ニセアカシアの標準的な和名は、針槐(はりえんじゅ)です。
5月に、奇麗な花が咲きますが、
マメ科ですので、根と共生する根粒菌の、
ニトロゲナーゼという酵素(こうそ)が、空気中の窒素ガスを使い、
水に溶けて、細胞によく吸収されるアンモニアを、作ってくれます。
自前の窒素肥料になりますから、荒れ地でも、よく育ちます。
昔は、緑化のために、
ボランティアの手で、盛んに植林されましたが、
今は、外来植物の繁殖を防ぐために、
ポランティアの手で、切り倒されています。
作物は、ほとんどが外来植物ですが、
自然の植物は、日本原産の植物でなければ、いけないのかしら。
日本は、海の中から、つい最近に、島になりました。
どうせ、全部、帰化植物です。
進化は、殺し合いをして、淘汰されますが、
日本の在来種を守ることは、
子供の頃を懐かしむ気持ちでなければ、何の得になるのでしょうか。
天皇陛下は、日本の在来種の保存に、賛成のようです。
さかなクンと親しいから。
ニセアカシアの葉を見上げると、とても奇麗です。
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成型肉の表示を、怠ったホテルが、
マスコミの記者を集めて、謝罪したそうです。
1960~1980年頃に、性転換をした人の中に、
食肉の輸入を、共同の仕事にしていたグループがあり、
輸入割当制の頃でしたので、
神戸の大きなやくざ屋さんに、出入りして、
被差別部落の人たちの枠(わく)を、分けてもらっていました。
神戸のやくざ屋さんは、
日本全国の港湾労働者を仕切っていましたが、
今は、在日韓国朝鮮の人たちがほとんどと、言われています。
昔は、被差別部落出身の人たちでしたから、
夜の歓楽業に、よく似ています。
同和枠(どうわわく)という特別の公共投資を、
被差別部落の人たちのために、集中しましたが、
肝心の被差別部落の人たちは、
誰にも知られないうちに、さっさと転居してしまいました。
あとに残った近代的なマンションに
在日韓国朝鮮の人たちが、たくさん暮らしました。
日本中を騒がせた第二次世界大戦後の歴史が、よく現れています。
財閥解体や農地改革は、アメリカ合衆国の政策でしたが、
部落差別撤廃は、日本の新左翼運動でした。
神戸のやくざ屋さんと争っていた関東のやくざ屋さんたちを、
船舶協会の親分が仕切っていました。
わたしの生まれた実家は、造船もやっていましたので、
神戸と船舶協会の、両方の親分と、仲良くしなければ、
仕事ができませんでした。
わたしは、子供の頃に、岐阜県神岡町の
鉱夫の人たちを診療していたお祖父さんの病院に、
引き取られました。
後(のち)に、大阪に転居しましたが、
隣近所が在日韓国朝鮮の人ばかりになりましたので、
長くは住めませんでした。
韓国朝鮮の人たちは、二度と日本人の風下に立たない、
という気概でしたので、日本の仕来りを拒否しました。
たくさんの人たちが、犬猫のように殺されましたから、
当然かも知れませんけれど、
韓国朝鮮から見れば、日本は、天国のように楽賃な土地でした。
神岡でも大阪でも、在日韓国朝鮮人を差別する日本人は幼稚で、
周囲が韓国朝鮮人ばかりになると、
わたしも、仲間と見られて、差別虐待されました。
隣近所の韓国朝鮮人からも、差別されましたから、
住んでいられなくなりました。
1950年代の日本人は、
被差別部落や韓国朝鮮の人たちと、付き合ってはいけませんでした。
親しそうな会話を交わしてはいけません。
被差別部落や朝鮮の人を、犬猫のように扱うところを、
周囲の日本人に、見せつけなければ、
部落民や朝鮮人の仲間のように思われて、虐(いじ)められました。
不可触賎民と親しくしてはいけません。
敵の捕虜や、牢屋の中の罪人と、親しくしてはいけないのと、
同じです。
江戸時代には、牢屋の中の犯罪人と、牢屋の番人は、
同じ種類の人たちでした。
警察官や牢屋の番人は、やくざや被差別部落民でしたから、
一般の堅気(かたぎ)の人は、警察官と、親しくしてはいけません。
今でも、警察官と親しいのは、社会の底辺の人たちでしょうか。
明治の頃に、薩摩の貧乏な士族が、警察官になり、
日本全国に赴任しましたが、
地元の十手を握っていたやくざに教えられなければ、
仕事ができませんでした。
江戸時代の警察官の出自を、明治の人は、よく知っていましたから、
家柄を重んじる人が、警察官になることは、ありませんでした。
第二次世界大戦後の自衛官も、
知的障害者を、好んで雇いましたので、
