胡椒(こしょう)の木(き)って、
沈丁花(じんちょうげ)にそっくりですが、
こっちは、白(しろ)い花(はな)です。
沈丁花(じんちょうげ)は、
紫(むらさき)から桃色(ももいろ)でしょう?
胡椒(こしょう)の木(き)は、
真冬(まふゆ)に咲(さ)きますので、
もう、そろそろ、花期(かき)も終(お)わり。
沈丁花(じんちょうげ)は、そろそろ、咲(さ)き始(はじ)めて、
4月(がつ)ころまで、咲(さ)いています。
胡椒(こしょう)の木(き)は、
日本(にほん)の山(やま)の、自生種(じせいしゅ)です。
沈丁花(じんちょうげ)は、
帰化(きか)した栽培種(さいばいしゅ)。
胡椒(こしょう)の木(き)も、沈丁花(じんちょうげ)も、
同(おな)じ香(かお)りがします。
ジンチョウゲ科(か)って、
三椏(みつまた)や雁皮(がんぴ)なども、そうですけれど、
胡椒(こしょう)の木(き)も、
このブログは、内緒で書いていますけれど、公開しています。
匿名です。
GID(性同一性障害)の人に怒られると、殺されるもん。
だって、わたしの前任の医師は、
GIDの人と、その交際グループの人たちに脅迫されて、
ロシアに逃げて、ヨーロッパに逃げて、
カリフォルニアに逃げて、死にました。
犯人の連中を、
バレンツ海の石油掘削基地に飛ばして、懲罰していましたから、
報復合戦になれば、殺し合いになります。
日本は、いわゆる闇医療の時代でしたから、
おおっぴらに出来ませんでしたが、
どうせ、性転換をする人たちや、その仲間になる人たちや、
性転換医療を行なうお医者さんなどは、
世間の裏街道に屯(たむろ)する人たちでしたから、
殺し合いなんか、屁(へ)とも思っていません。
お医者さんは、もともと、
人殺しが商売の、ならず者ですから、当たり前ですけれど。
GIDの人や、そのパートナーになる人たちも、
肥壺(こえつぼ)に嵌(はま)って、野垂(のた)れ死ぬのが、
人生の相場でした。
仲間に殺されて、コンクリート詰めにして貰(もら)えれば、
賑やかに死ねて、御(おん)の字(じ)です。
性転換って、逸(はぐ)れ者やならず者ばかりの世界なの。
昔は、部落差別や在日韓国朝鮮人差別に、公然と反対できれば、
錦(にしき)の御旗(みはた)を掲げるようなもので、
とても幸せそうでした。
今でも、GID(性同一性障害)や他の精神障害を、
白い目で見る社会の風潮に、
公然と叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)して、
明るい日の光を浴びることが出来れば、
途轍(とてつ)もない生き甲斐(がい)を感じるのは、
当たり前です。
わたしも、鉱山で育ちましたけれど、
ここだけの話ですが、山で働く坑夫って、それだけで、やくざなの。
在日韓国朝鮮人の人たちが、日本に強制連行されて、
こき使われて、虐(いじ)められたって、言いますけれど、
日本の戦後の筑豊(ちくほう)の炭鉱でも、
社宅に暮らしている人たちは、
みんなと一緒のことの出来ない人を、簡単に殺して、
埋めてしまいました。
どうせ、山の仕事って、坑道に入れば、命懸けの重労働ですから、
いつ死んでも、不思議でありません。
戦場の兵隊と同じで、死ぬことを怖(こわ)がっていては、
仕事になりませんから、それだけで、精神病になってしまいます。
死ぬのを怖がるのが、精神病なのか、怖がらないのが精神病なのか、
わからないでしょう?
山の仕事も、そうですから、
社宅の人たちの暮らし振りや、心意気(こころいき)は、
命(いのち)知らずの無鉄砲でした。
わたしは、山の人たちと一緒に育ちましたので、
性転換をする人たちの社会って、似ているなあと、思いました。
山の人たちを相手にする歓楽街の慰安婦の人たちに似ていました。
第二次世界大戦に負けた後の、進駐軍の日本では、
石炭の採掘が、国策として奨励されました。
石炭は、日本で賄(まかな)える資源ですので、
安上がりという算段(さんだん)でした。
ほんとは、日本の炭鉱って、露天掘りができませんから、
外国の機械を買っても、採算が取れません。
使い捨ての労働者の命をこき使い、日本経済の復興を計りました。
やくざが、仕切っていましたから、文句を言うと、殺されました。
戦前に、朝鮮半島の人たちが強制連行されて、
日本の鉱山で、こき使われて死んだと、
在日の人は、文句を言いますが、
文句を言っても、生きていられるのは、
日本が、アメリカ合衆国とソ連に負けたからです。
日本の坑夫は、進駐軍の時代でも、文句を言うと、殺されて、
闇から闇に葬り去られました。
だれも助けてくれません。
警察も、山のことは、山の仕来りに任せましたから、介入しません。
国策でした。
被差別部落の人や、在日韓国朝鮮の人たちは、考えが甘い。
日本の若い人は、みんな戦争に行って、死にました。
生き残りの人たちが、死に物狂いで、働きました。
いったい、何人(なんにん)の人が、コンクリート詰めにされたか…
性転換をする人って、
GID(性同一性障害)の人も、性転換医療を行なう人も、
GIDの連れ合いになる人も、みんな、社会の端っこの人たちでした。
アルジェリアのガスプラントなんか、屁(へ)でありません。
わたしの前任者も、悪いことをしたGIDの連中を、
バレンツ海の掘削基地に、飛ばしていました。
本人の納得尽(づ)くですから、憲法に違反しませんけれど、
コンクリート漬(づ)けや、刑務所よりは、優しいでしょう?
