あけまして、おめでとうございます。
藪柑子(やぶこうじ)は、林檎(りんご)みたいに、
可愛(かわ)らしい実(み)が成(な)ります。
縁起物(えんぎもの)です。
すごく小(ちい)さく、1cmにも、満(み)たないのに、
林檎(りんご)みたいに、甘酸(あまず)っぱく、
すぐに、小鳥(ことり)に、食(た)べられます。
高(たか)さは20cmぐらいですけれど、
万葉集(まんようしゅう)の時代(じだい)には、
山橘(やまたちばな)と言(い)われました。
消(け)残(のこ)りの 雪(ゆき)にあへ照(て)る
あしひきの 山橘(やまたちばな)を
つとに摘(つ)み来(こ)な
大伴家持(おおとものやかもち)
万葉集(まんようしゅう) 巻(まき)二十 4471
夙(つと)には、朝早(あさはや)くですけれど、
疾(と)うにから、変化(へんか)したものです。
冬(ふゆ)はつとめてと、枕草子(まくらのそうし)にあります。
つとは、包(つつ)まれる物(もの)から転(てん)じて、
お土産(みやげ)の意味(いみ)です。
包(つつ)まれていて、
まだ中身(なかみ)のわからない感(かん)じが、早(はや)いの。
この感情(かんじょう)は、アリストテレスと同(おな)じです。
生物学的(せいぶつがくてき)でしょう?
後(のち)の、物理化学(ぶつりかがく)も
神話的(しんわてき)な比喩(ひゆ)を、
換骨奪胎(かんこつだったい)した考(かんが)え方(かた)です。
文学(ぶんがく)や物理化学(ぶつりかがく)は、
シャーマニズムの一種(いっしゅ)なの。
「つとに摘(つ)み来(こ)な」 は、
現代語(げんだいご)と同(おな)じかしら。
朝早(あさはや)く、
お土産(みやげ)に摘(つ)んで来(こ)なければいけない。
摘(つ)んで来(こ)ないかん。摘(つ)んで来(こ)なあかん。
摘(つ)んで来(こ)な。摘(つ)んで来(こ)、となります。
合(あ)へ照(て)るは、現代語(げんだいご)ですと、
変(へん)な言(い)い回(まわ)しですが、
漢字(かんじ)に書(か)けば、
通(つう)じないこともありません。
わたしは、
「合(あ)へ」 で、ひと区切(くぎ)りを付(つ)けて、
「照(て)る」 を、「照(て)る葦引(あしひ)きの」 と、
詠(よ)みたくなります。
あしひきは、足引(あしひ)きと、書(か)きますけれど、
藪柑子(やぶこうじ)の匍匐性(ほふくせい)の蔓(つる)を、
言(い)っています。
よく山(やま)に掛(か)かる枕詞(まくらことば)です。
早朝(そうちょう)の、
まだ雪(ゆき)が残(のこ)っているうちに、
藪柑子(やぶこうじ)の赤(あか)い実(み)を
摘(つ)んで来(こ)なければ、いけません。
雪(ゆき)が溶(と)けてしまったのでは、
興醒(きょうざ)めなの。
今年(ことし)も、よろしくおねがいします。
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