禾(のぎ)があり、毛の長さが、これくらいなら、
芒(すすき)です。
荻(おぎ)は、禾(のぎ)がなく、
毛の長さは、芒(すすき)の2倍以上あります。
穂に触れると、荻(おぎ)のほうが柔らかいと、わかります。
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江戸時代に、半ば制度化されていた部落差別は、
1960年代の、新左翼による部落解放運動により、
ほぼ無くなりました。
社会の底辺に落ちこぼれて行く精神障害者は、なくなりません。
インドのヒジュラの映画では、お金持ちの息子が出奔して、
旅芸人や露天商や男娼などの、仲間になります。
終日、異性装で暮らして、去勢をします。
社会の最底辺の、ダリットと言われる不可触賎民でありながら、
日本のテキ屋のような組織を持ち、自分たちの祖先の神さまを祀り、
カーストのような身分を自称して、
性転換をする人たちの、宿命的な正当性を主張します。
ヒジュラは、
イスラム教の預言者モハメッドの聖遷と同じ言葉ですが、
語源は、中東よりも、インドの言葉のようで、
わたしは、知りません。
インド・パキスタンでは、性転換の意味としても、使われます。
ダリットは、カーストに属していると、認められない人たちですが、
ヒジュラは、共通の心の祖先神を祀り、
特定の神殿に所属するとして、カーストの一種であるかのように、
主張します。
テキ屋の人たちが、神社仏閣の縁日の露店を仕切り、
中国の神農や、日本の少彦名命(すくなひこなのみこと)などの
神さまを祀るのと、似たようなものです。
社会の底辺のやくざのような人たちや、
精神障害者の吹き溜まりなどと言えば、怒られますが、
日本の、いわゆる被差別部落は、精神障害者の吹き溜まりを、
江戸時代の権力者が、制度化しようとした名残(なごり)でした。
昔の権力者は、
精神障害は遺伝するので、身分を世襲させるのが良いと、
考えました。
そのせいで、部落差別という世襲の差別が残ったのを、
1960年代の新左翼運動が、ぶち壊しました。
今の権力者は、与野党を問わず、
性転換医療により、生殖能力を奪うのが良いと、考えます。
優生医療です。
性転換だけでは、すべての精神障害者を始末できませんが、
性同一性障害のための特例法が成立した当時の法務大臣が、
日頃から、男性の犯罪者に、刑罰として去勢を行なうべしと、
主張していました。
これなら、男性の精神障害者の、半数ぐらいを、
処分できるかも知れませんが、
刑事犯罪者の大部分しか、軽い知的障害者でありませんから、
精神障害でない人の生殖機能も、壊してしまいます。
性転換医療と同じです。
江戸時代に世襲させた部落差別は、1960年代にぶち壊されましたが、
精神障害はなくなりませんので、
次々に、新しく精神障害者が落ちこぼれて、
社会の底辺に吹き溜まります。
性同一性障害は、新しいカーストや部落差別ですが、
欧米や日本の政治家には、あまりよく見えません。
インド・パキスタンのヒジュラの人たちが、
日本のテキ屋のような身分を主張するように、
GIDの人たちは、自分から、被差別部落のような吹き溜まりを作り、
喜こびます。
新しい部落差別のようなものです。
新部落です。
わたしは、生殖機能を殺して、世襲を妨げるよりも、
優生医療をやめて、体の破壊を妨げたほうが良いと、思います。
家庭を持ち、育児を行なうことが、治療になりますが、
すべてのGIDの人が、そうとは限りません。
家庭や育児は、大変な体や心の負担になりますから、
耐えられない人も、少なくありません。
子供がいるのに、GIDになった人は、そうです。
性転換により、一つに病名に纏めるのは、誤解の素になります。
GID(性同一性障害)という分類の仕方は、
やめたほうが良いのですが、
性転換医療は、必ずしも無効でありません。
ごく一部の性分化疾患の人の、ごく一部の症状には、
有効かも知れません。
性同一性障害という分類や病名を残さなくても、
さまざまな種類の病気の、体や心の症状の改善に、
性転換が役立つこともあります。
副作用が大きく、薦められるものでありませんが、
性転換という治療法は、残して置いても、悪くありません。
神棚に祀り上げないほうが、良いでしょう。
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