国会で、問題になったことがあります。
1960年代の、部落解放運動の盛んな時代に、
被差別部落の人たちが、犯罪の加害者のやくざであっても、
逮捕されなかったのは、当然です。
部落解放運動は、錦の御旗(みはた)でしたが、
警察官の多くも、被差別部落出身の人たちでした。
生まれながらにして、社会から差別虐待されている人たちは、
頭が良ければ、東京大学を卒業して、警察官僚になりましたが、
頭が悪ければ、やくざの親分や、下っぱの警察官になりましたから、
まだ江戸時代の続きのような雰囲気が、
1960年代頃まで、残っていました。
警察官のような公務員には、部落差別が少なかったそうですが、
第二次世界大戦よりも前は、
警察に逮捕されれば、拷問を受けるのが、当たり前でした。
戦争に負けた後も、
弁護士が、拷問を糾弾することは、ありませんでした。
警察の中の出来事は、職場や隣近所と同じで、
証拠がありませんでした。
新左翼の学生運動からこっちになり、
弁護士が、被告人のケガを証拠として、
拷問を告発するようになりました。
ケガが証拠になる、という裁判の風潮は、
新左翼の運動の成果でした。
牢屋の中の新左翼の学生は、なんとなく、政治犯でしたので、
やくざや泥棒と、違っていました。
普通の刑事犯罪者は、今も、大部分が軽い知的障害ですので、
現場の警察官に似ていましたが、
新左翼の学生は、毛色が違っていました。
お肉を合成したり、
脂肪や味の素やお砂糖を、注入したりって、
1970年頃から、行なわれていました。
手間がかかりますけれど、
安物の固いお肉が、柔らかく美味(おい)しくなり、
高いお値段で、売れました。
手間と注入物質と注入機械の料金が、加算されますから、
値段が上がるのは、当たり前ですけれど、
それがいけないと、言います、今頃になって。
オーストラリアのお肉よりも、
加工した後のお肉のほうが、値段も高いのに、
元のお肉を、無加工の日本産と、偽りました。
霜降りでなければ、加工していない日本産のお肉は、
塊(かたまり)のままですと、固くて食べられないのに、
オーストラリア産は、そうであっても、
日本産は、柔らかくて美味しいと、信じられています。
事実無根ですが、日本の食肉業者が、
1970年代に、そういうふうに宣伝しました。
日本人は、お肉の塊(かたまり)を、
ステーキのように、食べたりしませんでした。
すき焼きに入れるのは、薄切りですから、
硬いお肉でも、美味しく食べられるのは、当たり前です。
世間の人は、あほが圧倒的に多いので、
それを、理解できません。
日本のお肉は、霜降りのように肥育されているので、
柔らかいけれど、
アメリカ合衆国やオーストラリアのお肉は、
靴の皮みたいに硬いと、教えられましたので、
その通リに信じています。
あほの一つ覚えってやつですけれど、
東京大学の入学試験では、それが試されます。
あほでしたら、合格して、
お医者さんや官僚になりますから、社会の底辺は、恐い。
食肉の輸入割当制は、1958年に始まり、
制度の中身の変遷を経て、1991年に、自由化されました。
アメリカ合衆国に、自由化を強要されたのと、
バブルが弾(はじ)けたのが、同じです。
部落解放運動が、錦の御旗(みはた)でなくなり、
被差別部落のやくざが、逮捕されるようになりました。
もっとも、この頃には、被差別部落のやくざの組も、
すっかり、在日韓国朝鮮人の組になっていましたが…
被差別部落は、
昔の精神障害者の、吹き溜まりのようなものです。
在日韓国朝鮮人は、韓国朝鮮で食べて行けなかったので、
日本に出稼ぎに来て、居着いてしまった人たちです。
昔は、朝鮮半島も、大日本帝国でしたから、当然です。
離島の済州島の人たちは、貧乏でしたので、
韓国人から、差別されていました。
共産主義者が多く、
朝鮮戦争では、北側の勢力と目されて、
南側の韓国人から、袋叩きに遭いました。
難民のように、日本に逃げましたが、
昔の朝鮮半島の韓国朝鮮人は、
1952年のサンフランシスコ平和条約まで、
日本国籍でしたから、
第二次世界大戦後に、新しく日本国内で暮らしたい人を、
進駐軍は拒みませんでした。
第二次世界大戦から朝鮮戦争に至る時代の、
韓国朝鮮人を、
本人の希望により、進駐軍は、全員を受け入れました。
法律は、そうでありませんが、
戦争に負けた後の、日本を統治していたのは、
進駐軍でしたから、仕方ありません。
日本に密入国してから、その足で、日本の役所に行き、
