ケガだらけで出て来るのは、
     拷問を受けた証拠であると、
     認められるようになりました。
 
     泥を吐かないと、牢屋の食事に、下剤を入れられるって、
     当たり前でした。
     密室の中の出来事は、証拠がありませんから、
     みんなが、諦(あきら)めていました。 
 
     今も、警察官の目撃証言は、まるごと信用されますから、
     日本の刑事裁判は、有罪ばっかりです。
     アメリカ合衆国は、無罪ばっかり。
 
     お医者さんの、嘘やインチキは、密室の出来事なので、
     みんなが、諦めています。
 
     韓国の警察は、1990年頃まで、
     国民を、闇から闇に葬り去る所でした。
     権力の悪口を言うと、すぐに行方不明になりましたが、
     密告をされただけでも、同じ目に遭い、
     密告をした人も、行方不明になりました。
 
     今も、そうなのかは、よく知りませんが、
     中国や北朝鮮は、今も、そうと言われています。
 
患者さんが、病院の庭に、煙草の吸い殻を捨てて、踏み潰すと、
精神の病気って、言われるかも知れません。
うちは、全館全敷地内、禁煙ですから、吸えば犯罪です。
 
昔は、総理大臣も、屋外で煙草を吸い、
ポイ捨てにして、靴の裏で、火を消しました。
そのまま、吸い殻を拾いませんでした。
 
時代や場所や人が変われば、
規則や法律や、文化の具体的な中身が変わるのは、当たり前なのに、
若いお医者さんは、理解できません。
 
ちょっと前まで、煙草を吸うのは、健康の印(しるし)でした。
今日も元気だ、煙草がうまいって、
緑十字の横に、書いてありました。
 
そうして、国民を育てたくせに、
変更不能になり、禁煙ができないと、
煙草依存症と言われて、精神の病気の一種です。
 
専売公社でしたから、国家の犯罪なのに、だれも責任を取りません。
     
放射能が危険なので、原子力発電を廃止すべきと、主張する人が、
煙草を吸っていると、支離滅裂と言われて、嘲(あざ)けられます。
 
ただの、人殺しのような犯罪と、
責任能力のない種類の、精神の病気の違いも、
若い子には、わかりません。
精神の病気が、流行の産物であるのは、言うまでもありません。
     
流行に乗って、変わらなければいけないのに、
知能検査を作った人たちは、
知能は、流行文化の具体的な中身に、かかわらないと、言います。
嘘こけ。
 
     わたしと同い年の、男性の精神科医は、
     歯が、真っ茶色で、1日20本以上も、ぷかぷか吸います。
     精神衛生に、たいへん良いそうです。
 
     昔は、郊外の行楽地って、ゴミの山が、普通でした。
     紅葉のきれいな山には、展望台や見晴らし台があり、
     足元の斜面は、ゴミだらけでした。
 
     お弁当やお菓子の、空き箱や空き袋や食べ残しが、
     山になり、蝿がたかって、腐っていました。
     人間のうんこは、ハンカチで覆われていました。
 
     これが、奥多摩や嵐山だけでなく、
     富士山や北アルプスでも、そうでした。
 
     都会の公園も、花や木を見るには、
     犬のうんこを、踏まなければ、近づけません。
     そんなの、つい最近なのに、
     もう、日本人は、忘れました。
 
     お花見の茣蓙(ござ)は、
     犬のうんこの上に、敷かなければいけませんでした。
 
     公園の樹木の剪定って、
     バキュームカーのホースを抱えるのと、
     似たような職業でした。
     うんこを踏まなければ、仕事になりません。
 
     オイルショックの後に、経済成長が低下して、
     週休2日になりましたので、
     行楽地の観光業者が、お掃除をして、奇麗にしました。
     そのほうが、儲かるので、タダ働きを、買って出たの。
     商売にならなければ、誰もしません。
     
     奇麗になれば、お客さんが増えて、儲かります。
     週休2日でなければ、そうは行きませんでした。
 
     いったい、時代や場所や人によっても、
     変わらない心があるのかしら。
     人間は、宇宙の始まりから、人間でなく、
     昔は、猿であったし、ばい菌であったと、
     進化論は言います。
 
     精神の病気が、今も昔も、変わらないワケがありません。
     知能や人格を、質(しち)に取り、
     精神の病気を、正当化するのは、
     もの凄く変(へん)なの。
 
     でも、人類は、知能が高いって、言うもんね。
     人間の個体に、心があるのなら、人格もあります。
 
     知能や人格は、似たような文学を言っているのに、
     統合失調症は、知能の病気である、と言うと、
     怒られます。
     人格の病気であるそうです。
 
     その精神科医は、性転換医療を始めるかも知れません。
 
     煙草のヤニだらけの精神科医は、
     性転換医療をやらないそうです。
     老人医療をやっています。
 
     今日も元気だ、煙草がうまいって、
     年寄りには、通じるもんね。
     
     GID(性同一性障害)の人たちは、
     心の変更不能な性別が、脳味噌に書き込まれているって、
     言います。
 
     知能検査をすれば、知能が測れると、思うように、
     精神の病気です。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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