コショウノキ 1094 自己犠牲

胡椒(こしょう)の木(き)って、
沈丁花(じんちょうげ)にそっくりですが、
こっちは、白(しろ)い花(はな)です。
 
沈丁花(じんちょうげ)は、
紫(むらさき)から桃色(ももいろ)でしょう?
 
胡椒(こしょう)の木(き)は、
真冬(まふゆ)に咲(さ)きますので、
もう、そろそろ、花期(かき)も終(お)わり。
 
沈丁花(じんちょうげ)は、そろそろ、咲(さ)き始(はじ)めて、
4月(がつ)ころまで、咲(さ)いています。
 
胡椒(こしょう)の木(き)は、
日本(にほん)の山(やま)の、自生種(じせいしゅ)です。
 
沈丁花(じんちょうげ)は、
帰化(きか)した栽培種(さいばいしゅ)。
 
胡椒(こしょう)の木(き)も、沈丁花(じんちょうげ)も、
同(おな)じ香(かお)りがします。
 
ジンチョウゲ科(か)って、
三椏(みつまた)や雁皮(がんぴ)なども、そうですけれど、
胡椒(こしょう)の木(き)も、
 
 
このブログは、内緒で書いていますけれど、公開しています。
匿名です。
GID(性同一性障害)の人に怒られると、殺されるもん。
 
だって、わたしの前任の医師は、
GIDの人と、その交際グループの人たちに脅迫されて、
ロシアに逃げて、ヨーロッパに逃げて、
カリフォルニアに逃げて、死にました。
 
犯人の連中を、
バレンツ海の石油掘削基地に飛ばして、懲罰していましたから、
報復合戦になれば、殺し合いになります。
 
日本は、いわゆる闇医療の時代でしたから、
おおっぴらに出来ませんでしたが、
どうせ、性転換をする人たちや、その仲間になる人たちや、
性転換医療を行なうお医者さんなどは、
世間の裏街道に屯(たむろ)する人たちでしたから、
殺し合いなんか、屁(へ)とも思っていません。
 
お医者さんは、もともと、
人殺しが商売の、ならず者ですから、当たり前ですけれど。
 
GIDの人や、そのパートナーになる人たちも、
肥壺(こえつぼ)に嵌(はま)って、野垂(のた)れ死ぬのが、
人生の相場でした。
仲間に殺されて、コンクリート詰めにして貰(もら)えれば、
賑やかに死ねて、御(おん)の字(じ)です。
 
性転換って、逸(はぐ)れ者やならず者ばかりの世界なの。
 
昔は、部落差別や在日韓国朝鮮人差別に、公然と反対できれば、
錦(にしき)の御旗(みはた)を掲げるようなもので、
とても幸せそうでした。
今でも、GID(性同一性障害)や他の精神障害を、
白い目で見る社会の風潮に、
公然と叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)して、
明るい日の光を浴びることが出来れば、
途轍(とてつ)もない生き甲斐(がい)を感じるのは、
当たり前です。
 
わたしも、鉱山で育ちましたけれど、
ここだけの話ですが、山で働く坑夫って、それだけで、やくざなの。
 
在日韓国朝鮮人の人たちが、日本に強制連行されて、
こき使われて、虐(いじ)められたって、言いますけれど、
日本の戦後の筑豊(ちくほう)の炭鉱でも、
社宅に暮らしている人たちは、
みんなと一緒のことの出来ない人を、簡単に殺して、
埋めてしまいました。
 
どうせ、山の仕事って、坑道に入れば、命懸けの重労働ですから、
いつ死んでも、不思議でありません。
戦場の兵隊と同じで、死ぬことを怖(こわ)がっていては、
仕事になりませんから、それだけで、精神病になってしまいます。
 
死ぬのを怖がるのが、精神病なのか、怖がらないのが精神病なのか、
わからないでしょう?
 
