新疆(しんきょう)ウイグル自治区(じちく)の首府(しゅふ)の、
鳥魯木斉(うるむち)市内(しない)から、
標高(ひょうこう)5445mの、
博格達山(ぼごだ)山(さん)が、見(み)えます。
100kmよりも、遠(とお)く、
東京(とうきょう)から富士山(ふじさん)の感(かん)じです。
ウルムチは、ロサンゼルスのように、
砂漠(さばく)と山脈(さんみゃく)に
近(ちか)い町(まち)です。
北西(ほくせい)のジュンガル盆地(ぼんち)と、
南東(なんとう)のトルファン盆地(ぼんち)に、
挟(はさ)まれていますけれど、
西(にし)と東(ひがし)の、天山山脈(てんざんさんみゃく)の、
中間(ちゅうかん)です。
ボゴダ山(さん)は、ボゴダ峰(ほう)とも言(い)い、
東側(ひがしがわ)の天山山脈(てんざんさんみゃく)の
最高峰(さいこうほう)です。
西側(にしがわ)は、7439mの、トムール峰(ほう)ってのが、
コピペの記事を一つ。
著作権は知りませんけれど、みなさんが引用しておられます。
一応、新聞記事ですから…
秋谷豊
「クレバスに消えた女性隊員」
「みちくさ新聞」3号掲載
京都山岳会登山隊の白水ミツ子隊員が、
第一キャンプからベースキャンブへ下山中、
ボゴダ氷河のヒドン・クレバスに転落、
死亡したのは、一九八一年六月十日のことであった。
もちろん、この日、
死亡がはっきりと確認されたわけではなく、
救出が困難なままに、
氷河の中に見捨てざるを得なかったのである。
白水隊員は救出の断念を自ら望んだが、
暗黒の氷の割れ目の中で、
一条の生の光に望みを託しながら
最後まで死とたたかっていたとすれば、
その死亡日付はあるいは半日か一日、
変更されることとなるわけである。
記録――六月十日午前十一時二十分、
ボゴダ峰第一キャンプから
三十分ほど下ったアイスフォール帯直下の
広い雪原状の氷河上で
白水隊員はクレバスに転落した。
直ちに第一キャンプに緊急連絡され、
第二キャンプからかけつけた救助隊員が
現場に到着したのは十三時十分。
彼女の生存は確認された。
宮川隊員がクレバスへの下降を試みる。
入口は八十センチくらいの人間が
やっとひとりくぐれるくらいの氷の割れ目だが、
中に入るにしたがってさらに狭くなり、
上から四メートルのところで
少し屈曲して幅は五十センチくらい。
そこで下の方にひっかかっているザックが見えた。
しかしそこからはさらに狭くなり、
靴を真っすぐにしては入れず、
アイゼンの爪が効かない。
ザイルにぶらさがったままの状態で、
少しずつ降ろしてもらい、ようやくザックに達する。
「大丈夫かあ」期待をこめてザックに手をかけるが、
その下に白水さんはいない。
声をかけると、応答はあった。
が、まだはるか下の方である。
そこからは氷の壁はまた少し屈曲し、
真っ暗で、さらに狭くてそれ以上は下降できない。
やむなくザイルの端に
カラビナとへッドランプをつけて降ろす。
一○メートル(上からは二○メートル)
降ろしたところで彼女に達したようだが、
彼女自身どうにも
ザイルをつかまえることが出来ないのか、
ザイルはかすかな手ごたえを感じるが、
そのまま空しく上がってくる。
そういう作業を何度も「しっかりしろ」と大声で
彼女に呼びかけながらやっている時に、
「宮川さぁーん、私ここで死ぬからあー」
「宮川さぁーん、奥さんも子供もいるからー、
あぶないからぁー、もういいよぉー」
という声。
かなり弱った声だったが、叫ぶような声だった。
彼女自身でもう駄目と判断してのことだろう。
まったくやり切れない気持ちだった。
声が聞こえてくるのに助けられない。
くやしさが全身を貫く。
十六時、彼女の声はまったく聞こえなくなった。
カメラ助手の新谷隊員、
そして当日頂上アタックした山田、大野両隊員も
クレバスに降りた。
しかし誰も宮川隊員が降りた位置より下には行けず、
二十一時ついに救助作業を打ち切った。
(京都山岳会隊・宮川清明隊員の手記)
白水さんは二十九歳、独身だった。
以上、貼り付け記事です。
クレバスの中で、寒くて、少しずつ凍死したのか、
骨折や打撲などのせいで、出血していたので、死んだのか、
氷河の下の、激流に押し流されたのか、
クレバスが動いて、押しつぶされたのか、
事情を、少しも知りません。
人間の死に方って、みんな、似たようなものです。
体の病気も、精神の病気も、同じですけれど、
精神の病気の中でも、
脳の器質に原因となる病変の発見されない種類では、
みんなと一緒のことができないので、差別虐待されて、孤立して、
自分から、死んで行こうとするように、精神症状が現れます。
自分や他人の、体の変化の解釈って、精神と同じようなものです。
体の変化が精神なのでなく、変化の解釈が、精神のようなものです。
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