公園に、フェイジョアの実が、成っていました。
地面に落ちた実を、収穫するぐらいですから、
木に成っているのを、もぎ取っても、美味しくないのに…
キウイや、ポポーや、フェイジョアなどの、
ニュージーランド産の果物(くだもの)は、
実が大きくなければ、柿や蜜柑や林檎やバナナに、負けます。
キウイだけが、日本に定着しましたが、
オッパイやちんちんが、小さければ、日本人も絶滅します。
エステティックや、物理化学や、GID(性同一性障害)などは、
そう言います。
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潰(つぶ)れたソ連の科学主義みたいに、刺激と反射は、
コンピュータの時代に、入力と出力と、言われましたが、
昔の欧米の、ロマンティックな時代には、
認識や行動と、言われました。
大脳は、脳神経や脳幹や小脳などから入ってくる情報を、整理して、
実行される情報や、記憶されるだけの情報などに、編集します。
脳みそって、個体の運動や変化の、規則性や恒常性を、
維持する仕組みですけれど、
神経を使わない免疫も、同じ目的です。
違いを識別して、異物をやっつけるのは、
分類の仕方の、癖や習慣を、維持するだけですから、
あまり賢くありません。
癖や習慣になり、融通の効かなくなることを、学習と言いますから、
あほです。
新しくあほになると、分類の仕方が変わりますから、
昔は、異物として破壊されたのに、
今は、身内として大切にされたりします。
脳みそでは、神経のエステティックな見てくれが変化すると、
個体の運動や変化の、規則性が変わりますから、
情報は、エステティックな形に、記憶されます。
脳みそや物理化学は、GID(性同一性障害)と同じくらいに、
エステティックなあほですけれど、
白血球の学習機能も、神経細胞と、どんぐりの背比べですから、
お釈迦さんは、どこから、賢いという言葉を、
掘り出して来たのかしら。
昔の、夏目漱石という極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)の小説家は、
運慶が、木の中に埋まっている仁王を、彫り出しているって、
夢十夜に書いていました。
プラトンの想起説のようなものです。
大脳の神経って、入ってくる情報に、条件を付けて、
これこれならば、これこれであるって、分類しますから、
判断と同じです。
情報と情報が、互いの条件になりますから、
条件を仕訳(しわけ)している、と言っても、構いません。
切りがないので、面倒臭いのですが、
ここ40億年来の、脳のハードウェアになっていますから、
自動機械みたいなものです。
あほと同じで、何の心配も要りません。
脳や脊髄には、たくさんの仕訳の方法がありますが、
大脳の仕訳は、生まれた後(のち)に、変更できますので、
他の中枢神経の部分に比べて、賢いと、言われます。
変形菌みたいなやつですけれど、
変更不能の中身が変わるだけなのに、
どうして、変更可能と言われるのかしら。
変更不能の中身が変わるのと、融通が効くのとは、違うのに…
神経って、こっちとあっちを、繋いでいますから、
そのことが、仕訳の一つの方法です。
大脳の神経細胞は、樹状突起や軸索などといわれる生産物が、
スケベな手や鼻みたいに、伸びて行きます。
神経の端っこは、大脳の上っ皮の皮質(ひしつ)や、
大脳の奥のほうの、海馬や線条体や淡蒼球などと言われる神経核に、
集まっています。
大脳皮質は、6階建ての層構造ですから、
神経の端っこの集まりが、いくつもの場所に分かれていることが、
また、仕訳の方法の一つなの。
神経の種類により、
特定の化学物質に反応したり、しなかったりしますから、
これも、仕訳になります。
判断の条件の仕訳(しわけ)って、情報の分類と同じです。
何よりも、神経の端っこの集まる所では、
神経と神経が、繋がっているのでなく、
犬がおしっこをすると、よその犬が臭(にお)いを嗅(か)いで、
喜んだり、怒ったりするみたいに、
化学物質を垂れ流すと、ほかの神経が、勝手に興奮して、
樹状突起を伸ばします。
化学物質を使い、情報を伝えますから、
よその神経が、横合いから、手や鼻を伸ばして、
情報を嗅ぎ取ります。
その神経が、今までと、違う所に繋がっていれば、
その情報の仕訳も、新しくなり、判断が変わるかも知れません。
実際は、多数決で行きますから、
一本だけ、変人の神経細胞がいると、体(てい)よく、殺されます。
アポトーシスってやつ。
細胞や個体の、自死や自殺だけでなく、
体の病気により、個体が幸せに死ぬのも、似たようなものですが…
神経って、使われれば使われるほど、
神経伝達物質と言われる化学物質が、放出されますから、
別の神経が、餌に群がるように、一杯集まって来て、混雑します。
手や鼻が伸びて、ますます、スケベになりますから、
神経が成長すると、言われます。
雪印の結晶が、成長するようなものかしら。
大脳皮質の、それぞれの場所や、神経核などの、
神経の端っこの集まる所では、
判断の条件が、互いにくっつけられます。
神経が使われると、
たくさんの神経が、右へ倣(なら)えをするみたいに、
同じような判断が、太くなるだけでなく、
似た者同士が、また細かく条件を付けられて、分類されます。
これこれならば、これこれであるって、
判断は、小分けに条件を付けられて、分類整理をされますから、
大脳皮質や神経核などでは、
一つの情報に、他の情報が、条件として、互いにくっつけられます。
株の持ち合いみたいなものなの。
大脳の情報は、記憶や、感覚器官から入って来る情報も含めて、
どうせ、生まれつきでなければ、
脳神経や脳幹などの、他の体の部分から、
入って来るしかありません。
条件を付けて、細かく判断をするのは、
右顧左眄(うこさべん)をして、他の情報を一杯くっつけて
栄養の偏りのない餌を、調理しているようなものです。
他の特定の情報や、情報と情報のくっついた半製品みたいなやつが、
大脳皮質や神経核などの、それぞれの場所に、たむろしています。
ハッテン場やディスコや、
GID(性同一性障害)の自助組織みたいなものです。
わたしは、櫟(くぬぎ)の倒木にくっついた変形菌を見て、
わたしや、そのへんの人間の脳みそと同じように、
ものの哀れを感じます。
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