日向水木(ひゅうがみずき)も、もう仕舞(しま)いですが、
後(うし)ろの藪椿(やぶつばき)が、
ちょうどいい具合(ぐあい)に、残(のこ)っていましたので、
貼(は)り付(つ)けて置(お)きます。
早春(そんしゅん)の茶室(ちゃしつ)に、
こんな取(と)り合(あ)わせ)で、
茶花(ちゃばな)を活(い)けます。
戦国時代(せんごくじだい)の
武将(ぶしょう)や商人(しょうにん)って、
極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)の遊(あそ)び人(にん)でした。
どうせ、メキシコの麻薬戦争(まやくせんそう)みたいに、
生(い)きたまま、ごしごしと、
首(くび)を切(き)り取(と)られるのですから、
好(す)きなことをしないと、損(そん)です。
千利休(せんのりきゅう)や今井宗久(いまいそうきゅう)も、
平和(へいわ)な商人(しょうにん)でなく、
鉱山(こうざん)を仕切(しき)り、
火薬(かやく)や鉄(てつ)や鉄砲(てっぽう)を
作(つく)っていましたから、
切腹(せっぷく)をさせられたぐらいに、
たくさんの人(ひと)をこき使(つか)って、
殺(ころ)していました。
ダイナマイトのノーベルみたいでしょう?
うちの一族(いちぞく)も、
鉄(てつ)や、山(やま)や、石油(せきゆ)でしたので、
わたしは、子供(こども)の頃(ころ)から、
火薬(かやく)を燃(も)やして、
ロケットばかりを、飛(と)ばしていました。
ライオンに、鉄砲玉(てっぽうだま)を
食(くら)わせてやらないと、奴隷(どれい)にされます。
月(つき)から、地上(ちじょう)の獣(けもの)どもを
狙(ねら)い撃(う)ちにすれば、
サファリパークみたいに、楽(たの)しいでしょう?
飽(あ)きると、お釈迦(しゃかさん)さんみたいに、
自分(じぶん)の体(からだ)を、食(た)べさせてあげますから、
捨身飼虎(しゃしんしこ)です。
千利休(せんのりきゅう)って人(ひと)も、そうでしたと、
今井宗久(いまいそうきゅう)って人が、言(い)っていました。
夢(ゆめ)に出(で)て来(き)ましたから、
間違(まちが)いありません。
椿(つばき)って、花(はな)びらを散(ち)らさずに、
首(くび)から、ぽとりと落(お)ちるので、
お能(のう)の幽玄(ゆうげん)に
見惚(みと)れた戦国武将(せんごくぶしょう)や、
侘(わ)び寂(さ)びを謳(うた)う茶人(ちゃじん)たちに、
好(この)まれました。
アルフレッド・ノーベルや、
現代(げんだい)の政治家(せいじか)や、
お医者(いしゃ)さんたちのように、
紀元前7世紀の春秋時代の、晋(しん)の霊公(れいこう)に、
大夫(たいふ)の荀息(じゅんそく)は、
累卵(るいらん)の危(あや)うきであると、言ったそうですが、
お金もないのに、9階建ての楼閣を建てるのは、
碁石(ごいし)を12個も重ねた上に、卵を9個も載せるほど危うい、
という意味です。
碁石を12個も重ねるって、難しそうですけれど、
庭の敷石のように敷き詰めて、
その上にまた、碁石を敷き詰めるのを、12回、繰り返すと、
行けるかも知れません。
卵も、同じです。
敷き詰めてしまうと、みんなが肩を寄せ合いますから、
転がりません。
卵と卵の間に、二段目の卵を嵌(は)め込んで行くと、
9段ぐらい、重ねられるかも知れません。
碁石や卵を敷き詰める枠(わく)が、しっかりしていれば、
大丈夫ですけれど、
箱の中に詰めることを、積み重ねるって、言うのかしら。
わたしは、累卵の危うき、という言葉を聞いた時に、
最初に、それを心配しました。
箱に詰めるように、楼閣を建てては、いけないのかしら。
積み重ねるって表現の意味ね。
コロンブスの卵という言葉もあるぐらいですから、
用心しなければいけません。
