【ある日、青空を眺めて】 Un dì all'azzurro spazio
ジュルダーノのオペラ『アンドレア・シェニエ』のアリア
Colpitto qui m'avete ov'io geloso celo
il più puro palpitar dell'anima.
Or vedrete, fanciulla, qual poema
è la parola "Amor", qui causa di scherno!
Un dì all'azzurro spazio guardai profondo,
e ai prati colmi di viole, pioveva l'oro il sole,
e folgorava d'oro il mondo:
parea la terra un immane tesor,
e a lei serviva di scrigno il firmamento.
Su dalla terra a la mia fronte
veniva una carezza viva, un bacio.
Gridai vinto d'amor:
T'amo tu che mi baci, divinamente bella,
o patria mia!
E volli pen d'amore pregar!
Varcai d'una chiesa la soglia;
là un prete ne le nicchie
dei santi e della Vergine,
accumulava doni
e al sordo orecchio
un tremulo vegliardo
invan chiedeva pane
e invano stendea la mano!
Varcai degli abituri l'uscio;
un uom vi calunniava
bestemmiando il suolo
che l'erario appenza sazia
e contro a Dio scagliava
e contro agli uomini
le lacrime dei figli.
In cotanta miserie la patrizia prole che fa?
Sol l'occhio vostro esprime umanamente qui
un guardo di pietà, ond'io guardato ho a voi
si come a un angelo.
E dissi: ecco la bellezza della vita!
Ma, poi, a le vostre parole,
un novello dolor m'ha colto in pieno petto.
O giovinetta bella,
d'un poeta non disprezzate il detto:
Udite! Non conoscete amor,
amor, divino dono, non lo schernir,
del mondo anima e vita è l'amor!
今週の『アンドレア・シェニエ』は、
一対(いっつい)と思っても良いでしょう。
オペラは、イタリアが発祥の地ですが、
ベルディが、流行の頂点でした。
プッチーニは、その後継者かも知れません。
ジュルダーノは、若く、
ベルディやプッチーニの、向こうを張った人ですけれど、
出版社や興行会社が、違っていたの。
オペラって、台本や作曲や、歌手や楽器の演奏だけでなく、
普通の舞台演劇の要領や手配が必要です。
バレエが入ることもあるしね。
お金を使い、たくさんの人を、纏めなければいけません。
著作権や版権のように、権利の売買が行われますので、
一つの作品に、たくさんの人の権利が設定されて、
その部分や全体が、取引の対象になります。
たくさんの人が、手を加えて、
継(つ)ぎ接(は)ぎをするように作った作品の権利が、
転々として、
最終的に、よく売れる名前の人の作品として、
興行会社が発表します。
名前だけは、お客さんに受ける有名人の作曲でも、
実態は、別の人の作曲かも知れません。
お金が、別人の懐(ふところ)に入るって、
よくあります。
文学や演劇やオペラや映画のような、遊び人の娯楽って、
けっして、
個人の才能によって、作られるのでありません。
今でも、アニメって、そうでないの?
漫画は、たくさんの人が、下書きの絵を、
手分けして描(か)きますし、
動画になる前に、売り買いされるでしょう?
話の中身だけでなく、
資料を集める作業や、集めた資料や、
筋書きだけってのも、売買されますし、
仕上げの肉付けや色付けや、手直しの手作業も、
絵や文章の上手い作業員が、請け負っています。
みんなで分業をして、部分ごとに売買されて、
最終的に発表される有名な個人名の作者も、
もしかしたら、雇われ作者でしょう?
有名人の名前だけで、ご飯を食べています。
芸術家の名前って、それでしょう?
岡本太郎が、馬鹿でかい太陽の塔のコンクリートを
打ち込んだりはしません。
ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチも、そうなの。
名前だけの、架空の人物かも知れません。
実際に、みんなの前に顔を出す人って、
顔や体の見てくれのエステティックだけが、商売です。
昔の言い方ですと、影武者ですけれど、
今は、名義貸し用の有名人って、たくさんいます。
実態のない有名人を演じる役者さんがいて、
わたしたちがテレビを見て、知っていた岡本太郎は、
名前だけを演じる芸能人でした。
太陽の党っていう名前の、
1ヶ月ほどで無くなった政党が、あったでしょう?
