杜仲(とちゅう)は、日本に自生しませんので、栽培されます。
中国の長江流域や、その南のほうが、原産地のようです。
写真は、翼果と言われる果実です。
雄株も、近くに植栽されているのでしょう。
葉を千切ると、白い糸を引きます。
樹液が、天然ゴムとして利用されましたが、
現在では、もっぱら、漢方薬や杜仲茶の原料として、栽培されます。
20mぐらいの大木になるそうです。
なんのために、公園に植えるのか、よくわかりませんが、
ごく普通に見かけますので、
どこかで、苗木が大量生産されています。
放ったらかしにしても、よく育つのかも知れません。
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性転換をする人のほとんどが、ちゃんと、精神の病気に見えます。
頭がイカレているとか、足りないとかって、感じなの。
体の生殖機能や、その他の生理機能に、
病気や障害や、能力の不足のある人も、
GID(性同一性障害)という名前の、
精神の病気の、精神症状の組み合わせを出しますから、
一筋縄(ひとすじなわ)で行きません。
だいたいは、精神の病気の中でも、
脳や体の器質に、原因となる共通の病変の、
発見されない種類の人たちの、共通の症状の特徴が、
よく現れています。
物的証拠のない種類の精神障害ですけれど、
性分化疾患を、物的証拠であると、主張する人もいますので、
共通の物的証拠と、言っておきます。
わたしの若い頃に、
三島由紀夫っていう小説家が、自殺しましたが、
ノーベル文学賞候補として、有名でした。
キチガイの、頭のイカレた奴としても、
よく知られていましたけれど、
ちゃんと、東京大学を卒業して、
大蔵省の役人をやっていましたから、普通の優等生のはずでした。
それでも、キチガイのあほとして、
たくさんの人たちに、笑われていました。
クーデターを呼びかけて、切腹をしましたから、
多くの人たちの、思惑(おもわく)通リに、
頭のおかしい、イカレた結果になりました。
当たり前と言えば、当たり前ですが、
予言が当たったようなものですから、感心しました。
わたしも、三島さんに会った時に、
知的障害かも知れないと、思いました。
たぶん、知能検査の結果も、低くありませんので、
知能や、あほや賢しこさって、測れない、という意味ですけれど、
何を基準に、知的障害と言うのかと、怒られます。
知能検査は、何を基準にしているのかしら。
彼と会ったことのある人の多くが、
キチガイのイカレた人、という印象を持っていたのと、
たいして違いません。
GID(性同一性障害)の人にも、同じことが言えます。
精神の病気の中でも、脳や体の器質に、共通の原因や仕組みの、
物的証拠の得られない種類って、GIDだけでありません。
GIDの人を見ると、10才未満の子供に見えますから、
平均的かも知れませんけれど、1才未満まで行く人もいます。
生活経験を積めば積むほど、幼稚になリますが、
一向に、脳や体の器質に、病変が見つかりません。
そういう種類の、精神の病気の症状って、
癖(くせ)がつきますから、ころころと変わるものでなく、
人それぞれの特徴を、そう簡単に変更できませんけれど、
だんだんと、精神症状が大変になって行く人って、
だんだんと、統合失調症に近づいて行きます。
GIDの人は、
性転換まで行くか、ホルモンだけか、異性装だけかって、
性的違和感の程度が、生まれつきに決まっていると、
聞いたことがありません?
GIDや拒食症やパニック障害や統合失調症なども含めて、
証拠のない種類の、精神の病気って、
どこまで、統合失調症に近づいて行くかが、
生まれつきに決まっているかも知れませんし、
半分くらいしか、決まっていないかも知れません。
半分くらいって、どの人も、
生まれつきに変更不能な素質と、生れてからの生活経験とが、
病気の要因として、半々くらいに混じっている、という意味です。
異性装やホルモンや手術のことだけでなく、
異性とも同性とも、自由に性交渉のできる人と、
精神的な理由から、同性としかできずに、生殖のできない人も、
精神の病気が、どこまで進行するかって、
半分から全部の確率で、生まれつきに決まっているのと、
似たような意味かも知れません。
異性とも同性とも、自由に性交渉のできるのは、健常ですが、
乳幼児の頃に、偏(かたよ)った癖(くせ)がつき、
融通が効かなくなると、
思春期以後に、片方の相手としか、性交渉のできなくなる確率が、
高くなります。
みんなの流行に、とりあえずは従ったほうが、得であるって、
乳幼児の頃に、教えなければいけませんが、
男女の仕分けは、
小学3年生ぐらいになってからのほうが、良いかも知れません。
孔子も、七年にして男女席を同じうせず、食を共にせずと、
礼記(らいき)に書いています。
人それぞれの経験によって、精神症状の種類は違いますけれど、
ピラミッドの底辺から、
だんだんと、てっぺんの統合失調症に、近づいて行きます。
どこまで近づくかが、
生まれつきや、乳幼児の躾(しつ)けなどによって、決まっている、
という意味です。
そういう精神の病気の、生まれつきの変更不能な素質などが、
知能が低いとか、あほとかと、言われるものかも知れません。
障害者として、庇護されれば、
たくさんの経験を積まずに済みますので、症状が悪化しません。
知能検査や学力検査では、測れませんけれど、
三島さんのことを、キチガイのあほのイカレた頭であると、
世間の人たちが思い、実際にその通りの結果になったように、
精神の病気の素質って、透けて見えるのかも知れません。
GIDの人を見ると、そう思います。
10歳未満の知能に見える、と言うと、怒られますけれど、
マッカーサーって人は、日本のことを、12才と言いました。
三島さんも、それくらいでした。
GIDって、生まれつきや、乳幼児の頃の躾けなどの、
変更不能な精神の病気の素質と、
変(へん)な境遇や経験などの、一時的な異常とが、
重なっています。
生まれつきの素質って、
変更不能な種類の、体の能力のようなものです。
必ずしも、三島さんや日本人の、脳味噌の性能は、
低くありませんでした。
人種差別のような、体の素質の違いに、似ていますけれど、
体の内側の器質の、能力の違いなのに、
精神の病気の素質が、透けて見えるように、
あほがわかると、思ってしまう手順を、なかなか理解できません。
三島さんの心が、知的障害に見えるのは、
体の何かの、無理が祟(たた)り、しんどい目をしている、
という意味かも知れません。
彼は、体の能力と賢しこさは、一致しないと、言っていました。
体力が優秀でも、無理をしている人は、しんどいのに、
無理が癖(くせ)になっていれば、しんどさを自覚しませんから、
体の能力の低さを、自覚できません。
生まれつきの人は、癖になっているのが、普通ですけれど、
三島さんって、
小さい頃から病弱で、女の子のように育てられたそうです。
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