終戦前や終戦後に、日本に来たけれど、
日本に家族がいるので、韓国に帰りたくない、と言えば、
在留が許可されますので、
毎年更新していれば、合法的でした。
誰も、事実を調べませんから、嘘でも構いません。
架空の在日韓国朝鮮人の名前と住所を書き、
近親者である、としておけば、結構です。
進駐軍の政策ですから、
敗戦国の日本の役所は、何も言いません。
戦争に負けましたから、進駐軍に楯を突けば、
連行されて殺されると、日本人は思っていました。
昔の日本が、そうでした。
警察に捕まれば、拷問を受けて殺されても、
仕方ありません。
死体が返って来れば、幸いです。
たいていは、死体もありません。
警察に問い合わせても、知らん、と言われます。
逮捕をしたくせに、知らんのかと、家族が糾弾すれば、
家族も行方不明になります。
第二次世界大戦に負けるまで、
日本の警察はそうでしたから、
進駐軍も、そうに決まっていると、
日本人は思っていました。
満州の日本兵や民間人は、シベリアに連行されて、
ソ連に、35万人も殺されましたから、
アメリカ合衆国も、そうに決まっています。
韓国は、1970年代でも、まだ、警察に捕まると、
闇から闇に葬り去られて、行方不明になる時代でした。
北朝鮮は、今も、そうかも知れません。
中国も、つい最近まで、そうでした。
進駐軍が、韓国朝鮮人の自己申告を、
疑わない方針でしたから、日本の役所も、従順です。
朝鮮戦争の難民を、
どこかが受け入れなければ、仕方ありません。
アメリカ合衆国は、戦争の当事者でしたから、
日本に収容すると、決めました。
難民収容所を作るのでなく、
日本全土を、朝鮮戦争の難民収容所としました。
どうせ、日本全土は、
第二次世界大戦の捕虜収容所でしたから、合理的です。
民間の漁船に乗り、
密入国をしようとして、捕まった人たちは、
強制送還をされましたから、
進駐軍の政策が、よくわかります。
事実は、朝鮮戦争の難民を、黙認しましたが、
建前(たてまえ)は、
ちゃんと密入国者を捕まえて、強制送還をします。
こうして、日本の世論を、慰撫しましたから、
在日韓国朝鮮人の密入国と、天皇制の存在は、
よく似ています。
毎年、在留許可を更新していましたが、
1991年に、特別永住者として、
更新の必要がなくなりました。
韓国朝鮮でも、中国や日本でも、
貧乏人を差別するのは、精神障害者を差別するのと、同じです。
差別が世襲されると、日本のように、部落差別と言われます。
韓国朝鮮や中国では、殺されましたから、部落差別はありません。
日本は、部落解放運動のせいで、部落差別がなくなりました。
世界の歴史の中でも、画期的な成果でした。
日本人らしさが、よく現れていますが、
在日韓国朝鮮の人たちの多い大阪や京都や神戸や和歌山などでは、
GID(性同一性障害)が多く、差別虐待もひどいと、
言われています。
差別虐待のひどいところに、犯罪や精神障害が多いのは、
社会の底辺の特徴です。
GID(性同一性障害)も、
脂肪やお砂糖や味の素などを注入しなければ、美味しくありません。
加工肉や成型肉のように、GIDの人たちは、異性の心と言います。
黄綬褒章を受けるはずの料理長が、受賞を辞退しました。
お騒がせをしたからと、言いますが、
勲章や褒章って、天皇制の一つですから、
授与を内定する気持ちが、部落差別や在日韓国朝鮮人差別や、
精神障害者に対する差別虐待などを、勧奨する気持ちと、
同じかも知れません。
性転換をすると、知能が大幅に下がりますから、
もとから低い人は、
性転換が、狭い意味での、いわゆる精神病の引き金になります。
いろいろな場合を想像できなくなり、融通が効かなくなり、
判断が無条件になりますから、
自分だけの定義により、物事を独断します。
いくら複雑にしても、人間の判断は、定義に違いないので、
知能は測れませんが、戦争や死刑のように、
みんなの定義でしたら、人殺しも正しいとされて、
知能が高いと、言われます。
非差別部落や在日韓国朝鮮人や精神障害者などを差別するのは、
戦争や死刑を行なう気持ちと、同じですが、
日本の天皇制を支える気持ちと、さほど違いません。
精神障害者を差別虐待するのは、
やくざや被差別部落や在日の人たちに多く、
社会の底辺の人たちの、共食いの心意気です。
天皇制は、共食いをする人たちの、底辺の心に、支えられています。
ものの哀れなの。
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