あそこの代表をしていた人も、そういう芸能人なの。
つい最近まで、東京都知事ってのを演じていました。
あの人は、堀江謙一って人が、
太平洋を、小さなヨットで横断したのに、
嘘だと言って、いちゃもんをつけました。
太陽の塔や、太陽の党でしたら、
その手のやり方になります。
逗子の海岸には、
太陽族だったか、太陽の季節だったかの、
記念碑が建っていて、
岡本太郎の太陽の彫刻が、張りついています。
原爆を落とされた世代ですから、
空に焼け付く太陽が、心にこびり付いて離れません。
弟の裕ちゃんは、
太平洋横断のヨットの映画に主演して、
堀江謙一さんを演じました。
有名人稼業の仕組みって、わからなければいけません。
エステティックな判断の仕組みと同じですけれど、
アリストテレスの論理学や物理化学や、
ギロチンのフランス革命も、似たようなものなの。
物理化学は、脳の中の、
神経や化学物質という認識の仕組みが加わるだけなのに、
宇宙船や超高層ビルや医薬品を見ると、
科学者や技術者の心って、ころっとイカレますから、
美容や恋愛に、躍起になっている女の子よりも、
可愛らしいでしょう?
ジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』って、
19世紀の末に発表されましたけれど、
フランス革命のパリを描いています。
主人公は、男性貴族の詩人という芸術家ですので、
革命に同情しますけれど、
召使出身の貧乏人の革命家のせいで、
ギロチンに掛けられて死にます。
10才年長のプッチーニが、
数年後の20世紀の初めに、『トスカ』を発表しました。
ナポレオンの時代のイタリアを描きましたが、
革命派の画家が、処刑されます。
どちらも芸術家という遊び人が処刑されますけれど、
貴族の娘さんを道連れにしました。
わたしは、アメリカ合衆国の、
『風と共に去りぬ』という映画を思い出しました。
オペラや映画のような、極楽蜻蛉の娯楽では、
画家や詩人のような
エステティックな見てくれが自慢の男性や、
それに憧れる女性などが、
気持よくなったまま、死んで行く筋書きって、
よく売れます。
現代日本で言うと、
太陽の季節や、太陽の塔って、飽きられましたから、
芸能人や芸術家でなく、
弁護士やお医者さんや政治家などかしら。
美しいや賢いって、
強いと同じくらいに、くそったれなのに…
石原って人の言うには、自動小銃をぶっ放すのと、
勃起したペニスを、障子(しょうじ)にぶち込むのとは、
同じ意味です。
『ある日、青空を眺めて』は、
貴族の娘さんが、貴族の詩人を茶化したのに、
詩人が、娘さんを、虜(とりこ)にする場面です。
第一幕のここから始まり、
二人とも、ギロチンで終わります。
きれいな言葉を並べただけの、
昔ながらの、つまらない歌詞ですけれど、
貧乏人の味方の祖国っていう革命的な意識が、
よく現れています。
ヨーロッパの権力者って、みんな混血ですから、
民族や国家よりも、
支配階級っていう貴族の意識を共有していました。
鉄砲や航海術が発達すると、支配できる範囲が広くなり、
植民地を獲得して、
遠くの有色人種から税金を徴収できるようになりました。
新興のお金持ちが、
旧来の支配階級の中に、割り込んで来たの。
お金持ちの言うには、
昔みたいに、貴族が、荘園の小作を、
農奴として、囲い込んでいたのでは、
儲(もう)かりません。
都会の工場で、こき使うと、儲かるのに…
貴族をやっつけて、
田舎の貧乏人を、貴族の支配から引き剥(は)がすのが、
フランス革命の目的した。
当時の法律家って、新興のお金持ちの代弁者でしたので、
フランス革命以後は、法律家が、政治家になりました。
ギロチンを落として、貴族の首を刎ねるお仕事です。
ヨーロッパに共通の血統の、
インターナショナルな支配階級ってのが没落すると、
大昔のように、
言語や居住地などによるローカルな血縁という意識が、
復活しますので、
多民族を、おおまかな居住地により、
大きく纏めるために、
新しく、国民や国家という概念が、提唱されました。
フランス革命って、それですけれど、民主主義という嘘。
古代ギリシャの民主主義なんか、1万人が、限界でした。
顔も知らずに、話したこともない連中が、
一緒にできるわけがない。
国家って、国民が、民主主義を作りますけれど、
なんで、おらが村でなく、国家なのかしら。
お金持ちの代弁者の法律家が、
貧乏人を、都会の工場に集めて、こき使うために、
どうしても、国家という単位が必要になりました。
これよりも小さい単位ですと、
植民地に負けてしまいます。
お金持ちの、依って立つ所がなくなるでしょう?