山の仕事も、そうですから、
社宅の人たちの暮らし振りや、心意気(こころいき)は、
命(いのち)知らずの無鉄砲でした。
 
わたしは、山の人たちと一緒に育ちましたので、
性転換をする人たちの社会って、似ているなあと、思いました。
山の人たちを相手にする歓楽街の慰安婦の人たちに似ていました。
 
第二次世界大戦に負けた後の、進駐軍の日本では、
石炭の採掘が、国策として奨励されました。
石炭は、日本で賄(まかな)える資源ですので、
安上がりという算段(さんだん)でした。
 
ほんとは、日本の炭鉱って、露天掘りができませんから、
外国の機械を買っても、採算が取れません。
使い捨ての労働者の命をこき使い、日本経済の復興を計りました。
やくざが、仕切っていましたから、文句を言うと、殺されました。
 
戦前に、朝鮮半島の人たちが強制連行されて、
日本の鉱山で、こき使われて死んだと、
在日の人は、文句を言いますが、
文句を言っても、生きていられるのは、
日本が、アメリカ合衆国とソ連に負けたからです。
 
日本の坑夫は、進駐軍の時代でも、文句を言うと、殺されて、
闇から闇に葬り去られました。
だれも助けてくれません。
警察も、山のことは、山の仕来りに任せましたから、介入しません。
国策でした。
 
被差別部落の人や、在日韓国朝鮮の人たちは、考えが甘い。
日本の若い人は、みんな戦争に行って、死にました。
生き残りの人たちが、死に物狂いで、働きました。
 
いったい、何人(なんにん)の人が、コンクリート詰めにされたか…
性転換をする人って、
GID(性同一性障害)の人も、性転換医療を行なう人も、
GIDの連れ合いになる人も、みんな、社会の端っこの人たちでした。
アルジェリアのガスプラントなんか、屁(へ)でありません。
 
わたしの前任者も、悪いことをしたGIDの連中を、
バレンツ海の掘削基地に、飛ばしていました。
本人の納得尽(づ)くですから、憲法に違反しませんけれど、
コンクリート漬(づ)けや、刑務所よりは、優しいでしょう?
 
     性転換医療が公然化されて、
     明るく穏やかになりましたけれど、
     性転換をしたいと言うGID(性同一性障害)の人たちは、
     今も昔も、似たような人たちです。
 
     GIDのパートナーになる人も、同じ種類の人ですし、
     GIDの人たちを、
     娯楽に興じるあほとして扱った昔のマスコミと、
     お涙ちょうだいの漫画の主役として扱う今のマスコミも、
     同じマスコミです。
 
     ゲテモノの性転換に群がるお医者さんも、
     古今東西、退屈をすると、精神が苦しくなり、
     ゲテモノに手を出して、
     馬鹿騒ぎをしなければいけない人たちですから、
     厄介な精神の病人です。
     
     異性になった気分が、気持ち良いのは、
     誰にでも共通ですから、オナニーのように健常です。
     朝から晩まで、毎日毎日、
     オナニーに漬かっていなければ、耐えられない精神って、
     ゲテモノに手を出さなければ、苦しくなるお医者さんと、
     同じです。
 
     エステティックや物理化学や宗教なども、
     似たようなものなの。
     警察の人は、カネとセックスと暴力って、
     言いますけれど、
     みんなと一緒のことをするのが苦しくなれば、
     たいていの人は、心地良いことに引き篭(こも)って、
     あほになります。
 
     人間って、賢いそうですから、当たり前です。
     みんなの望むところを実行できないのは、
     あほに決まっています。
     みんなと一緒でなければ、生きて行けないもんね。
 
     お医者さんやGID(性同一性障害)の人たちって、
     みんなの望むところを、自分の一人ために実行して、
     抜け駆けをしなければ、我慢できないみたいなの。
 
     自己犠牲の精神がありません。
     お陰で、蛸(たこ)みたいに、自分の足を食べます。
     お釈迦さんは、自分の体を、
     虎(とら)に食べさせてあげたそうです。
     捨身飼虎(しゃしんしこ)ってやつ。
 