人間の身体(からだ)が、
受精卵から順番に積み上がって、作られて行く様子は、
その危(あや)うさでないかと、感じました。
枠組みを、しっかりと規定しなければいけません。
受精卵が分割されて、区分けが増えて行きますから、
論理や数学やコンピュータの仕組みに、似ています。
認識は、時間と空間と論理ってのが、
ギリシャ建築の柱みたいに立っていますけれど、
時間と空間は、一対ですから、
論理は、その上に、
屋根のように載(の)っているのかも知れません。
弁証法ってやつですけれど、
それなら、認識と行為と感情ってのも、
認識と行為は、一対ですから、
感情は、その上に、牢名主(ろうなぬし)のように、
胡座(あぐら)を掻(か)いているのかも知れません。
認識や行為は、感情の下請けをしていると、
言っても良いのですが、
コミュニケーションのための、翻訳です。
個体と個体の違いや、異なる記憶や感情を、
同じであると、翻訳するために、
認識したり、実行したりします。
認識や行為は、表現と言っても、構いません。
違うものを、同じであるとするのは、
認識ですと、共通点を見つけて、同じである、とします。
ありとあらゆる二つの情報の間には、
無数の共通点がありますから、
何と何を捉(とら)えて、共通である、とするかを、
価値と言います。
認識は、空間や時間の形式を使い、
価値を表現しています。
空間って、物体として見えている、という表現です。
色々な共通点から、同じ一つの物体であるとされて、
空間的に表現された物ばかりの世界を、
わたしたちは、事実と言います。
価値観を表した庭や、池や植物や灯籠のようなものです。
目で見るだけでなく、手で触り、耳で聞いたことも、
認識の対象物として、そこにあるかのように、
空間的に纏められますので、
目で見た物体のことを言えば、
手で触り、耳で聞き、鼻で嗅いだ認識の対象物も、
似たような要領であると、思って下さい。
空気や化学物質なども、粒々(つぶつぶ)の物体です。
時間って、
共通点が、原因と結果のように見えた、という表現です。
二つの情報が、時間の順番として、表現されます。
これこれであれば、必ずこうなるって、
定義でしかありませんが、
時間の順番は、必ずしも、そうなるわけでないと、
表現されています。
そうなるためには、条件が必要ですが、
条件を確定できなくても、
時間の順番として、表現することができます。
時間という形式による共通点の表現の中でも、
この体が同じある、とする共通点を、心や自我と言い、
体の時間的な共通性のことを、自己同一性と言います。
体の共通性を重視する個人主義の価値観は、
フランス革命のように、エステティックですが、
生物学や物理化学などは、体の外観だけでなく、
内臓や化学物質などの、内部の形も見て、
個体を識別します。
事実は、他人と共通の価値観を表現していますから、
みんなから疎外されて孤立すると、
みんなと違う価値が表現されます。
幻覚であり、事実でないと言われて、怒られます。
居眠りをして、みんなから孤立しただけでも、
意識の中身が、夢と言われる幻覚だらけになるのを、
わたしたちは、何度も経験しています。
いつも目覚めていられませんから、
夢を見て、孤立しても、
目覚めた時には、眠る前の状態に、
戻らなければいけません。
眠る前の記憶と、目覚めた直後の事実が、
大幅に違っていると、
原因と結果を整理できずに、時間の感覚が混乱します。
自己同一性が変(へん)になり、
目覚めているのに、夢を見ているように、
意識がフワフワとして、
自分でないような気持ちがします。
目覚めると、病院のベッドに寝ていて、
何が起こったのか、わからない時や、
旅館で昼寝をしていたのに、記憶にない部屋なので、
旅行のことを思い出すまで、手も足も出ない時などです。