何よりも、イギリスに負けると、奴隷にされるもんね。
やっぱり、国家ぐらいの大きさでないと、
お金持ちが成り立ちません。
それなら、ヨーロッパに共通の、
インターナショナルな支配階級としての、
貴族階級の代わりに、
インターナショナルな労働者階級が、
権力を握れば良いと、共産主義者は言いました。
マルクスの家には、召使が3人もいたのに…
レーニンも、裕福な家のお坊ちゃんでした。
貧乏人って、こき使うことが出来るので、宝の山です。
いまでも、法律家やお医者さんや学者さんが、
性転換医療を、盛り上げているでしょう?
貧乏人を、あほにして置くほうが、
得(とく)になります。
昔の医師会の会長さんは、精神病院のことを、
牧畜業と言いました。
GID(性同一性障害)の性転換も、似たようなものなの。
生かさず殺さず、ってやつね。
『ある日、青空を眺めて』は、
綺麗な言葉を並べただけの、ありふれた詩ですけれど、
貧乏人を、フランス革命が、
地下資源の露頭(ろとう)のように見ていたので、
国家や国民と言われる新しい意識が生まれたと、
わかります。
やがて、二度の世界大戦の、原因になり、
太陽のような原爆を落として、
日本人を殺した考え方と、同じです。
このビデオは、1960年頃の、
NHKの、イタリアオペラ公演と思います。
十数年間ぐらい、
毎年、招聘(しょうへい)されて、
放送されていました。
おおぜいの貴族の役柄は、日本人が、
鹿鳴館みたいに、洋装をして登場しましたから、
日本のオペラは、
欧米白人による歌舞伎公演と同じくらいに、
面白可笑(おもしろおか)しい娯楽ぺージェントでした。
マリオ・デル・モナコは、イタリアで人気の、
ドラマティックテノールでしたけれど、
ちっちゃい人ですから、肺活量も知れていました。
歌い方が大きく、声もよく響き、
浪曲と言うに相応(ふさわ)しい美声でした。
ビデオに録音していますから、
もちろん、マイクを使いますけれど、
スピーカーから劇場に、声が流されることは、
ありません。
当時の声楽家は、電気的な音響設備を使わないのが、
自慢でしたので、沽券(こけん)にかかわりました。
今は、声楽家も、オペラ歌手も、
みんな、マイクを使い、アンプで増幅されて、
スピーカーから客席に、おしっこみたいに放出されます。
パバロッティというテノール歌手が、
初めて実行しました。
みんなに非難されるので、一流歌手でなければ、
できませんでした。
オペラは、ものすごいオーケストラの音量なのに、
マイクを使わずに歌いましたから、
すぐに喉が潰れました。
昔は、デビューをした時しか、
奇麗な声で歌えませんでしたので、
30才を超えると、みんな、だみ声でした。
魚市場(うおいちば)の
競(せ)り市)のおっちゃんみたいな声。
今は、45才ぐらいでも、ウイーン少年合唱団みたいに、
きれいな声で歌います。
GID(性同一性障害)なのかしら。
欧米のオペラ界は、ホモと、ユダヤと、マフィアが、
差配しています。
日本に、ユダヤの財閥は、ありませんけれど、
興行会社は、やくざが普通ですし、
ホモでしたら、日本のオペラ歌手も、同じです。
これ内緒ね。
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