楓(かえで)は、
秋(あき)の紅葉(もみじ)の頃(ころ)よりも、
今(いま)が一番奇麗(いちばんきれい)です。
春(はる)の、
桜(さくら)の季節(きせつ)には、
楓(かえで)の花(はな)と新緑(しんりょく)を愛(め)で、
秋(あき)の、
楓(かえで)の季節(きせつ)には、
桜(さくら)の紅葉(もみじ)を堪能(たんのう)します。
変人(へんじん)かも知(し)れませんが、
石(いし)に漱(くちすす)ぎませんし、
いつもは、車(くるま)の座席(ざせき)に、
カメラやゴルフクラブなどを、放(ほう)り出(だ)しています。
ゴルフクラブは、野山(のやま)を歩(ある)くための、
護身用(ごしんよう)です。
カメラは、生物(せいぶつ)や建物(たてもの)を
撮(と)るために。
溶鉱炉(ようこうろ)で生(う)まれて、
ロケットや宇宙船(うちゅうせん)を
作(つく)るつもりでしたけれど、
危(あぶ)ないと言(い)われて、怒(おこ)られたので、
コンピュータにしました。
ほんとは、生(い)き物(もの)や建物(たてもの)が、
好(す)きでした。
ヒトラーも、建物(たてもの)が好(す)きでしたけれど、
生(い)き物(もの)は、どうだったのかしら。
彼(かれ)は、
強(つよ)い者(もの)が、生(い)き残(のこ)るべきと、
考(かんが)えていましたから、
女(おんな)の子(こ)みたいに、
殺(ころ)し合(あ)いが、大好(だいす)きでした。
月(つき)ロケットもコンピュータも、
アメリカ合衆国(がっしゅうこく)に負(ま)けましたので、
わたしは、行(い)き場(ば)がなくなり、
前任(ぜんにん)の医師(いし)に、
袖(そで)を引(ひ)かれました。
東(ひがし)アフリカの
黒人(こくじん)のマラソン選手(せんしゅ)みたいなものかしら。
風当(かぜあ)たりが強(つよ)いのに、
先頭(せんとう)を走(はし)らなければ、
気(き)が済(す)みません。
オートバイの好(す)きな人(ひと)も、
風当(かぜあ)たりが、快感(かいかん)なのでしょう?
わたしは、オートバイって、嫌(きら)い。
転(ころ)びやすく、うるさいから。
前任(ぜんにん)の医師(いし)は、
ご自身(じしん)が性分化疾患(せいぶんかしっかん)でしたが、
性分化疾患(せいぶんかしっかん)でないのに、
性転換(せいてんかん)を望(のぞ)む人(ひと)の
受診(じゅしん)が増(ふ)えていました。
修験道系(しゅげんどうけい)の
小(ちい)さな財閥(ざいばつ)の、
昔(むかし)ながらの一族(いちぞく)の、
最高責任者(さいこうせきにんしゃ)でした。
業種(ぎょうしゅ)が似(に)ていましたので、
彼女(かのじょ)の親戚(しんせき)と、
うちの親戚(しんせき)とが、
業務提携(ぎょうむていけい)をしていた縁(えん)です。
GID(性同一性障害 , せいどういつせいしょうがい)は、
微々(びび)たる流行(りゅうこう)ですが、
自分(じぶん)から、
生殖機能(せいしょくきのう)を壊(こわ)しますので、
重症(じゅうしょう)の精神疾患(せいしんしっかん)です。
仕組(しく)みは、花粉症(かふんしょう)みたいなものかしら。
1960年代(ねんだい)に、急(きゅう)に現(あらわ)れて、
今(いま)も、
花粉症(かふんしょう)は、大流行(だいりゅうこう)しています。
精神科(せいしんか)の医療(いりょう)って、
拒食症(きょしょくしょう)や
発達障害(はったつしょうがい)の時(とき)も、
怒(おこ)られました。
欧米(おうべい)の医者(いしゃ)が、
新型(しんがた)の病気(びょうき)を、
打(う)ち上(あ)げると、
日本(にほん)のマスコミが、
宣伝(せんでん)をしてくれますから、
精神(せいしん)の病気(びょうき)の人(ひと)たちが、
挙(こぞ)って、先(さき)を争(あらそ)い、
最新(さいしん)の症状(しょうじょう)を、訴(うった)えます。
それまでは、黙(だま)って辛抱(しんぼう)していましたけれど、
マスコミが言(い)い触(ふ)らしてくれたので、
受診(じゅしん)し易(やす)くなったのかも知(し)れません。
お医者(いしゃ)さんにとっては、
新(あたら)しい商品(しょうひん)や販路(はんろ)を、
開拓(かいたく)したようなものです。
痒(かゆ)い時(とき)に、掻(か)き出(だ)すと、
やめられなくなるでしょう?
