三浦市の三崎漁港は、特定第三種の大きな漁港ですが、
港のすぐ裏は、漁師町に特有の、細い路地に面しています。
自動車のない時代の、町の作りを、そのまま変更しません。
漁師は、江戸時代と、ほとんど変わらない社会に、暮らしています。
明治以降の労働運動と、第二次世界大戦後の農地改革の恩恵を、
まったく蒙(こうむ)りませんでした。
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知ったことや、覚えたことを、ころっと忘れるって、よくあります。
跡形(あとかた)がなければ、思い出そうともしません。
そのくせに、後(あと)になり、他人から指摘されると、
まざまざと、思い出したりしますから、くそったれです。
知っているはずがなく、覚えているはずもないのに、
はっきりと記憶しているかのように、
如実(じょじつ)に語る人もいます。
本人は、嘘を自覚していません。
事実を、他人に教えてあげるような、誠実な気持ちですが、
たいていは、他人の非を指摘して、自分の保身を図るための、
お節介な捏(でっ)ち上げです。
後(のち)に、真っ赤な嘘であったとわかりますから、
詐欺と同じです。
ある患者さんは、健康保険の被保険者証を、
看護師さんから返して貰っていないと、言います。
看護師さんは、確かに返したと、記憶しています。
患者さんは、一旦、返してもらったが、
10秒ぐらい後(のち)に、再び必要になった、と言われて、
看護師さんに取り上げられたと、主張します。
看護師さんは、その記憶がありませんので、首を傾げます。
念のために、看護師さんが、
患者さんの奥さんに、電話を掛けて、尋ねると、
ご夫婦しか知らない箪笥の中の鞄(かばん)に、
ちゃんと、保険証が入っていると、教えられました。
前後関係からして、患者さん自身が、保険証を持ち帰り、
いつもの場所に、保管したのですが、
患者さんは、いつもの場所を思い出すことができずに、
保険証がないのは、看護師さんに返してもらっていないからと、
思い込んだようです。
一旦、返してもらったのに、すぐにまた取り上げられた、
という患者さんの記憶は、何なのかしら。
看護師さんが、保険証を返したことを、確かに覚えていたので、
患者さんが、瞬時に捏造した創作のようですが、
患者さん自身は、間違いのない事実であると、確信しています。
看護師さんが、記憶の確かさを、主張すればするほど、
患者さんの記憶にも、
絶対に間違いのない事実が、新しく追加されます。
看護師さんが、ひったくるように保険証を取り上げたので、
ビリっと、紙の破れる音が聞こえたと、言います。
自宅の箪笥の中から、保険証が出て来たのは、
看護師さんが、こそっと忍び込んで、保険証を返したそうです。
ここまで来ると、
はっきりと、妄想の類の、精神症状とわかりますが、
念のために、電話を掛けて、奥さんに尋ねてみなければ、
病的とは、知られませんでした。
看護師さんに返してもらっていない、と言わずに、
誰かに盗られたと、訴える人もいますから、
被害妄想の成り立ちが、わかりそうな気もします。
いったん返してもらった保険証を、再び取り上げられたのと、
誰かに盗られたのとは、
症状の中身が違うけれど、似たような病気であると、わかります。
ただの、記憶をころっと忘れたとか、どうしても思い出せないとか、
記憶の中身が違っていたとかでなく、
作話や被害妄想は、統合失調症や認知障害などの、
普通の精神症状の中に、よく現れます。
GID(性同一性障害)にも多く、昔は、ヒステリーと言われました。
今は、解離性障害と言われるかも知れません。
自分の具合が悪くなると、瞬時に、嘘の話を作りますが、
想像では、嘘と事実とを、識別できませんから、
嘘の自覚がなく、間違いのない事実であると、記憶されます。
人間は、価値観による認識を、避けられませんから、
嘘と事実って、いずれも想像の産物に違いありませんけれど、
それだからと言って、真偽不明としたのでは、
万事休すの、行き詰まりになってしまいます。
みんなが文化的に認めた価値観による認識を、
事実と言われる基準にして、
自分勝手な価値観による認識を、基準に一致しないからとして、
排除したほうが、世の中は、上手(うま)く行きます。
事実と言われる公共の尺度を作るのが、物理化学の役割なの。
けっして、事実を加工して、便利な物事(ものごと)を作ったり、
苦しい物事(ものごと)を避けたりするような、
実用的な技術が、目的でありません。
嘘と事実は、
少数の個人的な価値と、多数の文化的な価値の違いですから、
公共性の問題です。
いずれも創作ですが、
公共の文化によって、人為的に選択された価値は、
生れた後の経験によって作られた神経細胞の繋がり方に
反映されるだけでなく、
生まれつきの脳の神経細胞の、変更不能な繋がり方の表現形を
選択します。
物理化学は、
定義により、流行文化を、公共の事実として、固定しますけれど、
流行文化は、人為的に、脳の神経細胞の表現形を評価します。
豚や馬の、種付けや品種改良に、似ています。
気持ちを入れ替えて、融通を効かせれば、
簡単に、オナニーの想像を、変更できるように、
認識される事実が、簡単に変わることを、自由自在に経験する人は、
エリートと言われる少数派の支配階級になる可能性が、
高いかも知れません。