性転換医療が公然化されて、
明るく穏やかになりましたけれど、
性転換をしたいと言うGID(性同一性障害)の人たちは、
今も昔も、似たような人たちです。
GIDのパートナーになる人も、同じ種類の人ですし、
GIDの人たちを、
娯楽に興じるあほとして扱った昔のマスコミと、
お涙ちょうだいの漫画の主役として扱う今のマスコミも、
同じマスコミです。
ゲテモノの性転換に群がるお医者さんも、
古今東西、退屈をすると、精神が苦しくなり、
ゲテモノに手を出して、
馬鹿騒ぎをしなければいけない人たちですから、
厄介な精神の病人です。
異性になった気分が、気持ち良いのは、
誰にでも共通ですから、オナニーのように健常です。
朝から晩まで、毎日毎日、
オナニーに漬かっていなければ、耐えられない精神って、
ゲテモノに手を出さなければ、苦しくなるお医者さんと、
同じです。
エステティックや物理化学や宗教なども、
似たようなものなの。
警察の人は、カネとセックスと暴力って、
言いますけれど、
みんなと一緒のことをするのが苦しくなれば、
たいていの人は、心地良いことに引き篭(こも)って、
あほになります。
人間って、賢いそうですから、当たり前です。
みんなの望むところを実行できないのは、
あほに決まっています。
みんなと一緒でなければ、生きて行けないもんね。
お医者さんやGID(性同一性障害)の人たちって、
みんなの望むところを、自分の一人ために実行して、
抜け駆けをしなければ、我慢できないみたいなの。
自己犠牲の精神がありません。
お陰で、蛸(たこ)みたいに、自分の足を食べます。
お釈迦さんは、自分の体を、
虎(とら)に食べさせてあげたそうです。
捨身飼虎(しゃしんしこ)ってやつ。
まるで、十字架を背負って、ゴルゴタの丘を登り、
みんなのために、死刑になったくせに、
ひょっこりと生き返ったキリストさんみたいです。
ははーん、みんなのために、自分を犠牲にしても、
また生き返って来るから、大丈夫なんだなと、
わからなければいけません。
これは、狡(ずる)い。
プラナリアみたいです。
あいつらは、いくら切り刻まれても、また再生します。
お医者さんやGIDって、
やっぱり狡(ずる)いようで、あほなのかしら。
プラナリアに負けています。
ゴミ箱の下に、一杯いるのに。
ゴルゴタって、アラム語の頭蓋骨の意味ですけれど、
わたしは、エルサレムに行ったことがないので、
知りません。
自己犠牲を払っても、生き返るのを、
見たことがありませんけれど、
人間は賢いので、
自己犠牲って、みんなに馬鹿にされなければ、
意味がありません。
お医者さんやGIDの人って、それが出来ないみたいなの。
精神の病気は、みんなに馬鹿にされなければ、
苦しい目を見る価値がありません。
みんなの望むところを、
自分一人の抜け駆けのために実行して、
みんなに頭を撫でて貰(もら)えれば、
気持ちが良いのに、決まっています。
精神の病気の苦しさに耐えられないので、
気持ち良さを貪(むさぼ)るために、
学校で一番の成績になり、
お医者さんになり、性転換医療を行なうって、
GID(性同一性障害)の人と、
同じ病気と思いますけれど…
気持ち良くなるお薬を、いっぱい飲んで、
性転換医療を行なっていたお医者さんがいて、
患者さんを死なせただけでなく、
自分も、半(なか)ば自殺みたいに、死にました。
GIDの人たちを、
自分の精神の病気の、道連れにしたのかしら。
性別のことは、病気の本体でないのに…
体や性格が、異性に似ている人は、
ストレスになりますけれど、
異性に似ていても、GIDにならない人もいますし、
異性に似ていないのに、GIDになる人もいます。
生まれつきの、人それぞれの変更不能な素質が、
文化的な流行に乗らなければ、
精神の病気になり易(やす)い素質と、言われます。
みんなと一緒に合わせなければ、生きていけませんので、
流行から外(はず)れた素質は、
苦しくなり易(やす)いと言えます。
異性に似ている体や素質って、
変更不能かも知れませんが、
素質は、それ一つと限りません。
原因と結果の関係って、
時間によって表された価値を言っていますけれど、
素質と言われる原因を、想定する時に、
顔や体の見てくれは、物理化学の指摘する素質と、
同じくらいに説得力があります。
エステティックに知られた事実は、
情報の価値を、論理的に計測していますけれど、
一部分が数量に翻訳されると、物理化学と言われます。
いずれも、価値を論理的に測るために、
時間や空間を使います。