体全体(からだぜんたい)が、
ほんとうに、腫(は)れて来(き)て、
死(し)んでしまう人(ひと)もいます。
お風呂(ふろ)に入(はい)って、
気分転換(きぶんてんかん)をするだけで、
嘘(うそ)みたいに、
痒(かゆ)みの治(おさ)まる人(ひと)もいます。
お酒(さけ)も、飲(の)み続(つづ)けると、
やめられなくなる人(ひと)が、たくさんいます。
酔(よ)い始(はじ)めって、気持(きも)ちがいいもんね。
花粉症(かふんしょう)は、
免疫(めんえき)の知識(ちしき)を動員(どういん)して、
知(し)ったかぶりをするように、
説明(せつめい)されますけれど、
意識的(いしきてき)に、
痒(かゆ)みがエスカレートして行(い)く仕組(しく)みと、
無意識(むいしき)のアレルギーが、
エスカレートして行(い)く仕組(しく)みとは、
よく似(に)ています。
検査(けんさ)をすれば、無意識(むいしき)に、
体(からだ)が、花粉(かふん)に反応(はんのう)しますし、
抗体(こうたい)も増(ふ)えています。
アルコール依存症(いぞんしょう)も、無意識(むいしき)に
体(からだ)の検査値(けんさち)に、
病的(びょうてき)な数値(すうち)が
出(で)て来(き)ますけれど…
花粉症(かふんしょう)って、
精神的(せいしんてき)ストレスのせいで、
頭(あたま)のイカレ易(やす)い素質(そしつ)みたいに、
体(からだ)のイカレ易(やす)い素質(そしつ)に、
関係(かんけい)があるのかも知(し)れません。
精神的(せいしんてき)ストレスのせいで、
うんこが止(と)まらなくなるように、
花粉症(かふんしょう)になるのかも知(し)れません。
戦争(せんそう)のせいで、
殺(ころ)したり、殺(ころ)されたりしていると、
精神的(せいしんてき)なストレスが、小(ちい)さくなります。
戦争中(せんそうちゅう)には、
妄想(もうそう)や幻覚(げんかく)が出(で)なかったのに、
平和(へいわ)になると、
出(で)て来(く)る人(ひと)たちって、たくさんいました。
わたしは、崖(がけ)から滑(すべ)り落(お)ちて、
木(き)の枝(えだ)に引(ひ)っ掛(か)かった時(とき)に、
ちっとも、怖(こわ)くありませんでした。
あとから、夢(ゆめ)のように思(おも)い出(だ)すと、
物凄(ものすご)く怖(こわ)くて、
今(いま)でも身震(みぶる)いします。
300mの、垂直(すいちょく)の壁(かべ)でした。
現実(げんじつ)よりも、
記憶(きおく)や想像(そうぞう)のほうが、
遥(はる)かに怖(こわ)いの。
ライオンに食(た)べられるシマウマは、
とても気持(きも)ち良(よ)さそうです。
人間(にんげん)は、
哺乳類(ほにゅうるい)の感情(かんじょう)を
受(う)け継(つ)いでいますから、
ライオンやシマウマの、
現実的(げんじつてき)な気持(きも)ちを、
抑(おさ)え付(つ)けられると、
精神的(せいしんてき)なストレスになります。
水族館(すいぞくかん)の5万匹(まんびき)の鰯(いわし)は、
奇麗(きれい)な集団(しゅうだん)になり、
気持(きも)ち良(よ)さそうに、
泳(およ)ぎ回(まわ)っています。
鮪(まぐろ)を放(ほう)り込(こ)んであげないと、
集団行動(しゅうだんこうどう)をとらなくなりますので、
精神的(せいしんてき)ストレスのせいで、
若死(わかじに)します。
鮪(まぐろ)に追(お)い回(まわ)されて、
食(た)べられる危険(きけん)と、
みんなと一緒(いっしょ)の、
奇麗(きれい)な集団行動(しゅうだんこうどう)が、
鰯(いわし)には、快適(かいてき)です。
朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が終(お)わり、
1960年代(ねんだい)に、
当分(とうぶん)は戦争(せんそう)が起(お)こらないって、
日本国民(にほんこくみん)は、確信(かくしん)しました。
ベトナムは、朝鮮(ちょうせん)よりも、遠(とお)く、
日本(にほん)は、すごく安全(あんぜん)になりました。
戦争(せんそう)をするには、
青年(せいねん)たちを、子供(こども)の頃(ころ)から、
教育(きょういく)しなければいけません。
1960年代(ねんだい)の青年(せいねん)は、
第二次世界大戦後(だいにじせかいたいせんご)に
生(う)まれましたが、
人殺(ひとごろ)しをする教育(きょういく)を、
受(う)けていませんでした。
今(いま)から、幼児(ようじ)を教育(きょういく)しても、
出来上(できあ)がるまでに、20年(ねん)はかかります。
当分(とうぶん)は、戦争(せんそう)がないって、
日本人(にほんじん)は確信(かくしん)しました。
そうすると、
花粉症(かふんしょう)や、拒食症(きょしょくしょう)が、
出(で)て来(き)て、
鬱病(うつびょう)が、増(ふ)えました。
性転換(せいてんかん)を望(のぞ)む人(ひと)も、
竹(たけ)の子(こ)みたいに、出(で)て来(き)ました。
性転換医療(せいてんかんいりょう)は、
花粉(かふん)や竹(たけ)の子(こ)みたいな
人(ひと)たちが、
自分(じぶん)たち同士(どうし)で、
お医者(いしゃ)さんと患者(かんじゃ)さんに分(わ)かれて、
共食(ともぐ)いをする医療(いりょう)です。
植物(しょくぶつ)は、若葉(わかば)の頃(ころ)が、
美(うつく)しさの命(いのち)ですけれど、
新葉(しんよう)と一緒(いっしょ)に開(ひら)く花(はな)や、
葉(は)よりも先(さき)に咲(さ)く花(はな)は、
何(なに)も考(かんが)えていません。
あほの人間(にんげん)も、
息(いき)を飲(の)む美(うつく)しさです。
シュバイツァーという人(ひと)は、
そう言(い)っていたのかも知(し)れません。
虫(むし)けらの命(いのち)を、大切(たいせつ)にするように、
アフリカ黒人(こくじん)の命(いのち)を、
大切(たいせつ)にしました。
うちの前任(ぜんにん)の医師(いし)も、
ゴキブリに、ガラスコップを被(かぶ)せて、
窓(まど)の外(そと)に、逃(に)がしてあげていました。
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