今年は、小手毬(こでまり)のよく咲いている姿に、出合いません。
植物って、よく咲く年と、あまり咲かない年とがありますから、
人間に似ています。
このごろの女性は、子供を産みませんから、
何のために生まれてきたのか、よくわかりません。
心の個性のために、生まれてきたそうですけれど、
心って、コンピュータのモニター画面の映像のようなものですから、
何者かが入力したり、ソフトウェアのプログラムのせいであったり、
ハードウェアがそうなっているせいであったりと、思います。
いずれも、コンピュータ自身が作ったものでないのに、
ただのモニター画面の内容を、
コンピュータの心と思うのは、滑稽です。
どうして、心と言われるモニター画面に映った内容を、
個体の中の主人公のように、確信するのかしら。
たぶん、放送局のアナウンサーが、番組を作っているかのように、
テレビの視聴者が思い込むのと、同じです。
総理大臣や天皇陛下が、日本を作っているはずがないのに、
偉(えら)い人と思うのは、変(へん)です。
国税庁のポスターに写っている芸能人が、
税金を徴収するはずがありませんから、
ポスターの芸能人の顔は、ただの識別符号にすぎません。
わたしは中学生の頃に、
「顔や声の良い人が、総理大臣になれば良い」
と言って、先生に怒られました。
鄧小平って人も、後(のち)に、
「白猫でも黒猫でも、鼠を捕る猫が良い猫である」と、言ったのに…
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