コウヤマキ 1054 性同一性障害の特例法

高野槇(こうやまき)は、本槇(ほんまき)と言(い)われます。
犬槇(いぬまき)に比(くら)べてです。
 
スギ科(か)やコウヤマキ科(か)などと、言(い)われますが、
日本特産(にほんとくさん)の
代表的(だいひょうてき)な針葉樹(しんようじゅ)です。
 
台風(たいふう)が来(く)るので、
まとめて植(う)えるしか、仕方(しかた)ありませんけれど、
欧米(おうべい)の庭園(ていえん)のような、
背(せ)の高(たか)い針葉樹(しんようじゅ)が
欲(ほ)しければ、
日本(にほん)の高野槇(こうやまき)や檜(ひのき)を、
お薦(すす)めします。
 
二枚(にまい)の葉(は)が、横(よこ)に並(なら)び、
一枚(いちまい)の葉(は)として、くっついています。
 
 
 
昔の性転換って、
顔や体の見てくれが、異性に似ていれば、
虐(いじ)められるという現実がありましたので、
御本人には、苦渋の選択でした。
 
どうしても、同性のように装えない見てくれの人は、
もしかしたら、性分化疾患のせいかも知れませんでした。
 
同性として、虐められずに暮らすことができれば、
御本人は、最善であると、考えていました。
 
社会の、エステティックな差別が、原因です。
体は、人それぞれに、個性的な特徴がありますので、
同性の文化的な体の特徴に、当てはまらない人が、出て来ます。
異性の文化的な体の特徴に、酷似している人は、虐待されました。
 
性別の文化的な体の特徴って、
性別の生物学的な要件の、性器の形や生殖機能の特徴でありません。
 
男性は背が高く、髭が生え、
女性は背が低く、ぽっちゃりとしているようなものです。
 
男性なのに、背が低かったり、
女性なのに、体がごつかったりすると、簡単でありません。
 
     今の性転換は、昔と違います。
     顔や体の見てくれが、異性に似ていなくても、
     自分の心は異性であると、主張します。
 
     同性として、暮らしていても、
     そのせいで、虐められることは、ありません。
     御本人は、
     異性として暮らすことが出来れば、幸せである、
     と言います。
     
     自分の心は、変更できないそうです。
     顔や体の見てくれが、異性に似ていれば似ているほど、
     御本人は喜びます。
     心が変更できなければできないほど、
     自分は本物のGIDであると、自惚(うぬぼ)れます。
 
     他人も、
     本人の見てくれが、異性に似ていれば似ているほど、
     褒めてくれます。
     心が変更できなければできないほど、
     本物であると、褒めそやしてくれます。
 
     これこれの性別ならば、これこれの具体的な言動である、
     という流行文化の中身のことを、
     御本人や支援者たちは、心が異性である、と言います。
 
     性別の文化的な流行は、
     衣装や、性交渉の相手の性別などに、具体的に現れます。
     
     スカートならば女の心、ワイシャツなら男の心、
     性交渉の相手が女なら、男の心、男なら、女の心。
     いくつかの具体例が揃えば、心の性別は、
     間違いなくこれこれであると、言われます。
 
     流行文化の具体的な内容が、
     それぞれの性別の心であるとされます。
 
     たいていの人は、異性の流行文化に浸ると、
     性的に快感です。
     思春期の男の子や、女の子は、異性装をすれば、
     ほとんどが、恍惚状態になります。
 
     気分の優(すぐ)れない人は、
     あらかじめ、異性の文化に浸り、気持ち良くしていれば、
     予防線を張ることができます。
 
     精神の病気の人に、抗不安薬を投与するのと、
     さほど違いませんが、
     性転換のほうが、強力に効きます。
 
昔と今の性転換が異なるのは、一目瞭然ですが、
一日にして、昔から今に変わるわけでありませんから、
昔と今の、継ぎ接(は)ぎだらけの性転換が、
今も、主流かも知れません。
 
理屈は継ぎ接(は)ぎでも、
気持ちは、潮の満ち引きのように、流行が変わります。
 
生物学的な性別は、今のところ、変更できませんので、
わたしたちが、性転換と言っているのは、
体の見てくれを、望みの性別に近づける施術です。
 
それだけでも、事務的な性別を、変更できるようになりました。
性同一性障害のための特例法ですけれど、
このせいで、体や生殖機能を破壊する人が、激増しましたので、
悪法です。
 
すでに性腺を摘出して、性器の美容整形手術を済ませた人たちの、
事務的な性別を変更してあげずに、野ざらしにして置くのは、
人情に悖(もと)りました。
悪法を作った人が、
死刑になったイエス・キリストのように、救世主と呼ばれたのは、
当然でした。
 
生殖機能の破壊や、性器の美容整形を、
戸籍の性別変更の条件にすべきでなかったのは、
言うまでもありません。
 
これこれの性別なら、これこれの文化的な流行を好むことは、
生物学的な性別や、事務的な性別に、無関係ですので、
生物学的な性別を変更できないにもかかわらず、
事務的な性別の変更に、
体の損傷と生殖機能の破壊や、文化的な好みの条件を付ける必要は、
まったくありませんでした。
 
国民の体と心を守るために、
体や生殖機能の意図的な損傷を、厳しく阻止しなければいけません。
特例法は、そのような内容にすべきでした。
 
実際には、特例法が、
体や生殖機能の意図的な損傷を、強要しています。
本末転倒です。
もちろん、廃止すべきです。
 
いわゆる性転換のために、
体や生殖機能を、意図的に損傷したやつは、刑務所にぶち込む。
本人が望めば、戸籍の性別を、
無条件に、何度でも変更できるようにしなければいけません。
 
実際には、性同一性障害でしたら、
限定的に責任能力がないとされて、不起訴になり、
精神科の治療を受けることになります。
 
患者の体や生殖機能を損傷した医師は、
責任能力が完全であるとして、刑務所に入れてあげるべきですが、
重症の精神障害であることには、違いありませんので、
何らかの治療を試みるべきかも知れません。
 
 
 
 
 
 
 
 

精神医療の廃止とコンピュータ

進化論や精神医学などの、 ロマン主義による社会や心の学説を否定して、 精神医療と精神科と精神病院の廃止を、 主張します。

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