     まるで、十字架を背負って、ゴルゴタの丘を登り、
     みんなのために、死刑になったくせに、
     ひょっこりと生き返ったキリストさんみたいです。
 
     ははーん、みんなのために、自分を犠牲にしても、
     また生き返って来るから、大丈夫なんだなと、
     わからなければいけません。
 
     これは、狡(ずる)い。
     プラナリアみたいです。
     あいつらは、いくら切り刻まれても、また再生します。
 
     お医者さんやGIDって、
     やっぱり狡(ずる)いようで、あほなのかしら。
     プラナリアに負けています。
     ゴミ箱の下に、一杯いるのに。
 
     ゴルゴタって、アラム語の頭蓋骨の意味ですけれど、
     わたしは、エルサレムに行ったことがないので、
     知りません。
 
     自己犠牲を払っても、生き返るのを、
     見たことがありませんけれど、
     人間は賢いので、
     自己犠牲って、みんなに馬鹿にされなければ、
     意味がありません。     
 
     お医者さんやGIDの人って、それが出来ないみたいなの。
     精神の病気は、みんなに馬鹿にされなければ、
     苦しい目を見る価値がありません。
 
     みんなの望むところを、
     自分一人の抜け駆けのために実行して、
     みんなに頭を撫でて貰(もら)えれば、
     気持ちが良いのに、決まっています。
 
     精神の病気の苦しさに耐えられないので、
     気持ち良さを貪(むさぼ)るために、
     学校で一番の成績になり、
     お医者さんになり、性転換医療を行なうって、
     GID(性同一性障害)の人と、
     同じ病気と思いますけれど…
 
     気持ち良くなるお薬を、いっぱい飲んで、
     性転換医療を行なっていたお医者さんがいて、
     患者さんを死なせただけでなく、
     自分も、半(なか)ば自殺みたいに、死にました。
 
     GIDの人たちを、
     自分の精神の病気の、道連れにしたのかしら。
     性別のことは、病気の本体でないのに…
 
     体や性格が、異性に似ている人は、
     ストレスになりますけれど、
     異性に似ていても、GIDにならない人もいますし、
     異性に似ていないのに、GIDになる人もいます。
 
     生まれつきの、人それぞれの変更不能な素質が、
     文化的な流行に乗らなければ、
     精神の病気になり易(やす)い素質と、言われます。
 
     みんなと一緒に合わせなければ、生きていけませんので、
     流行から外(はず)れた素質は、
     苦しくなり易(やす)いと言えます。
 
     異性に似ている体や素質って、
     変更不能かも知れませんが、
     素質は、それ一つと限りません。
     
     原因と結果の関係って、
     時間によって表された価値を言っていますけれど、
     素質と言われる原因を、想定する時に、
     顔や体の見てくれは、物理化学の指摘する素質と、
     同じくらいに説得力があります。
 
     エステティックに知られた事実は、
     情報の価値を、論理的に計測していますけれど、
     一部分が数量に翻訳されると、物理化学と言われます。
 
     いずれも、価値を論理的に測るために、
     時間や空間を使います。
 
     エステティックって、
     感覚器官によって入手された情報のことですので、
     センスとよく似た意味です。
     美容の意味や、センスがあると言う意味のように、
     時代と共に、意味が変化しました。
 
     人間は目が良いので、どうしても、視覚中心になり、
     人間の個体の価値を決める判断が、大切になりました。
 
     頭の悪い人たちの、間違った判断を、
     意味するようになりましたけれど、
     現代の頭の悪い判断の代表は、
     審美的と言われるエステティックと、
     物理化学と、宗教かも知れません。
 
     警察関係の人たちは、
     カネとセックスと暴力と、言います。
     昔は、真善美などと、言われたこともありました。
     三大秘湯や、三大放言の類ですが…
 