夢の続きのように、前後不覚になっています。
原因と結果の関係を特定できなければ、
自己同一性や自我などの、
時間の感覚がおかしくなるだけでなく、
物体の見え方も、抽象画のように歪んで、
不安定になります。
感情が平板になり、論理もあさってですので、
統合失調症にそっくりです。
健常な人は、すぐに記憶が甦(よみがえ)り、
事情がわかりますので、
上手(うま)く辻褄(つじつま)を合わせて、
他人と認識を共有できるように、論理的に調節されます。
ずーっと、右も左もわからなければ、
感情も、あほみたいに平板で済まされずに、
論理の異常に応じて、
気違いみたいに興奮するかも知れません。
比較的に長期間、記憶のおかしな状態が続いても、
やがて、上手(うま)く行く人でしたら、
解離性障害と言われるかも知れません。
いつまでも、認識の中身を、上手く纏められなければ、
たぶん、統合失調症と言われます。
精神的に苦しくなれば、うんこが止まらなくなり、
総理大臣を辞めた人がいたように、
体のどこかに、破綻(はたん)が出て来ます。
脳も、体の一部ですから、
精神的に苦しいと感じるだけでなく、
苦しいと感じないのに、記憶や感情や認識や行為などが、
変(へん)になるかも知れません。
認識の中でも、
論理は、時間や空間の上に載っていると言っても良いし、
下請けをしていると言っても構いません。
論理は、認識の中身を、他人に伝えて、
共通の価値観を持つように、調節するための仕組みです。
みんなと同じになるように、翻訳されて表現されます。
論理による共通点の把握を、知性と言うこともあります。
行為も、コミュニケーションのために、
違うものを同じであるとして、
表現や翻訳をする仕組みです。
記憶されている価値観の通りに、事実や他人を変形して、
認識の内側と、認識の外側とが、同じである、とします。
認識や行為は、感情の上に載っていると言っても良いし、
感情の下請けをしていると言っても、構いません。
感情は、自分の体と、自然や他人などの物体との間に、
共通点を見つけて、同じであると表現します。
共通点を見つけなければ、違うことになりますが、
同じと言えば、違う意味を含んでいます。
違うものを、同じと言うのですから、当たり前です。
どうせ、認識の内側の自分と、
認識の外側の、自分の体や、自然や、他人などは、
想定された認識の主体と対象にすぎませんから、
認識や行為に拠(よ)って、
自分の心の、内と外を、同じであるとしたり、
感情に拠(よ)って、自分の体と、自然や他人を、
同じであるとしたりするのは、
もしかしたら、茶番かも知れません。
人間以外の哺乳類は、ちゃんと知っていますけれど、
人間は、あほですから、知らないのかも知れません。
ライオンに食べられるシマウマって、
とても幸せそうでしょう?
人間の感情は、個体維持や生殖などの、本能のうちの、
哺乳類に共通の機能なのに、
フィードバックをするように、知性に左右されますので、
素直(すなお)でありません。
知性は、あほである、と言えば、怒られますけれど。
こういう組み立て方を、累卵の危うきと、言います。
古代ギリシャ以降の、欧米の弁証法は、
頭蓋骨を叩き割り、脳味噌のどこを食べれば、
何が変(へん)になるかを実験する手順でした。
鉄砲のない時代は、刃物よりも、棍棒を使う戦争でしたから、
性欲や科学技術が、どこから出て来たかを、すぐに理解しました。
生殖本能第一主義を掲げ、
鉄砲を作り、キリスト教を引きずり降ろして、
黒人やアジア人を奴隷にして、産業革命を起こし、
王様の首を、ギロチンで落としたのは、
進化論や、ロマンティックな精神分析などの、
累卵の危うきであるかも知れません。
エステティックや、物理化学や、宗教と、
暴力や、カネや、セックスって、そっくりと思いません?