経験しない人は、社会の底辺で、こき使われる運命の、
多数派の人たちである、と言えば、怒られます。
それほど、単純でありません。
もしかしたら、
統合失調症やGIDなどの、精神の病気の妄想や幻覚は、
生まれつきでなく、甘やかされて育てられたせいで、
トレーニングを怠っているだけかも知れません。
だんだんと老化するように、融通が効かなくなれば、
若いのに、100才以上の老人のような認知能力になる人もいます。
統合失調症やGIDって、そういう病気に見えます。
若く、体の健常な人でも、ベッドに寝たままですと、
立ち上がれなくなります。
いつも、直立して、二足歩行をしていなければ、
寝たきりになるのは、当たり前です。
生活習慣病ってやつね。
我儘に見えますけれど、
融通が効かないのは、トレーニングが苦しいからです。
生まれつきの生活習慣でしたら、
何が苦しいかを、自覚できないのが、普通です。
後(のち)に統合失調症になる人は、
赤ちゃんの頃から、みんなと異なる反射的な動作が多く、
後にGID(性同一性障害)になる人は、
融通の効かなくなるのが、幼児期以降かも知れません。
万華鏡を回すと、模様が変わるように、
価値観を変えると、認識される事実の変わることを、
幼児の頃に、経験して置いたほうが、良いのですが…
みんなと一緒の事実を、認識できない人を、
殺したり、精神病院にぶち込んだりするのは、効率が悪く、
性転換医療を行なう医師が、患者さんの生殖機能を、破壊するのに、
似ています。
45階建ての高層ビルの、29階の自宅まで、
エレベーターで昇る現実は、
そのように認識するための、みんなの文化的なプログラムを、
みんなと同じように使ったからです。
そのプログラムは、ソフトウェアかも知れませんけれど、
脳の神経細胞の繋がり方というハードウェアかも知れません。
生まれつきに、みんなと同じソフトウェアを使うだけで、
みんなと同じ事実を、認識できるハードウェアでしたら、
大変便利ですけれど、文化は、流行の産物です。
そうでないハードウェアを、工夫して使えば、
みんなの事実だけでなく、
さまざまに異なる自分だけの、変な事実を認識できます。
自動機械のように、みんなの事実に合わせるために、
無意識に、いつもの習慣的な工夫を、実行するだけでなく、
意識的に、工夫を変えてみると、
45階のビルや、29階の自宅や、エレベーターの使用などの事実が、
いつもの習慣から、
漫然と、モニター画面に現れる映像であったことが、
よくわかります。
みんなと同じ映像が現れるように、
ソフトウェアのプログラムを、個人的に調節していました。
統合失調症やGID(性同一性障害)などの、
精神の病気と言われる人たちは、
異なるプログラムの使用や工夫を、
経験したことがないのかも知れません。
なんらかの偶然から、異なる映像が現れれば、
たちまち精神症状になります。
脳に作用する薬物を使い、他力本願で行く人もいます。
何度も探検するように経験して、意識的な工夫を習得すれば、
いつでも、モニター画面の映像の中身を、変更できるのに…
ベッドに寝ているだけでなく、直立や二足歩行ができるのは、
いつもトレーニングをしているからです。
トレーニングを怠れば、寝たきりになります。
プログラムを変えれば、チャンネルが変わるようなものですが、
他のチャンネルでは、
番組の中身を、自分で作らなければいけないかも知れません。
特定のチャンネルだけが、
みんなの文化的な価値観と言われる公共放送のような事実を
認識します。
そのように、たくさんのチャンネルを作り、使い分けることを、
トレーニングしなければいけません。
統合失調症やGID(性同一性障害)などの人たちの、
融通が効かないと言われるのは、
チャンネルを使い分けられないからです。
法律って、みんなのための約束事ですから、
自分一人だけでしたら、みんなの法律は、必要ありません。
自分一人の生活の仕来りと、
みんなのための法律とが、一致することは、まずありません。
それと同じように、目で見て、手で触って、耳で聞いて知る事実は、
みんなのための法律のような、
文化的なプログラムを、実行した結果の、認識の中身ですので、
自分一人だけの生活の仕来りのような認識とは、異なります。
精神の病気の人は、その認識の違いが、わかっていません。
この整理能力は、知能検査や学力検査に表れませんけれど、
精神の病気の人と、そうでない人との違いが、よく現れます。
端的には、夢の中身を、整理整頓して、
いつでも、好きな夢を見ることのできる能力です。
オナニーの気持ち良さを、操作する能力に、似ています。
好きな人を想像して、気持よくなるのは、普通ですけれど、
踏み潰されたゴキブリを想像して、気持よくなるのも、簡単です。
2~3回、続ければ、
ゴキブリを見ただけで、なんとなく性的快感になります。
何を想像して、気持よくなっても、構いませんから、
自由自在に気持ち良くなる心と、
みんなに共通の事実を知り、みんなの価値を求める心を、
上手(うま)く使い分けなければいけません。
どちらも、想像の産物ですけれど、
自分一人だけと、みんなと一緒とが、違います。
みんなと一緒でなければ、生物でなくなりますから、死にます。
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