     ちなみに、三大放言って、
     この世をば我が世よとぞ思ふ望月の、藤原道長と、
     平家にあらずんば人に非ずの、平時忠と、
     ここまでは順当ですが、このあとに、
     神輿(みこし)は軽くてパーがいいの、
     小沢一郎が入るそうです。
            
     論理って、所詮は、価値を測る道具ですけれど、
     翻訳のための、
     多くの人に共通の規格と言っても構いません。
     事実や物理化学などの、
     人造言語によって表された認識の中身を、
     作ったり翻訳したりします。
 
     認識の中身って、
     想定された世界のようなものですけれど、
     想定されなくても存在する世界なんて、ありませんから、
     世界を作るのは、言語を翻訳するのと、同じ意味です。
     
     意志と言われているのは、翻訳しているだけなの。
     言葉という音声によって、翻訳するのも、
     映像という視覚の中身によって、翻訳するのも、
     似たような要領でしょう?
 
     音声によって、翻訳するのは、
     通訳の人が喋っているようなものですけれど、
     意志って、人間が手を使い、
     認識される映像を変更します。
     映像という視覚の中身の翻訳でしょう?
 
     川から、水が溢れて、洪水になれば、
     溝を掘り、堤防を作って、水を流します。
     洪水の氾濫原(はんらんげん)を、
     堤防と運河のある耕作地に翻訳すること、
     意志して実行すると、言います。
 
     通訳のように、時間と空間を使いましたが、
     聴覚よりは、視覚が中心の認識になりました。
     文学よりも、物理化学を使うかも知れません。
 
     普通は、意志の実行って、翻訳と言わずに、
     コミュニケーションと言います。
 
     わたしたちは、他人の使用した人造言語を、
     無意識に、自動機械のように、翻訳しますので、
     物理化学によって、時間と空間を指定すると、
     同じ時間と空間に、
     別の人が、別の事実を知ることは、ありません。
 
     殺し合いにならないように、
     無意識に、自動的に翻訳することを、
     赤ちゃんの頃から習得して来ました。
     習慣なの。
 
     他人の指定した時間と空間に、他人が認識した中身は、
     指定された時間と空間に、自分が認識した別の中身と、
     同じであると、翻訳されます。
 
     意志を実行して、認識の中身を変更するのは、
     コミュニケーションをしていますけれど、
     物理化学の数量という言語を知らなくても、
     わたしたちは、
     エステティックに、事実を知ることができます。
 
     価値を計測して、認識の中身として、表現しますから、
     エステティックや物理化学や文学などの、
     言語による世界の違いにかかわらず、
     言語の使用と翻訳は、論理的であると、言われます。
     
     自己犠牲の話でしたのに、
     しょっちゅう脱線すると、統合失調症と言われそう。
     
     お医者さんでも、患者さんでも、
     せっかく、自分の心や体を消費したのなら、
     みんなの利益と交換しなければ、公正でないのに、
     我が儘(まま)と言われる人たちは、
     たぶん、自分の損と、自分の得の交換や、
     自分の損と、他人の損の交換でなければ、
     不公平であると言い、不平をぶちまけます。
 
     個人主義って、自己犠牲を嫌(きら)います。
     生物の個体は、
     みんなと一緒でなければ、生きて行けませんので、
     宗教の人は、メディアであると、言うかも知れません。
     人間の個体は、メディアであると。
 
     メディアを使う第一人者がいるそうですけれど、
     絶対的な基準がなくても、ちゃんと通じるのに…
 
     昔の記号論理の人たちは、
     論理がなくても通じるのかって、検討しました。
     わたしは、
     ロケットを飛ばして、月に行くつもりでしたけれど、
     危ないと言われて怒られたので、
     記号論理に凝り、コンピュータに嵌(はま)りました。
 
     これなら安全ですけれど、すぐに飽きました。
     人間の脳みそを組み込み、コンピュータを作ったほうが、
     性能が良さそうだもん。
     宇宙船にコンピュータを付けるよりも、
     人間を宇宙船にしたほうが速い、と思いました。
 
 
  
 
     
     

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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