14世紀に韓国で作られ、忠清南道のお寺さんにあった仏像が、
現代の対馬の神社にありましたが、
韓国人に盗まれて、韓国で発見されました。
韓国の裁判所は、
倭寇に盗まれたものなので、日本に返還してはいけない、
と言います。
倭寇に盗まれたという証拠はありませんが、
韓国の裁判所は明らかである、と言います。
韓国のような論理が、日本のような論理になるのは、
地中海沿岸では、古代ギリシャからです。
その前の、ペルシャやインドやメソポタミアやエジプトの論理は、
韓国風でした。
日本は、黒船と原爆に負けましたから、
古代ギリシャ風に、乗り換えました。
論理って、マルペケ式の判断の、積み重ねですが、
マルペケの判断の実際も、積み重ね方の実際も、
いずれも、文化的な定義ですから、
数学やコンピュータの判断の仕組みは、流行の風俗と同じです。
マルペケという2進法の判断の形式と、10進法との翻訳の仕方も、
流行文化の具体的な中身ですが、そのような文化に適応し易い脳の、
神経の繋がり方や、化学物質のくっつきかたなどの、
ハードウェアが、
生殖と殺し合いによって、品種改良されるように遺伝して、
大部分が生まれる前に、すでに変更不能になっているだけです。
似たようなハードウェアとして、
似たようなプログラムが伝えられていますので、
みんなが、同じような流行の風俗という夢を見ざるを得ません。
そうでなければ、カスパー・ハウザーのように扱われますが、
現代では、統合失調症と言われるかも知れません。
数学や物理化学は、
顔や体の見てくれのエステティックや、宗教などと同じように、
一時的な流行の風俗と、五十歩百歩です。
日本人が、古代ギリシャ以後の、
欧米白人の論理という風俗に馴染んだのは、
戦争に負けたからに決まっていますが、
韓国人が、そうならなかったのは、欧米に負けなかったからです。
欧米の弁証法の危うさは、性転換によく現れているかも知れません。
性転換を望む人たちの、精神の病気を、
GID(性同一性障害)と言いますけれど、
感情や自我や知性や記憶などに、異常をきたします。
精神の病気の中でも、
躁鬱病や統合失調症などの、狭い意味での精神病の周囲を、
惑星や衛星のように、ぐるぐると回りますけれど、
老化すると、地上に墜(お)ちます。
GID(性同一性障害)の基礎疾患の一つに、
鬱病をあげる人が多いのですが、
鬱病の人が、性転換を望むのは、
異性になったような気分が、性的快感だからです。
理由もなく、精神的に苦しいので、
気持ちの良いことに、しがみつき、
自己同一性や記憶や知性や行為が、
変(へん)になるって、統合失調症と同じです。
統合失調症の人に、鬱病のお薬を飲んでもらっても、
自我障害や、妄想や幻覚などが、なくならずに、
妄想の内容を、実行に移してしまいますので、
鬱病のお薬は、効きません。
大人しくしてもらわなければ、
周囲の人たちが困りますので、
統合失調症のお薬を飲んでもらいます。
GIDの患者さんに鬱病のお薬を飲んでもらっても、
一向に、性転換の実行を止められませんが、
GIDの人ばかりが、周囲に集まりますと、
必ずしも周囲の人が困るわけでありませんので、
オウムと似たような状況になります。
GIDの基礎疾患の一つが、鬱病であると言うよりも、
GIDは、統合失調症に近い病気であるとしたほうが、
すんなりと理解できます。
拒食症や人格障害なども、似ていますけれど…
精神の病気の中でも、
脳の器質に、原因となる病変の発見されない種類って、
どこまで症状が進行するかを、なかなか予想できません。
統合失調症の患者さんは、放置されると、
周囲の人に騙されて、お金を巻き上げられたり、
周囲の人の犯罪を、統合失調症の人のせいにされて、
冤罪の被害者になったりします。
患者さんが、他害に及ぶことは、ごく稀(まれ)です。
ほとんどは、
周囲の人や、警察官などに、罪を着せられて、
触法精神障害者にされたのでないかと、強く疑われます。
そのことを、困ると、周囲の人たちは言います。
統合失調症の患者さんを、
嘲笑(あざわら)い、小馬鹿(こばか)にして、
お金を巻き上げたり、罪を着せたりする人たちの、
態度や性格や手口には、共通の癖(くせ)があります。
じつは、性転換医療を行なうお医者さんに、
ぴったりと当て嵌(は)まります。
性転換医療は、精神障害者に対する虐待でないかと、
GID(性同一性障害)の治癒した人たちは言います。
統合失調症の患者さんを、
もっとも虐待するのは、御家族ですけれど、
もっとも困ると言います。
統合失調症の被害妄想は、
だんだんと、加害者が、ごく身近にいるかのように、
症状が進行して、最後は御家族が殺されます。
GIDの治って行くのと、
症状が悪化して、統合失調症になって行くのとの、
違いがわからなければ、GIDを治療できません。
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