エステティックって、
感覚器官によって入手された情報のことですので、
センスとよく似た意味です。
美容の意味や、センスがあると言う意味のように、
時代と共に、意味が変化しました。
人間は目が良いので、どうしても、視覚中心になり、
人間の個体の価値を決める判断が、大切になりました。
頭の悪い人たちの、間違った判断を、
意味するようになりましたけれど、
現代の頭の悪い判断の代表は、
審美的と言われるエステティックと、
物理化学と、宗教かも知れません。
警察関係の人たちは、
カネとセックスと暴力と、言います。
昔は、真善美などと、言われたこともありました。
三大秘湯や、三大放言の類ですが…
ちなみに、三大放言って、
この世をば我が世よとぞ思ふ望月の、藤原道長と、
平家にあらずんば人に非ずの、平時忠と、
ここまでは順当ですが、このあとに、
神輿(みこし)は軽くてパーがいいの、
小沢一郎が入るそうです。
論理って、所詮は、価値を測る道具ですけれど、
翻訳のための、
多くの人に共通の規格と言っても構いません。
事実や物理化学などの、
人造言語によって表された認識の中身を、
作ったり翻訳したりします。
認識の中身って、
想定された世界のようなものですけれど、
想定されなくても存在する世界なんて、ありませんから、
世界を作るのは、言語を翻訳するのと、同じ意味です。
意志と言われているのは、翻訳しているだけなの。
言葉という音声によって、翻訳するのも、
映像という視覚の中身によって、翻訳するのも、
似たような要領でしょう?
音声によって、翻訳するのは、
通訳の人が喋っているようなものですけれど、
意志って、人間が手を使い、
認識される映像を変更します。
映像という視覚の中身の翻訳でしょう?
川から、水が溢れて、洪水になれば、
溝を掘り、堤防を作って、水を流します。
洪水の氾濫原(はんらんげん)を、
堤防と運河のある耕作地に翻訳すること、
意志して実行すると、言います。
通訳のように、時間と空間を使いましたが、
聴覚よりは、視覚が中心の認識になりました。
文学よりも、物理化学を使うかも知れません。
普通は、意志の実行って、翻訳と言わずに、
コミュニケーションと言います。
わたしたちは、他人の使用した人造言語を、
無意識に、自動機械のように、翻訳しますので、
物理化学によって、時間と空間を指定すると、
同じ時間と空間に、
別の人が、別の事実を知ることは、ありません。
殺し合いにならないように、
無意識に、自動的に翻訳することを、
赤ちゃんの頃から習得して来ました。
習慣なの。
他人の指定した時間と空間に、他人が認識した中身は、
指定された時間と空間に、自分が認識した別の中身と、
同じであると、翻訳されます。
意志を実行して、認識の中身を変更するのは、
コミュニケーションをしていますけれど、
物理化学の数量という言語を知らなくても、
わたしたちは、
エステティックに、事実を知ることができます。
価値を計測して、認識の中身として、表現しますから、
エステティックや物理化学や文学などの、
言語による世界の違いにかかわらず、
言語の使用と翻訳は、論理的であると、言われます。
自己犠牲の話でしたのに、
しょっちゅう脱線すると、統合失調症と言われそう。
お医者さんでも、患者さんでも、
せっかく、自分の心や体を消費したのなら、
みんなの利益と交換しなければ、公正でないのに、
我が儘(まま)と言われる人たちは、
たぶん、自分の損と、自分の得の交換や、
自分の損と、他人の損の交換でなければ、
不公平であると言い、不平をぶちまけます。
個人主義って、自己犠牲を嫌(きら)います。
生物の個体は、
みんなと一緒でなければ、生きて行けませんので、
宗教の人は、メディアであると、言うかも知れません。
人間の個体は、メディアであると。
メディアを使う第一人者がいるそうですけれど、
絶対的な基準がなくても、ちゃんと通じるのに…
昔の記号論理の人たちは、
論理がなくても通じるのかって、検討しました。
わたしは、
ロケットを飛ばして、月に行くつもりでしたけれど、
危ないと言われて怒られたので、
記号論理に凝り、コンピュータに嵌(はま)りました。
これなら安全ですけれど、すぐに飽きました。
人間の脳みそを組み込み、コンピュータを作ったほうが、
性能が良さそうだもん。
宇宙船にコンピュータを付けるよりも、
人間を宇宙船にしたほうが速い、と思いました。
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